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幸多かりし賛美の世界で  作者: L→R
戦火の火種
2/12

戦火の火種 1

 クルーン・ゾの湿地帯を抜けると、カストダル大陸の南端、真南へ向けて突起のようにはみ出る地域へ出る。

 そこには、カストダル大陸の七割もの面積を所有するグランド・カスタ王国の首都である、シャトール・カスタがある。

 カストダル大陸最大を誇る港があり、多くの傭兵や商人で賑わう街だ。

「いきたくねぇ。」

 道中ずっと繰り返していた一言を念押すようにもう一度言い、ミーヤ・ミンミが立ち止まった。

 ミンミはミーヤ種と呼ばれる種族で、猫のような耳が生えている。尻尾は進化の過程で取れてしまった、らしい。ミーヤ種は蔑まされる時、”猫”と呼ばれる。

 ミーヤ種は名のはじめに必ず種名を付ける慣わしがある。ミンミという個体名ならば、『ミーヤ・ミンミ』だ。

 そのミンミは、仏頂面をして手に持っている大槌の柄で、自分の肩を叩いている。槌系の武器を手にしているのは、モンク系戦士である証である。

「ミンミぃ…。駄々捏ねんでねぇぞ。」

 少々田舎訛りのキツいアルバイン・クォートが、ミンミを穏やかに嗜めた。

 アルバインは一般的に”人間”と呼ばれるヒュント種だ。痩せ細って背が高いが、その背と同じくらいの長さの杖を背負っている。杖は、魔道士である証だ。

「嫌なもんは嫌だ。あそこの傭兵の扱いは酷すぎて嫌いだ!」

 ミンミが尖らせていた唇をさらに鋭くさせて、じろりとアルバインを見た。

 ミンミの態度に、合計四名の一行の残りは、小さく溜め息を吐いた。

 気持ちは解らないではない。

 ミンミの言うとおり、程なくして到着する予定のシャトール・カスタの民の多くは、傭兵を蔑む。

 ヴェル・ヴィーラ(幸多かりし賛美の世界)と言う名のこの世界には、ミンミの種族であるミーヤ種、アルバインの種族であるヒュント種の他、尖がり耳のエルフィ種の三種族がおり、この三種族は何れも知性を持ち、文化を築き、集団で生活を営む”ヒト”である。しかし、これ以外にも”ケモノ”と呼ばれる無数の生物が存在し、中にはヒトを襲う種もいる。

 大抵のケモノはヒトより体も大きく強力であり、襲われれば勝ち目はない。それ故、戦う手段を持たぬヒトが遠方へと旅をする時、或いは何かを所望する時、その能力を持つ傭兵が雇われる。

 太古から自然のバランスを崩さぬ程度に傭兵はケモノを狩り、ヒトは自然へ踏み込み過ぎず、暮らして来た。

 だが、いつ頃からか、得体の知れぬ”モノ”が、この世界に現れた。

 それはヒトのみならず、ケモノまでを襲い、血肉を齧った。そして、齧られた者は死ぬのではなく、同じ”モノ”になった。

 それには、『顔』がなかった。頭部前方はただ深く深く窪み、深い深い闇の中に、おぞましく冷たい光が五つ、輝いている。

 ヒトビトはそれを『顔のない者』と呼んだ。

 ケモノを超える体を持ち、ヒトの傭兵を超える力を持つそれに抗う手段も見当たらず、しかし明らかに、それは自然のものではなかったため、ヒトビトは恐れ、益々傭兵の需要が増えた。

 だが同時に、『顔のない者』を恐れる余り、それに触れた傭兵までをも遠ざけるようになった。

 傭兵なしでは生きられない世の中にあって、傭兵を忌み嫌う。

 傭兵の立場は徐々に低下し、今では街で蔑まれる事が多い。

 シャトール・カスタは、特にその色が強い。

 ミンミはそれが嫌だった。

「しょうがねぇべ。」

 アルバインが眉をハの字にして言うと、アルバインの足元で「行こうよ。」とリチュリー・リチュが言った。

 リチュはエルフィ種だが、エルフィ種には亜種がおり、古来よりいる原種エルフィと、形が違う。背が高く、スラリとした体型の原種と比べ、亜種は背が低いので、”リトル・エル”と呼ばれている。背が低いと言っても度合いは半端なく、ヒュントの膝丈ほどしかない。

