7、花の盛りに女神は微笑む
三日後。リューとメグが作業室で、魔道具に魔力を込める作業を行っていた時。
「リューよ。そなた、ドミニク・トーマス筆頭顧問の使い魔について、何か掴んだのではないかの?」
ドアの近くに控えているミッキーに気付かれないように素早くメグと交代した姫御子が、焦れた様子でそう囁きかけてきた。
その表情の愛らしさに、リューは思わず微笑んだ。
「そのことなのですが、あと一時間ほどで、お望みが叶うかと」
果たして一時間後、ドミニクが一人の女性を伴って作業室に現れた。
「……その、これから妻を連れて近くのカフェに行くのだが、君たちも、一緒にどうかと思ってね」
ドミニクは作業室にいるのがメグではなく、姫御子だと気付いたのだろう。恭しく一礼すると、手でタレイアを示した。
「コガ嬢。ご紹介するのが遅くなりましたが、彼女が我が妻のタレイアで、元は皇国西南部に住んでおりました。種族はアマビエです」
「これは何とも見目良き女人じゃな。その名の通り、花の盛りの山桜の、それも若木を見るような思いがする」
姫御子は、はしゃいだ様子でそう言った後、はっとして口を抑えた。それから、少し決まり悪そうに微笑んだ。
「済まぬ。妾はそなたに会いたいと思うておったのじゃ。会うて感謝を伝えたかった」
実は姫御子が守り役の二人と皇国から亡命する際に大いに助力してくれたのがドミニクだ。しかし、それはタレイアの勧めがあったからだとドミニク本人から聞かされていた。
ドミニクがタレイアに会わせてくれないのなら、せめて手紙か贈り物でも、と思ったが、魔物は種族によって忌む物がある。ごく稀だがインクや墨を忌む種族もあるのだ。だから正体だけでも知りたかった、と。
表情を改めた彼女は、淑女らしくタレイアに一礼し、皇国語でタレイアに話しかけた。タレイアもまた皇国語で応じ、最後に二人は笑顔で手を取り合った。
姫御子はリューに太陽のような笑顔を向けた。
「タレイアが、友になってくれるそうじゃ。これも、リューのおかげじゃな」
リューはその笑顔と言葉で充分報われたと思った。
その姫御子に対し、ミッキーが守り役らしく皇国語で何か小言らしきことを聞かせた。だが彼女はぺろりと小さく舌を出すと、すぐにメグと交代した。
メグが、目をぱちくりとさせた。
「……トーマス筆頭顧問と、こちらのご婦人は、奥様でしょうか?」
リューは改めてメグに紹介した。
「メグさん、こちらのご婦人はタレイア・トーマス夫人です。種族はアマビエでいらっしゃいます」
五人が聖騎士団本部の玄関まで来ると、ヒルダとオシアン、シェーンと、見慣れない女性が待っていた。グラマラスな体型の美女で、纏うのは仕立ての良いワンピース。肩のところで切り揃えられた黒髪が特に印象的だった。
「……もしや、大聖女様でいらっしゃいますか?」
リューがそう尋ねると、美女は妖艶な微笑みを浮かべた。
「いつも言っているだろう。その呼び方は嫌いだからベッキーと呼ぶように、と」
一日貸し切りにしたカフェの中には、ベッキーが用意した満開の桜の枝が、溢れんばかりに活けられていた。
今日の茶会は、リューがシェーン、ヒルダ、ベッキーの三人に声をかけて企画したものだった。タレイアとドミニクが聖騎士団本部の外で、皆と気兼ねなく楽しめるように、と。
「『木を隠すなら森』だよ。タレイアは魅了持ちだけれど、それよりも更に強い魅了の力を持つ者が側に三人もいれば、流石に霞むだろう?」
大人の姿となったベッキーが、得意げに説明した。こちらが彼女の真の姿で、この状態のベッキーはオシアンと同等の魅了能力を持つ。シェーンも同様だ。
「……まさか聖騎士団関係者に、それほど強力な魅了持ちが御三方もいらしたとは」
リューがそう言うと、ベッキーは向かいの席でにやりと笑った。
「内緒だよ。媚薬の原料にされたくはないからね」
「……言い触らす理由がありませんよ」
ミッキーは魅了の影響が及ばないように少し離れていたが、魅了の効かないリューでさえ、どうにも落ち着かなかった。
