王太子の婚約者選定会の「審査員A」ですが、私の採点基準が厳しすぎて、合格者が私だけになりました
王国の次期国王、フリードリヒ王太子の婚約者選定会。
それは国中の令嬢たちが憧れる、至高の舞台である。
シャンデリアが輝く大広間には、選りすぐりの公爵令嬢や侯爵令嬢、そして近隣諸国の姫君など、総勢三十名が集められている。
皆一様に最高級のドレスに身を包み、扇子で口元を隠し、優雅に微笑む。
美しい、実に華やかである。
ただし、それは『平時の花畑』としての話だ。
「嘆かわしい……」
私、ヒルデ・フォン・アイゼンは、バインダーに挟んだ審査用紙に赤ペンを走らせながら呟いた。
王宮筆頭侍女であり、今回の婚約者選定における『審査員A』を任された私、齢二十二。
銀色の髪を後ろに束ね、伊達眼鏡をかけ、常に背筋を定規のように伸ばしている私。
その厳格さから、『王宮の鉄女』、『歩くマナー講師』などと呼ばれ、新人の侍女たちから恐れられている。
そんな私の使命はただ一つ。
この国の未来を背負う王太子殿下にふさわしい、『最高の王妃』を選出することにある。
「ヒルデ様、先ほどから溜息ばかりですが、何か問題でも……?」
隣にいた審査員B(礼儀作法の老教師)が、おどおどと尋ねてきた。
「問題しかありません。あの侯爵令嬢を見てください。お茶を飲む角度が三度ズレています。あの公爵令嬢は刺繍の手際が遅すぎます。あのような速度では、戦場で兵士の傷を縫い終える前に失血死してしまいます」
「あ、あの……王妃様が戦場で手術をする予定はないかと……」
「甘いです! 王妃たるもの、いつ何時、敵軍に包囲されようとも、優雅にお茶を啜りながら止血処置ができる程度の胆力がなくてどうしますか!」
私は審査用紙に大きく『不合格』の印を押す。
王国は強国だ。ゆえに敵も多い。暗殺、誘拐、政略結婚の罠。王妃になれば、それら全てが日常となる。
ただ微笑んで手を振るだけのお飾り人形など、三日で胃に穴が開くか、物理的に排除されて終わりだ。
「よろしいですか、皆様」
私は眼鏡を中指で押し上げ、凛とした声で会場に呼びかけた。
ざわめきが静まり、令嬢たちの視線が私に集まる。
「これより、第二次審査『危機管理能力テスト』を行います。王妃には、いかなる緊急事態においても動じない『優雅さ』と、自らの身を守る『護身能力』が求められます」
令嬢たちが顔を見合わせる。
護身? 優雅さ? 何をするの?
困惑の空気が漂う。
「テストは簡単です。今から私が合図をします。皆様はその場でお茶会を続けてください。ただし、何が起きても動じないこと。そして紅茶を一滴もこぼさないように」
私が指をパチンと鳴らす。
その瞬間、会場の四隅に配置されている王宮魔法師たちが、一斉に杖を掲げる。
「放ちなさい!」
無数の光の矢が、令嬢たちのテーブルめがけて放たれる。
もちろん当たっても痛みだけで、怪我などしない模擬戦用の魔法だ。
だが、その視覚的恐怖は本物と変わらない。
「きゃあああああっ!?」
「何よ、これぇぇぇ!?」
会場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
腰を抜かす者。
テーブルの下に潜り込む者。
悲鳴を上げて逃げ惑う者。
ティーカップは砕け散り、ケーキは無惨に踏み荒らされた。
「全滅ですか」
私は冷ややかな目で、その惨状を見下ろす。
誰も、お茶を守ろうともしなかった。
いや、それ以前に飛来物への対処がお粗末すぎる。
「ちょ、ちょっと! 頭おかしいんじゃないの!?」