 リチュはリトル・エルの騎士で、ヒュントの平均身長ほどもある大きさの大剣を扱うが、普段は背負って行動出来ないため、傍らにいるエルフィ種の戦士であるウォルフガングが代わりに背負っている。故に、普段からリチュとウォルフは行動を共にする。

「行こう、ミンミ。ここで止まっても仕方がない。金もないから他の街へもいけないしな。

 次の依頼主はシャトール・カスタの大地主だし、仕事が終わるまでは屋敷に寝泊りさせてくれると言うんだから、殆ど心配ないだろう?」

 ウォルフが言うと、ミンミは尖らせた唇を一文字に横に伸ばして、上目遣いにウォルフを見た。

 一行のリーダー役であるウォルフには、駄々姫のミンミも歯向かえなかった。ミーヤ種の村を傭兵になるべく旅立ってから、ウォルフのおかげでここまで生きて来られたようなものだったからだ。

「…わかった…。」

 ミンミが言うと、ウォルフが苦笑した。

「すぐ終わらせて、南に行こう。

 もう少しの辛坊だよ。」

 そう言うと、ウォルフはシャトール・カスタへ向けて歩き出した。

 じき、日が暮れる。

 振り返った街には、灯りが灯り始めていた。

 シャトール・カスタは巨大な貿易港を持つ大都市だ。

 湿地帯を下り抜け、街を左右に分断するように流れる大きな川には、ガレオン船を通すための跳ね橋がかけられ、ちょっとした観光名所にもなっている。

 街の北側周辺には巨大な岩山が、南側には看守塔を何本も備え付けた防壁が聳え、街の中心にはグランド・カスタ王国が国教とするアムル教の大聖堂が聳え立つ。

 アムル教は、天使として生まれ、今では”始まりの女神”とか”誕生の女神”などと呼ばれるエル・アムルを崇める宗教で、種族に拘らず信者を獲得し、信仰する国は大小合わせ三〇を超える国際的宗教である。勿論、エルフィの国マルレイン王国やミーヤの国ミルグ王国の民にも信者は多くおり、中でもマルレイン領メルガニスタ独立行政地区には、シャトール・カスタに引けを取らぬ程の大聖堂がある。

 発祥はカストダル大陸の北西にあるグランド・カスタ王国の隣国パルバ・ア・ダル共和国の辺境地域と言われている。グランド・カスタもパルバ・ア・ダルもヒュントが築いた国家であるため、アムル教信者はヒュントが中心となっている。白を好み、縁を色鮮やかなエル・アムルのシンボルを刺繍した白い大きな布を被って生活着としている他、武装すら白いため、アムル信者は異教徒から『白い民』と呼ばれていた。

 そんな白い民の住むシャトール・カスタの、建国当時から面影の変わらぬ灰色の石造りの街並みを横目に、一行は依頼主の屋敷へ向かって進んだ。

 身なりからすぐに傭兵と解るため、すれ違う白い民の視線は鋭く冷たい。中には、あからさまに距離を置いてすれ違う者までいる。

「ケッ…。」

 ミンミが悪態を吐いた。態度に出すのはミンミだけだが、気分が悪いのはミンミだけではない。

「しょうがねぇべ…。」

 気分は悪いが仕方がないと、アルバインが呟いた。

 王国大正門からアムルの大聖堂まで真っ直ぐに伸びる大通りを行くと、大聖堂を中心とした大広場から、合計八本の大通りが放射状に伸びている。その大通りの中で、真北へ伸びる道の先が、依頼主の屋敷へ通じている。

「あっちだな。」

 依頼状を見ながら、ウォルフが言った。


◆ ◆


 依頼主の屋敷は、街の北側の岩山のすぐ目の前に建っていた。既に陽も落ち、暗がりの中、樹木の生えない岩山を背に、黒く光る鉄柵と門で囲まれた大きな屋敷は、さながら岩山を護る神殿のようだった。

