炎の記憶 5
コタルを出発したのが深夜三時頃。そこから、夜も明けぬうちにメルガニスタの街の灯りを確認した。
ドルトムントの話が確かならば、メルガニスタは今警戒態勢に入っている筈だ。遠巻きに見る街の灯りは記憶している限りの普段と変わらないが、街にはそろそろ、戦争目的の傭兵が集まり出している頃だろう。
ウォルフが手に持っていたランプを南へ翳した。南へ曲がると言う合図だ。
この辺りから南西を目指せば、ゴルタダに辿り着く。
一行は無言だった。疲れもあったが、墓地での告白も影響しているだろう。
話は突き詰めれば一晩では終わらない。走りながら話せる内容でもなく、目的地到着までは、この話は尋ねない、話さないと、みな暗黙の了解をしていた。
やがてゴルタダの街を視野に納める事が出来るようになった頃、空も白み始めた。
日の出と同時にゴルタダの厩舎にランクルを引き渡し、休憩もせずさらに南下しようと話をしていたところ、リチュが右を見ながら「あ。」と声を上げた。
そして、小走りでとある人物へ近付く。見ると相手は若いエルフィの女性だった。女性もリチュを見付けると「リチュ!?」と驚いた。
そして歩み寄ったリチュに腰をかがめ、握手を求めた。
「エルカさん、お久しぶりです。」
「こちらこそ。また会えると信じていたわ。」
エルカと呼ばれた女性はリチュに微笑みかけ、辺りを見回し、ウォルフたちを認めた。
「お友達?」
「はい。」
リチュが頷くと、エルカも頷き「お婆様に会いに来られたのね?」と言った。
「はい。あのお話をもう一度聞かせて欲しくて。」
エルカはリチュの言葉に然も解っていると言う様に頷いた。
「お婆様がお待ちよ。お友達も。」
そしてウォルフに歩み寄ると、
「お役に立てると思います。祖母がお会いしたがっております。」
と言った。
意味を理解できずリチュを見た。
「あの話を聞かせてくれた人のお孫さんなの。
その人は、ボクらが行く事も解っているよ。」
予知でも行うのかと思ったが、話はその祖母とやらに聞けば済む。
ウォルフはここでは何も聞かず、ただエルカに頷いた。
◆ ◆
エルカについて、ゴルタダから南下した場所にある小さな村へと向かう。
村には『イェルシ』という名があったが、ウォルフを始め、一行の誰一人この村を訪れた事もなければ、名も聞いた事がなかった。尤も、不思議な事ではなかった。砂漠の近くだと言うのに森に囲まれ、旅人用の道からは大きく外れ森の中へ深く入らなければ村に辿り着かない。
おまけに村には最低一人は力の強い魔道士が生まれるそうで、彼らの作る結界は非常に強力で、ケモノに襲われる事もないという。
目立たず、ひっそりとあった村は、集落が村の大きさまで発展を遂げてかれこれ五〇〇年は経つと、村までの道すがら、エルカが教えてくれた。
村の入り口には衛兵代わりの村の青年がいて、エルカを見るなり手を振った。
「お帰り、エルカ。」
「ただいま、ラル。お婆様のお客様をお連れしたわ。」
エルカが言うと、ラルと呼ばれた青年は「聞いているよ」と頷いた。
「長旅だと聞きました。小さな村で十分な御持て成しは出来ませんが、どうぞゆっくりして行って下さい。」
ラルはウォルフにそう言うと、微笑んだ。
「ありがとう、お世話になります。」
ラルと握手を交わし、エルカについて村を進む。エルカが向かったのは、村の北端の一角にある民家。周りの家より一回り大きなその家の扉の前には守衛がおり、ここが長や村にとって重要な人物の家である事を明確にしていた。
「こちらです。」
エルカが守衛に「ただいま」と声をかけながら、家の扉を開けた。守衛もラルと同様、ウォルフらが来る事は聞かされているようで、何も言わず会釈で一同を迎えた。
家に入ると、来客用の待合スペースの先に大広間が見えた。その広間の中央にはかなり年季の入った、足の短い木製の大きなテーブルと丸い座があり、テーブルの上にはやりかけの毛編み物が置かれていた。壁に沿って大きな棚も置かれている。
「お連れしたわよ、お婆様。」
エルカが広間へ進みながら、その先にいるらしい誰かに声をかけた。入り口からは見えないが、広間の先にはもうひとつ部屋があるようで、エルカは
棚と棚の間から後ろを覗いた。
「おいでかい。」
部屋の置くから小さく声が聞こえ、暫くして一人の背の低い老婆が姿を現す。エルカがウォルフたちを広間へ入るよう言った。
「私の祖母です。みなさんにお会いしたがっていました。」
エルカが言うと、老婆は一同の顔をなぞった後、ウォルフを見上げた。
「あたしはあんたたち全員の過去を『聞いて』おるよ。」
「どういう事でしょうか。」