ふと左隣りのメグを見ると、彼女は自分の左隣りのタレイアと夢中になって話をしていた。皇国語なので内容までは分からない。リューはそれを少し寂しく思う一方、心から楽しそうなメグの様子を見られて嬉しくもあった。春の日差しのような彼女の笑顔に、ついつい見惚れてしまう――。
「リューは分かり易いな」
斜め向かいのヒルダがそう言ったので、リューは我に返ってそちらを見た。
「え?」
「今、オシアンと同じ表情をしていたからさ」
ヒルダの思いがけない一言に、リューは一瞬、返す言葉が見つからなかった。
「ちょっと寂しそうだったから、きっと結構独占欲が強いんだろうに、それでも相手が喜んでいるのがものすごく嬉しい、って感じだった」
アーケイディア単科大学では鬼教官だの、「ヘラクレスの再来」だのと言われているヒルダだが、リューに向ける目は優しかった。
「君の事情はオシアンから大体聞いている。でも、大丈夫だよ。君は自分の欲求を満たすことよりも、相手の幸せを優先出来る子だからね」
リューは少し自信がなかった。
「そうでしょうか?」
ヒルダが溌剌たる笑顔で胸を張った。
「私はこう見えて、見る目はある方なんだ。何しろ、最高の男としか結婚したことないからな」
その言葉には妙に説得力があった。実際、見る目がなければ騎士として生き抜けなかっただろう。幾ら彼女が人間離れした強さの持ち主だとしても。
ベッキーが頷いた。
「そうだね。今のリューは確かに未熟だし、足りないものも多い。でも自分を磨くことと相手を思いやることを忘れなければ、幸せになれる道はあるはずだ。不安な時は私たちにも相談すると良い。私もシェーンもそれなりに長生きしている分、出来ることがあると思うよ」
「そうそう。ハワードもさ、すっかり魔力と体力のお化けに育った今でも、分からない時や困った時には、よく誰かに相談したり、手を借りたりしてるからな。ここにいる私たちだけじゃない、エズメやヴィーナスやアーセン、それからコガ嬢や君にも」
確かにハワード卿はそうしている、とリューは頷き、ふと首を傾げた。「ヘラクレスの再来」から魔力と体力のお化けと評されるハワード卿とは。
「私はオシアンとの手合わせで勝てたことがないんだけど、そのオシアンもハワードには勝てないんだよ。ハワードこそ生粋の人間のはずなのにさ」
ヒルダが溜め息混じりにそう言い、ベッキーが同意した。
「全くだよね。……まぁ、おかげで去年は遠慮なくハワードに虎退治を頼めたのだけれど」
「猫型妖精の王に比べたら、虎なんて普通の猫だよな。魔法を使うわけじゃないし」
二人の話を聞いたリューは思った。今後ハワード卿には絶対に逆らわないでおこう、と。
* *
翌日。メグが箏の稽古の前に、ある古謡を弾き始めた。リューが去年、メグから教えてもらった曲の一つだ。
見渡す限り咲き誇る桜を讃美するその曲は、実は秋の豊かな実りを予祝するものでもある。
リューもまた、メグに合わせて箏を奏で始めた。去年初めてそうした時には、メグが驚いて曲を中断させてしまったが、今ではメグも慣れたもので、優しく微笑みながら、自分の方でもリューに合わせてくれる。
楚々としたメグの箏の音色に、華やかなリューの箏の響きが重なる。柔らかな春霞の中、桜が咲き誇るように。
「琴瑟相和す」という言葉をリューは思い出した。
――どうかこのひと時が、二人の未来の予祝となりますように。
二人の今後は分からない。
けれどもその日、二人は初めて呼吸を合わせたまま、その古謡を弾ききったのだった。
ヒルダは意外と見る目はあるのですが、とある部下の更生を諦めきれず、裏切られたことも。
リューは姫御子の部分とメグの部分、どちらが裏の人格で表の人格だとも決めつけずに、彼女の全てが好きだと思っています
最後にリューとメグが弾いている曲は「さくら さくら」です。予祝は成功しましたので、きっといつかは……。