 ウォルフは門の脇に立つ白い鎧の守衛に歩み寄り、依頼状を手渡した。守衛は依頼状を手に取り、中身を確認すると、門を開いて屋敷まで一行を先導した。一行が門を潜ると、すぐさま門は大きな音を立てて閉まった。

 門から屋敷までは美しい石畳に舗装された道が伸び、両脇の庭には背後の岩山と不釣合いな程に花が咲き乱れている。

 屋敷のエントランスの前にも白い鎧の守衛が二人おり、門から一行を先導した守衛は、その守衛に耳打ちをすると、預かっていた依頼状を手渡した。屋敷前の守衛は依頼状を見、門の守衛に一つ頷くと、一行を見て「ここで待たれよ。」と言うと、返事も聞かず、屋敷へ入って行った。門の守衛も一行を置き、門へと引き返した。

 三分ほどするとエントランスが開き、先程の守衛が執事を連れて出て来た。

「お待たせいたしました。どうぞ中へ。」

 執事が言うと、守衛二人が扉を大きく開け、一行を中へ促した。

 一行はウォルフを先頭に屋敷へ入った。執事に続いて大きな細く長い廊下を行くと、大袈裟なほどの装飾が施された豪華な扉が目の前に現れた。

「お連れいたしました。」

 執事が声をかけると、扉が内側から開いた。扉脇に移動した執事に促され、一行は部屋へおずおずと踏み込んだ。

 部屋には床から天井まで届く大きな窓と棚が並び、革張りの書物や銀食器が所狭しと並んでいた。それらは、隙間を埋めるように無数の黄金の蜀台に立てられた蝋燭と壁に添え付けられた多数のオイルランタンの光に照らされ、眩しいくらいに輝いている。

 依頼主を探して見回すが、中には扉を開けた従者しかおらず、一行はどうしたものかと顔を見合わせた。すると背後からふてぶてしい声が聞こえた。

「キミらかね、”ウォルフの傭兵”は?」

 振り返ると、嫌味たらしく片眉を上げた、脂ぎった顔の小太りな男が立っていた。依頼主のようだ。

 ウォルフが立ち位置を変え、一礼をする。

「依頼状を頂きました、リーダーのウォルフガングです。」

「エルフィか。まぁいい。キミらの一行が一番腕が立つと言うが、間違いないんだろうな?」

 依頼主はさらに眉を上げ、ウォルフを見た。ミンミが腕組をして、踵をトントンと鳴らして苛立ち始める。

「過去の依頼主の評価ですから、私たちには解りませんが。仕事を失敗した事はありません。」

 ウォルフが穏やかに言うと、依頼主は「ふん」と鼻を鳴らして、部屋の奥の大きなデスクに腰を下ろすと、ウォルフに向かって顎でデスク前のソファに座るよう促した。

 ミンミの頬がぴくりとしたのを見て、アルバインとリチュが冷や汗を掻いた。

 柔らかなソファに一行が腰を下ろすと、依頼主はデスクの上で手を組み、前屈みになって一行を睨み付けた。

「自己紹介が未だだったな。私はドルトムント。伯爵の称を授かり、シャトール・カスタの大地主を首都開拓以来任されているドルトムント家の当主だ。

 早速仕事の話にするが、キミらには、裏山の遺跡の調査を依頼したいのだ。」

 裏山とは、屋敷裏の岩山の事だろう。

「遺跡?」

「ああ。

 裏山は、今はもう掘れないが、昔は黒鉱石が採れる鉱山でな。

 ある時、採石中に遺跡が発掘されてしまって、閉山する事になったんだが。」

 遺跡は、ぽっかりと開いた巨大な空洞の中に、ぽつりと建っていた。何かの入り口のような建物で、奥に続いているようなのだが、探索は十分にはなされず、先代の当主が山への立ち入りも禁止してしまったらしい。

