2、若い女神は唆す
きっと先週の始めのリューだったなら、メグの申し出に他愛もなく喜び、髪を結ってもらったことだろう。
アーケイディア単科大学にいた頃から、彼はメグに強く惹かれているのだから。
しかし、彼は先週金曜日にオシアンから忠告を受けて以来、少し冷静に自分と相手を見つめ直すようになっていた。
そうして冷静にメグを見つめると、彼女がリューを恋愛対象として意識していないことに、嫌でも気付かざるを得なかった。
そもそもメグが自分を異性と認識しているかどうかすら怪しい、とリューは思った。
多くの人々は、リューの容貌を少女と見紛う美しさだと褒めそやす。しかし、いくら人々から賞賛されても、リュー自身は自分の容貌があまり好きではない。
何故なら、この顔のせいで、欲しくもない好意と執着を寄せられるか、さもなければ、異性として認識されないか。女性たちの反応は、大体その二つしかないからだ。
他の女性たち相手なら、後者の反応の方がまだしも、と思うのだけれど――。
彼は、硬直しているメグと目を合わせることが出来なかった。
「……急に大声をあげてすみません。ですが、少なくとも私の故郷では互いの髪を梳いたり、結ったり、解き合ったりするのは、幼い子ども相手でなければ、夫婦か、……主人と妾の間でしか許されないことでしたから」
メグが息を飲む音が聞こえた。けれどリューの言葉は止まらなかった。
「勿論、貴女が私とそういう関係を結びたいなどと思うはずがないことは分かっています。きっと貴女は、弟か……妹でしょうか、幼い相手にそうするような気持ちで仰ったのでしょう。しかし、それは私にとっては大いに屈辱的なことです。これでも私は、貴女と同い年の男ですから」
それ以上同じ部屋にいることに耐えられなくなり、リューは器楽練習室を飛び出した。
……こういう時、自分がオシアンか、せめてハワード卿と同じ程度には大人だったら良かったのに、と思いながら。
リューはそのまま、聖騎士団長の執務室に行き、団長代行のトミーこと富田次郎に談判した。
「メグさんと密室で二人きりになるわけにはいかないので、彼女にどなたか付けて頂けませんか?」
トミーはぎょっとした顔でリューを見たが、リューの説明を聞いて少し安堵の表情を浮かべた。
「なるほど。それは姫様の方も、少しばかり良くなかったな。分かった、これからリューと姫様が二人きりになりそうな時には、俺かミッキーが姫様に付き添うことにしよう」
以上のような経緯があって、現在、メグとの関係はどうにもぎくしゃくしている。メグが何処か怯えているようにも見えるので、リューから踏み込むのも躊躇われる。
多分、異類婚の「代償」だとか、タレイアの正体だとか、そういうことが気になるのは、この膠着状況のせいに違いない。無理にでも違うことを考えなければ、メグのことで頭がいっぱいになってしまうから。
いや、やはりメグのことを頭から振り払えないことに変わりはないのだ。何故なら――。
「どうした、リュー。今日は集中力が欠けているぞ」
ミッキーの声が聞こえて、リューは我に返った。
「……すみません」
ミッキーが心配そうにリューの額に手を当てた。
「顔色が良くないな。具合が悪いのか?」
「いいえ、大丈夫です」
実のところ、ここ数日あまり眠れてはいなかった。だが、リューはそれを正直に告白出来るほど無邪気ではなかった。
「リュー、今日は休んだ方が良い。守護者は聖騎士団の『心臓』だ。その『心臓』のお前に、何かあっては困るからな」
心配そうなミッキーの言葉に、リューは思わず小声で返した。
「……寮に戻っても、どうせ眠れるわけがない」
「それならせめて、仮眠室で――」
「……ここに、いたい、です」
リューがそう言い張ると、ミッキーは根負けしたように言った。
