今世の恨みは今世で
舞踏会の夜、シャンデリアの光は容赦なく人の本性を照らす。
クラリス・ヴァレンティーヌは、背筋を伸ばして立っていた。
噂の中心にいる自覚はある。
「クラリス、この犯罪者め。お前とは婚約破棄だ」
高らかに宣言したのは、婚約者のヴィクトールだった。彼は、この国の第一王子。
貴族の学生が多く通う学園の学生会長でもある。
その隣には、涙ぐんだ伯爵令嬢エミリア。
「ここにいるエミリアはずっとクラリスに虐げられてきた。クラリスの行いは貴族として、王の配偶者になる者として看過できるものではない。証拠もある」
会場がざわめく。
――やはり、この手を使ったか。
クラリスは一度だけゆっくりと瞬きをした。
彼女は、生まれてからこれまでずっと、王国一の令嬢として育てられた。
その矜持は、つい数か月前に貴族として養女に迎え入れられ、何の責任も自覚も持たぬはりぼてには理解できぬだろう。
「その証拠、今ここで示していただけますか?」
静かな声だった。
ヴィクトールは書簡を掲げる。
「ひとつ、伯爵令嬢のエミリアに対して、人格を否定するような暴言を浴びせた。
ふたつ、彼女の出自に対して貶めるような発言をした。
みっつ、ダンスを踊れないエミリアに腹を立て、頬を叩いた。
よっつ、下民と結託して、エミリアを暴漢に襲わせようとした」
つらつらと並べられる罪名も証言も、身に覚えのないもの。
いや、正確に言うと身に覚えがあるものもあるが、かなり大げさに誇張されている。
クラリスは微笑んだ。
――これなら、問題ない。
クラリスは一歩前へ出る。
「殿下。私を断罪するなら、確たる証拠があってのことでしょう? もし、口だけの証拠で私を、我が家を陥れようとなさるなら――」
視線は鋭く、真っ直ぐ。
「私たちも、黙ってはいられません」
数秒の沈黙。
その間に、会場のあちこちで、さまざまな思惑が張り巡らされていた。
――いったいどちらにつくべきか
――立太子間近と言われる、優秀な第一王子が優勢か?
――いや、優秀とはいえ彼の母親は子爵の出。ヴァレンティーヌ家の後ろ盾があってこそでは?
――しかし、エミリア嬢も教会伯爵の一人娘。最近は教会派の貴族が増えていると聞きますよ
「しょ、証拠はきちんと精査しました。王立監査院の印もここに」
第一王子の側近でもあるマルセルが、書簡をこちらに向け、押印の部分を指さす。
それを見て、周囲の空気が変わった。
証拠が本当かどうか、周囲にとってそれはどうでもいい。
どちらの方に益があるのか、優位か。それだけだ。
――なるほど。時間をかけましたのね。
クラリスは静かに周囲を見渡した。
ただの17歳の少女が、大勢に囲まれて糾弾されている。
この状況を見ても誰も手を差し伸べる者などいない。
「ヴィクトール殿下。あなたの護衛に尋ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「…いいだろう」
王立監査院の印を見た瞬間、空気が変わったことはここにいる全員が理解していた。
ヴィクトールも、今からこの状況をひっくり返すことは出来ないだろうと高をくくっていた。
最後のあがきとしてクラリスが何を言おうと、これだけ完璧に作り上げた証拠は覆せない。
クラリスは、最側近の護衛であるエドモンドに目を向けた。
エドモンドは、自分の主人の婚約者のこの目が苦手だった。
空色の瞳を美しいとは思うが、冷たく、感情の見えないこの目に見つめられると、自分が自分でなくなるような感覚に陥るからだ。
「殿下は、ここ数か月で誰と最も頻繁に茶会を開いていましたか?」
少しだけ、空気が揺れる。
嘘の付けないエドモンドは、小さく答えた。
「……エミリア様です」
エミリアの指が震えた。
「おかしいですわね」
クラリスは微笑む。
「お忙しいと聞いていたのに…私と最後に茶会を開いたのは、いつだったでしょうか」
ばつが悪そうな顔をするヴィクトールたちに、クラリスはその冷たい美貌を緩ませる。
「違います、わたしは……!」
「ええ、あなたが悪いとは言っていませんわ。それをするのはヴィクトール殿下のお仕事ですもの」
「クラリス様、ひどい」
「ひどい? 婚約者のある男性と知りながら、頻繁に二人っきりで食事をする相手に冷たくすることが、それほどひどいことでしょうか」
「く、クラリス、本性を現したな。今の言葉、自分の罪を認めたととるぞ」
してやった、という表情でヴィクトールは言葉を突きつける。
それでもクラリスは、いつもの冷徹な微笑みを浮かべたままだった。
「どうぞ、ご勝手に解釈なさってくださいな。王立監査院が“そう”だと言うならば、“そういうこと”になったのでしょう」
ヴィクトールたちは、歓喜で口元が緩むのを止められなかった。
あのクラリスが、いつも冷徹な笑みを絶やさない、感情の見えないクラリスが、あの完璧なクラリスが陥落した。これほどあっけなく。簡単に。
それに、“ヴィクトールに近づくエミリアに嫉妬した”ともとれる発言。
この言葉に、ヴィクトールもエミリアも言いようのない優越感が湧き出るのを感じた。
あの完璧なクラリスが、数か月前までは平民だった少女に嫉妬した。
あの美しく完璧なクラリスが、第一王子への愛情ゆえに、伯爵令嬢に嫉妬したのだ。
「それで?」
クラリスの一言に、ヴィクトールはハッと我に返った。
「な、なにがだ」
「晴れて私は犯罪者となったようですが、この後は? 貴族法の例にもれず、自宅謹慎をすればよろしいのでしょうか」
「いや、お前はまだ第一王子の婚約者の身。すでに王族としての教えを受けているため、準王族の扱いとして王宮の離れに収容される。そこで沙汰を待つように」
その声を皮切りに、近衛兵がクラリスを拘束した。
それでも、クラリスの表情は変わらない。
まるで、彼女を拘束する近衛兵がただの取り巻きのようだった。
その気高さ、あまりの美しさに、周囲は一つの疑問を抱く。
――本当に、彼女が甘んじて罪を受け入れるのだろうか。
――本当は、すでに手を打っているのでは?
そう思わせてしまうくらい、クラリスは落ち着いていた。
ヴィクトールたちも、肩透かしを食らったような気分だった。
もっと感情を荒立て、場合によってはエミリアに殴りかかることも想像していた。
拍子抜けだった。
「…本当に、これで終わりなんでしょうか」
クラリスの華奢な後姿を見送り、マルセルは小さく呟いた。
「王立監査院の印章が決め手だったんだろう。これを覆すことは王族ですら難しいからな」
「なんにせよ、これで完全勝利だ! この後が忙しくなるだろうが、とりあえずは祝杯を上げよう!」
エドモンドの一声で、四人はそれぞれグラスを持って高く掲げた。
「完全勝利と、これからの輝かしい未来へ…」
「「「乾杯!」」」
宴は、遅くまで続いた。そして、夜が明けた。
勝利の美酒に酔い、珍しく朝寝にふけるヴィクトールたちは、気付いていなかった。
クラリスが収容された離れに、世話のために入った侍女の悲鳴。
散乱したガラス。血の気のない雪の肌。
その夜、クラリス・ヴァレンティーノが死んだ。