「何かあったんでしょうね。」

 ウォルフが淡々と言うと、ドルトムントがにやりと笑った。

「そのとおりだ。

 ある日、先代の当主の手記を見つけてな、その時の記録を読んだんだよ。」

 そこには、こう記してあった。



 遺跡の扉には主がいる。

 主は太古からこの遺跡を護っていたのだ。それを私たちが起こしてしまったのだ。

 主は水を纏い、光を纏い、怒りを纏う。

 怒りに沢山の傭兵が死んだ。

 怒りは抑えられぬ。

 この遺跡は眠らせねばならぬ。

 この山は閉じねばならぬ。



「…主…。」

 アルバインが繰り返した。

「そう、主だ。

 私は”水竜”ではないかと推測しているがな!」

 今まで上げっぱなしだった眉をぐいっと上げて、ドルトムントが目を見開いて笑った。

「そこへ行けと?」

 ウォルフの問いにドルトムントが頷くと、

「バッカじゃねぇの?」

 とミンミが吐き棄てた。隣に座っているアルバインは大層慌てている。アルバインの目の前に座るリチュも、両手をそわそわさせて慌てている。

「なんだと…?」

「ミ…ミンミぃ、やめっぺ…。」

「バカだっつってんの。

 山を閉じなきゃならねぇほどの何かがいたんだろうが。そこをわざわざ開けんのか?」

「そうとも。それほどの何かがいるのだ。絶対に価値のある遺跡に違いなかろう!」

「その考えがバカだって言ってんだよ。

 あたしらが失敗した時の事は考えてねぇんだろ?」

「ミンミぃ…。」

「ほぅ、失敗するのか!」

「つくづくバカだな、アンタ。

 リスク管理出来ないのかって聞いてんだよ。

 当時何人入ったか知らねぇが、少なくともあたしらよりはいただろうよ。

 その人数が死んだんだろ? あたしらが失敗する可能性だってあるじゃねぇか。」

「なんと、弱腰だな。そんな傭兵はいらんなぁ。

 ウォルフガング、この猫の代わりにもっと腕の立つ傭兵を探して連れて来い。」

 ミンミの神経をわざと逆撫でするように、ドルトムントがにやついて言ったので、ミンミがテーブルを蹴り飛ばして立ち上がった。

「なっ…!」

「やめろミンミ。」

 勢いよくドルトムントを見たミンミを、ウォルフが静かに嗜めた。どこまでも逆らえないのか、ミンミの勢いはみるみる萎んで、俯き気味にウォルフを見た。

「んだよ、ウォルフ…。コイツの味方すんの?」

「敵、味方の話じゃない。そういう事も含めて、探索に行けと言う依頼だ。違いますか、サー・ドルトムント?」

 ウォルフが横目に見ると、ドルトムントは満足そうにニヤけ、頷いた。

「噂通りのようだな。部下は馬鹿だが、リーダーの質はいいようだ。」

 馬鹿と言われ、ミンミが再びドルトムントを睨み付けた。

「ミンミ、座れ。口を出すな。話が出来ない。」

 ウォルフがゆっくり言うと、ミンミは再度しょぼくれて、唇を尖らせてソファに座り込んだ。

「サー。彼女は私の部下ではなく、頼りになる仲間です。

 探索は、彼女も連れて行きます。

 一先ず、様子を見るために一度遺跡へ向かいます。

 もう少し詳しい情報があれば、窺いたいのですが。」

 ウォルフが言うと、ドルトムントは件の手記をウォルフへ差し出した。ウォルフは無言でそれを受け取り、ぱらぱらと捲った。

「仕事が終わるまで、預からせて頂きます。」

「好きにするがいい。

 ああ、それから、部屋を宛がおう。外に執事を待たせてあるから、声をかけるがいい。」

「はい。

 探索の結果、必要なものがあった場合には…。」

 ウォルフが言いかけると、ドルトムントが面倒くさそうに言った。

「ああ、ああ。

 何でも言うがいい。金なら幾らでも出す。

 報酬は、依頼状に書いた額でいいんだな?」

「はい。十分です。」

 ウォルフが頷くと、ドルトムントは片眉を上げて少しだけにやりとし、部屋を追い出すように手の甲を振った。


◆ ◆


 執事に案内された部屋で一晩休み、翌早朝に裏山へ探索に出る事となった。