ウォルフが尋ねると、老婆は面白そうにしゃがれた声で笑った後、「座りなさい」と言いながら自分も座に腰を下ろした。小さな老婆は座ると子供より小さくなった。
面々顔を見合わせ座に座ると、老婆は再び一同の顔をなぞった。そして、アルミラを見止めると口元を緩ませた。
「ここはあんたにとって相性がいいんじゃないかね。」
「……。」
当然の事ながら、アルミラも訳がわからないので無言でいると、老婆はウォルフに視線を戻し、話し始めた。
「この村は、その昔からエル・ジェルシーと供にあったのさ。四つの大きな国ができる前からずっとね。四つの国がすっかり忘れてしまった歌の事も、ちゃぁんと残っておるよ。あんたらはその歌を求めておるのじゃろうて。」
「はい。」
「それも全部、『聞いて』おるよ。」
「…一体、誰に、ですか…?」
ウォルフが再度尋ねると、老婆は笑った。
「まぁ、そう急く事もない。あんたらにはきちんと『あの方』がお話なさる。ただまだその『時間』じゃないでな。もう少しお待ち。」
老婆はゆっくりと言った。
一同、未だ首を傾げる中、リチュは一度会っている事もあり何も気にしていない様子だったがもう一人、ウォルフも不思議と納得した顔で老婆を見ていた。老婆はその表情を見て、満足そうに頷いた。
「あんたは物分りがいいね。さすがだ。
まぁただぼうっとしていても仕方がないでな。少しだけ話してやろうかね。」
老婆はそう言うと、歌を歌い始めた。
それは、原種エルフィに古くから伝わる『創世記』だった…。
◆ ◆ ◆
古い古い世界は穢れを知らぬ
光輝く意思で溢れる世界
意思は風に流され水に流されてぶつかって合わさり
神になる
しかし神は何も知らぬ
何も知らぬ神は自立が出来ぬ
倒れて壊れた神の欠片は六つの意思を生み出した
真っ白い真っ白い空飛ぶ羽は 自由の約束
意思は言葉と意識を持つ自由を得 世界へ広がる
しかし世界は広すぎる
意思と自由では広がり切らぬ
”生きて動くもの”を作ろう
”生きて動くもの”が欲しい
”生きて動くもの”が欲しい
”生きて動くもの”が欲しい
”生きて動くもの”が欲しい
意思は散らばり”生きて動くもの”を作った
五つの”生きて動くもの”
一つ足りぬ
一つ足りぬ
一つ足りぬ
一つ足りぬ
何故足りぬ
”生きて動くもの”は要らぬ
”生きて動くもの”が欲しい
”生きて動くもの”が欲しい
何故作らぬ
”生きて動くもの”が欲しい
”生きて動くもの”が欲しい
”生きて動くもの”は白くなければならぬ
六つの欠片 一つ汚れた
世界の泥で 一つ汚れた
”汚れ”は落ちぬ
”汚れ”は落ちぬ
”汚れ”は落ちぬ……
◆ ◆ ◆
「これが『雨乞いの唄』に添えられていた『創世記』の原文だよ。」
「元はそんな文章だったの…。」
アルミラが言うと、老婆はほほと笑った。
「んでも、それ最後まで読んでねぇべなぁ。おらたちが知ってる『創世記』は最後、エル・ジェルシーが泣くべ。」
アルバインも言うと、老婆はさらに笑った。
「そうさね。この世界に広まった『創世記』は『最後を創作したもの』だからね。」
さらりという老婆の言葉に、リチュ以外の全員が固まった。
「『最後を創作したもの』…?」
アルバインが聞き返すと、老婆はこくりと頷いて、話しを続けた。
「『創世記』自体を疎ましく思うとる者たちが、最後を変えてしまったんだよ。
わしらが伝え繋げて来た『創世記』は、三人目が汚れが落ちぬ事を嘆いて終わるが、それでは都合の悪い者たちがおってな…。」
「それは、誰だべ?」
アルバインが身を乗り出した。アルバインだけでなく、アルミラも若干肩を強張らせ前のめりになっている。他の者も、態度にこそ出さないが、みな一様に気になっている風の表情を浮かべ、老婆の言葉を待っていた。だが、一同をからかうように老婆は小さく笑うと、
「それは、まだ、お前さんたちが知るべき事ではない。」
と、話を終えてしまった。
「…なぜ?」
少しの沈黙の後、問うたのはミンミだった。
ウォルフがミンミを横目で伺った。ウォルフには、ミンミが今何を思っているのか、手に取るようにわかった。
そして恐らく、道中にミンミの過去を聞いた一同全員が、それを理解しているだろうとも。
『創世記』はエル・アムルを讃えるための基盤となるものだ。それが創作されたものとあれば、エル・アムルの存在を揺るがす事にも繋がりかねない。エル・アムルの存在や、この世界での立ち位置が揺るぐような事があれば、今までエル・アムルを讃え、贄を捧げ続けてきたミンミの村の存在自体が、不安定なものになってくる。
もちろん、これはミンミの村に限った事ではない。この世界の総てが、揺れる事になる。