「隣の部屋から毛布を持って来るから、そこの長椅子で横になってろ。……姫様は、リューから離れて、ドアの側で待っててくださいね。絶対に、ドアは閉めないようにしてください」
リューが長椅子に横たわって目を閉じると、すぐ側で、メグの声がした。
「ミッキーったら、まるで、リュー君が流行り病にでもかかったような言い方をするんだから」
どうやら少し憤慨しているらしい様子に、リューは力なく笑った。
「……ある意味、病のようなものだと思います」
「……あの、この前はごめんなさい。私、何も知らなくて。リュー君のことを自分よりも年下だとか、男の方ではないとか、そんなことを思っていたわけでもなくて……」
ああ、この人はずっとそれを気にしていたのだな、とリューは思った。
「……いいえ、私も言い方が良くありませんでした。……ごめんなさい、メグさんは悪くありません。……悪いのは私なのです」
彼女こそ、彼が何より大切にしたい唯一の想い人なのに、リュー自身に余裕がないばかりに、こうして気に病ませてしまう。なるほど、アーセンが「君にはまだ結婚は早過ぎる」と言うはずだ。
「リュー。ところでそなた、タレイアのことが気になっておるようじゃな?」
急にメグの気配が変わった。リューは、その理由を知っていた。
「娘娘、お見苦しいところを御目にかけて、申し訳ありません」
メグの正体は、皇国の日の女神の姫御子。人から生まれた、人にあらざる存在だ。
普段はメグとしての意識の方が表に出て、姫御子の意識は隠れているのだが、姫御子はリューのことを気に入っているのか、時折こうして、二人きりの時に表に出て来ることがある。
だがリューには「ヒメミコ」という発音が難しいので、とりあえず「娘娘」と呼ばせてもらっている。
姫御子は鷹揚に言った。
「構わぬ。先日の件で、そなたに気に病ませてしまって済まなんだ」
彼女の気配と香の香りが近付いて、リューはますます目を開けられなくなった。
「それよりも、タレイアの件じゃが、実は、妾もその正体が知りとうてたまらぬのじゃ。そなたは聡い故、妾の知る限りの情報を与えれば、わかるのではないかの?」
無邪気に宣う姫御子に、リューは微笑み、「お望みとあらば」と答えた。
姫御子はくすっと笑って告げた。
「あれは、豊富な知識と予知能力を持つが、白澤ではないそうじゃ」
「何故、白澤だとお考えになったのですか。知識と予知能力を持つ魔物ならば、他にもいると思うのですが」
リューが尋ねると、姫御子の気配が遠ざかった。
「済まぬ、そろそろ五助が戻って来るようじゃ。まったく、そなたが妾に付き添いを付けるよう、次郎に進言したばかりに」
「そうでもしなければ、臣は貴女方の美しさに目が眩み、何かご無礼を働くやもしれません」
リューは真面目に答えたのだが、姫御子はくすり、と笑った。きっと、その黒い瞳は、悪戯っぽく輝いているのだろう。
「そなたは、実に愛い者じゃな」
「どうか、そのようなお戯れは仰いませぬよう」
さもなければ、また勘違いしてしまいそうだから、とリューは心の中で付け加えた。
「そうじゃ、もう一つ。愛子が、そなたを幼き者とも、女子とも思うておらぬと言うたのは本心からじゃ。そればかりは、そなたに解ってもらえると嬉しく思う」
承知いたしました、と答えようとして、リューはもう自分の口が開かないことに気付いた。きっと、このまま眠りに落ちてしまうのだろうことも。
目が覚めた時、リューの身体には毛布が掛けられていた。
長椅子の足元には使い魔の火焔狐が主人を守るべく座っていたが、既にメグとミッキーの姿は室内になかった。
オシアンとハワード卿が「買い被り過ぎだ」と言いそうです。彼らにも、それぞれの奥方と気持ちが通じる前には色々なことがあったはずですから。
姫御子は、思ったことを無邪気にそのまま言ってしまうタイプです。メグが淑やかな性格なので、その反動もあるのかもしれません。