 紅一点のミンミには一人用の部屋が宛がわれ、その他の三人には二部屋続きの少し大きな部屋が用意された。

 就寝までの間、男三人の部屋で打ち合わせをする。

「あのおっさん、意外にロマンチストなんだな。」

 ミンミがベッドにがさつに横になりながら言った。

「うん?」

「だってよ、何を言うかと思えば、『竜』がいるかもってよ。」

 そう言ってケタケタと笑う。

「んだなぁ。確かになぁ。」

 少し天井を見上げて考えた後、アルバインが苦笑した。

 ヴェル・ヴィーラには、ヒトが生まれる前、この世界を治めていたのは『竜』だという言い伝えが存在する。

 古文書の多くに書かれている事で、一般的には事実とされ、存在も信じられてはいたようだが、今では信じる者も少ない。

「化石すら見つかんねぇもんなぁ。」

「今じゃ、想像上のイキモノだぜ。」

 面白がって笑うアルバインとミンミを見ながら、窓辺に座っていたウォルフが苦笑した。

 そしてすぐに、ドルトムントから預かった手記を開く。

 多少茶色く焼けた手記は、ところどころインクも剥げてしまい読みにくくはなっているものの、状態としては良く、読む分に不都合はない。

 ウォルフは丁寧に一ページ一ページめくりながら、手記に目を通した。

 手記には、今から三〇年ほど前の”一年の始まりの日”から、ニ年後の”一年の終わりの日”までの出来事が詳細に書かれていた。

 ざっと見た限りでは抜けている日付はなく、件の裏山の出来事は手記のちょうど三分の一程度めくった場所にある。ドルトムントの仕業か、ページの端に折り目があった。

 手記に依ると、裏山の出来事はドルトムントの話通り、黒鉱石の採掘中に偶然遺跡の建つ空洞を掘り当てた事が切欠のようだった。

 ウォルフはその日の記述をゆっくり読み進めた。



V.D.4902 一年の始まりから九ニ日

 朝、採掘現場を任せた職人が屋敷へと飛び込んで来るなり、私を山へ来るよう急かした。

 彼は大層慌てて居て話の要領を得ず、私は仕方なく山へ向かった。

 道中に落ち着きを取り戻した彼から聞いたところに依ると、どうやら掘り進めていた横穴の先に空洞が現れたという事であった。

 単なる空洞であるならそれほど慌てる事もなかろうと、私は鼻で笑ったが、実際に現場へ到着するなり、私は言葉を失った。

 横穴の先に突如現れた空洞はかなり大きなもので、中は漆黒の闇に満ちていた。

 光を入れながら中を覗き込むと、採掘の横穴は空洞の天井付近だったが、不思議な事に、脇には横穴から空洞の下へ向かうように石階段があった。

 階段はかなり風化し、崩れてしまっている段もあったが、どうやら空洞の下まで降りられるようであった。この横穴は偶然掘り進めた穴だというのに、何故このように測ったように寸分のズレもなく横穴から綺麗に階段があるのか疑問ではあったが、私は直ちに屋敷へ戻ると、別件で雇っていた傭兵十一名に空洞を探索するよう命じた。

 探索には私も加わり、崩れかけた階段を下った。

 採掘穴を照らす松明とオイルランプを数個用意したにも拘らず、足元を照らすので精一杯で、空洞は黒一色であった。光は階段横の壁以外の壁を照らす事なく闇に吸い込まれている。余程大きな空洞なのであろう。

 中は遠くの方から水滴の滴る音と風の舞う音が微かに聞こえるだけで、私達の足音以外は何も聞こえなかった。

 どれほど下っただろうか。随分と下った階段が、ついに終わった。

 空洞の下に到着したようだった。

 傭兵のリーダーであるトールズの提案で、全員で一緒に行動する事となり、トールズが左手に松明を持ち、右手で壁に触れ、壁伝いに空洞を回る事となった。

 壁を右手に暫く進むと、やがて闇の向こうで柱のような何かが浮かび上がった。

 徐々に歩みを進めると、目を見張るほど巨大で美しい遺跡が姿を現した。

 遺跡は空洞の奥に、壁に食い込むようにして建てられた状態であった。素材は山のものとは明らかに異なる石を使い、まるで掘り削ったかのように、部位と部位の間に継ぎ目がなかった。

 正面には柱が六本聳え立ち、屋根を支えていた。その奥には天井付近まである大きな扉があり、何やら見た事もない模様が彫り刻まれていた。



「気になるものでもあった?」

 いつの間にか目の前に座っていたリチュが、ウォルフに声を掛けた。

「ああ…。

 ドルトムントの先代が事件のあった日の事を詳しく手記に記している。

 中々いい前情報になりそうだ。」

 ウォルフがそう言うと、アルバインとミンミが大笑いをした。振り向くと、二人はどうやら雑談に花が咲いたようだった。ウォルフとリチュは顔を見合わせ、揃って肩を竦めた。

「手記にはなんて?」

 リチュが訊ねると、ウォルフが少し小さめの声で手記を朗読した。



 トールズが扉を調べる間、私たちは少し離れた場所で彼を待つよう言われた。今思えば、彼は何か知っていたのかも知れない。トールズは灯りを持つ補助を一人だけ残し、私を含む一行の残りは十歩ほど後ろへ下がるように言われた。トールズが扉を調べる様子を、闇に浮かぶ光の玉のように浮かび上がったランタンの灯りが照らした。トールズは丹念に調べていた。そして私に振り返り、こう言った。

「ここは、このままにして、穴を塞ぎましょう。山も閉じた方がいいです。」

 なんという事を言う!この山は、ドルトムント家そのもの!閉山は家の衰退を意味するのだぞ!

 私は頭に血が上ってしまった。今ならば、それが愚かな思考である事は赤ん坊でも解るのに、その時の私は無知だった。

 私は彼に硬く首を振り、扉を開けるよう指示した。

 彼も私と同じように硬く何度も首を振った。何かを察したトールズの仲間が彼に理由を問いかけたが、彼はそれにも答えず、ただ首を振るだけだった。

 好奇心からか徐々にトールズの仲間が私に賛同し始めた。財宝でもあれば報酬が上がると考えたからかも知れない。やがて、トールズは肩を落とし、苦悶の表情を浮かべながら、仲間に装備を整えるよう言った。そして私には仲間の何人かを付けさせ、階段の脇にいるよう言った。すぐ逃げられるように、という事なのだろう。私に付けた仲間には、癒しと魔に封を施す事の出来る魔道士がいた。

 私たちが階段の脇にたどり着くと、トールズが再び扉を調べ、両手を扉に掲げた。トールズの指示だったのか、灯りを持つ補助が、灯りをトールズの足元へ置いて後退した。

 そしてすぐに、トールズが何かを唱えながら叫んだ。

 何を叫んだかは聞き取れなかった。

 トールズの唱える言葉と声に答えるように、扉の刻印から青白い光が溢れた。光は最初は無秩序に溢れ、徐々にトールズの言葉に同調するようにまとまっては散らばり始めた。まるで、踊っているようだった。

 それを見ていた癒しの魔道士が、小さな声で何かを呟いた。見上げると、とてつもない愕然とした表情でトールズを見射っていたが、やはり何を呟いたかは聞き取れなかった。

 再びトールズへと視線を戻した私の目に映ったのは、トールズの言葉に併せ踊っていた光が、おぞましいほどに増大していた様子だった。光は尚もトールズの声に同調し、蠢いていた。

 そして、キンと鼓膜を引き裂くような音とともに突如鋭く、場にいる全員の視界を射抜いた。目の眩んで壁に手を突いてよろけた私を、次の瞬間、誰かが引っ張った。

「逃げて!」と言う声は、癒しの魔道士の声だった。

 声の主は私を引っ張って階段を登りはじめた。訳も解らず、視界も焼けたままの私は、足が縺れながら階段を登ったが、耳鳴りの止まない私の耳には、下の階に残っていた傭兵たちのどよめきと、恐怖の叫びが聞こえていた。次いで大量の水が揺れたような”トプリ”と言う音が聞こえ、次の瞬間、トールズが「逃げろ」と叫んだ。

 癒しの魔道士に引き摺られるように階段を昇り、横穴へ押し出された私は、よろめいて倒れたまま、暫く立ち上がる事も振り返る事も出来ずにいた。

 横穴に残って中を窺い見ていた作業員たちのざわめきに混じって、背の横穴から”ごう”とか”ざあ”という轟音とともに、傭兵たちがトールズの名を叫ぶ声が聞こえていたが、体がいう事を聞かなかった。

 だがすぐに、轟音の隙間から大勢の駆け足が聞こえた。傭兵が階段を駆け上がってきたのだろう。口々に「逃げろ!」「早くしろ!」と声を掛け合っていた。

 私を連れて来た癒しの魔道士も「早く!」としきりに叫んでいたのを覚えている。

 やっと横穴を振り向く余裕が戻って来た。空洞から逃げ帰って数分という短い時間であった筈だ。その時、空洞から逃げてきたばかりの傭兵が、私の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせた。

 「走れ!」と傭兵が私に叫んだ。周りの作業員にも叫んだ。

 そのあと何が起きたのか、私の記憶も、ここに記すほど定かではない。

 傭兵に手を引かれ、私は空洞を振り返った。

 癒しの魔道士が逃げ帰ってくる傭兵に、治癒魔法をかけながら横穴へと誘導していた。しかし、やがて最後の傭兵が穴へ出た時、なんと癒しの魔道士が内側から穴に封術を施したのだ。

 今、記憶を辿って思い出してみて、その封術は私が知る中で一番強力な封印術であったと思う。

 逃げながらも尚振り向いていると、封紋の向こうで、癒しの魔道士がこちらに背を向け、杖を翳したのが見えた。

 そして、次の瞬間。

 癒しの魔道士の体が、物凄い勢いで封紋に叩きつけられた。その体の向こうには、大きな牙にトールズの体を刺して口を大きく開ける、”水竜”の顔が見えた。

 ”竜”…!? 想像上の生物ではなかったのか? 私は夢を見たのか? 何か強大な力の光を、竜と見違えたのか…?

 暗闇の中、封紋から溢れる光に照らされ、恐ろしく美しく青白く輝く”竜”は、封じの壁を突き破れなかったのか、水のように透き通った体をうねらせ、トールズの刺さった牙に癒しの魔道士の体を突き刺し、消えていった。



「”水竜”…。」

 リチュが真剣な顔で手記を見つめていた。

「本当にいるんだべか…。」

 雑談に飽きたのか気になって来たのか、アルバインとミンミも、リチュとウォルフの足元に座って深刻な顔をしていた。

「ウォルフ?」

 リチュが呼んだ。

「ん?」

「原種エルフィには、『雨乞いの唄』という歌があったよね。」

「ああ。」

「ボク、傭兵になったばかりの頃にお世話になったエルフィの村の長老から、『雨乞いの唄』はある長い長い唄の一節で、この歌自体は”水竜”の目覚めの歌なんだと聞いた事がある。

 ボク、エル・アムルを信仰している訳ではないし、エル・アムルの聖書にもそんな話があったから、てっきりお説教かと思って聞き流してしまったんだけど…。」

「…その村は、どこに?」

「ゴルタダの近くだったよ。大きな村だったし、まだあると思う。」

「ゴルタダか。」

 ゴルタダは、カストダル大陸の南に位置する、ガルルダ大陸西部、エルフィ種の国マルレイン王国の大都市だ。

ガルルダ大陸にはミルグ王国とマルレイン王国が隣り合って位置しており、ほぼ中心には永世中立を謳うルーン共和地区という地区がある。そのルーンとマルレインとの境目にゴルタダがあり、その周辺には農村地区が広がっている。リチュの言う村は、その農村の一つだという事だった。

「南に行ったら、寄ってみるか。」

「んだな。この先、何かの役に立つかもしんねぇし。」

 ウォルフの提案に、リチュが頷き、アルバインも賛成した。その横で、ミンミは一人、深刻な表情のまま俯いていた。

「腹減ったか?」

 アルバインがミンミを覗き込むと、ミンミが急に顔を上げ、序でに右の拳を振り上げた。

「てめぇ!」

「じ、冗談だ! 悪かったっぺ!」

 ひょいと飛び退きながら、アルバインが笑った。

「そろそろ休むか。」

 ウォルフが立ち上がると、みなも一様に頷いた。

「んだなぁ。明日早いっぺ?」

「ああ。日の出前には屋敷を出たい。」

「解った。」

 そう言うと、各々散って、あっという間に眠りに就いた。

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