瓦礫(ケーキの残骸)の中から、一人の公爵令嬢が立ち上がり、私に食ってかかる。
彼女は髪を振り乱し、ドレスをクリームまみれにしながら、顔を真っ赤にしている。
「突然、魔法を放つなんて、殺人未遂もいいところよ! こんなことは王妃選定に関係ないわ! 私たちは兵士ではなく、淑女なのよ!」
「いいえ、関係大ありです」
私はバインダーで飛んできた流れ弾を弾きながら、平然と答えた。
「公務中のパレードで狙撃される確率は? 舞踏会に暴漢が乱入する可能性は? 王妃とは、常に死と隣り合わせの職業です。この程度の魔法矢で取り乱すようでは、外交の席で隣国の海千山千の古狸たちに食い殺されますよ」
「だ、だからって、こんなことできる人なんているわけないじゃない!」
彼女の叫びに、他の令嬢たちも「そうだ、そうだ!」と同意する。
なるほど、どうやら彼女たちは、私の基準が理不尽な虐めだと思っているようだ。
これは認識を改めていただかなければ。
「こんなことは人にできないですか。いいえ、これは『最低限の嗜み』です」
私はバインダーを審査員Bに預けると、優雅にスカートの裾を摘み、ホールの中央へと歩み出た。
そして魔法師たちに目配せをする。
「実戦形式で放ちなさい!」
「し、しかし、ヒルデ様……」
「やりなさい!」
私の命令に魔法師たちが恐る恐る杖を構える。
先ほどよりも速く鋭い光の矢が、私めがけて放たれた。一発ではない。十発、二十発、全方位からの飽和攻撃。
私は手元の扇子をバッと広げる。
カキンッ! 初弾を扇の親骨で弾く。流れるような動作で体を回転させ、スカートの遠心力で二発目を叩き落とす。
「お茶の時間は、このように静かに楽しむものです」
私は優雅に微笑みながら、ステップを踏む。
それは回避行動でありながら、洗練された舞踏のようでもある。
右へ、左へ、最小限の動きで矢を躱し、避けられない軌道のものは、扇子の先で正確に軌道を逸らす。
硬質な音がリズムを刻む。
私はその合間に、テーブルの上のポットを手に取り、新しいカップに紅茶を注ぐ。
高い位置から一滴もこぼさずに。
「終わりです」
最後の矢を指で挟み取り、私はカップをソーサーに置いた。
湯気が立つ紅茶、傷一つないドレス、乱れのない呼吸。
シーンと会場が静まり返った。
令嬢たちは口をポカンと開け、魔法師たちは杖を取り落としている。
「ご覧の通りです。王妃たるもの、矢の雨の中でも優雅にティータイムを楽しめなくてはなりません」
私は紅茶を一口含み、審査員席へ戻った。
「文句のある方は? もう一度チャンスを差し上げてもよろしくてよ?」
私の言葉に令嬢たちは青ざめ、次々と「じ、辞退させていただきますわ!」と叫びながら会場から逃げ出した。
蜘蛛の子を散らすような撤退劇。
あっという間に会場には私と、呆然とする審査員B、そして魔法師たちだけが残された。
「はぁ……また全滅ですか」
私はがっくりと肩を落とした。
厳しすぎただろうか?
いや、そんなことはない。
前回の『ドラゴンの素手討伐テスト』よりは手加減したつもりだったのだが。
最近の若い令嬢は根性が足りない。
これではフリードリヒ殿下の背中を預けられるパートナーなど、百年経っても見つからないだろう。
その時だった。会場の二階にあるバルコニー席から拍手の音が降ってくる。
「見事だ……」
私はハッとして顔を上げる。
金髪をなびかせ、面白そうなものを見つけた子供のように目を輝かせている青年、フリードリヒ殿下その人だった。
「殿下!? いつの間に」
「最初から見ていたよ、ヒルデ。いや、素晴らしい『扇の舞』だった。あんな芸当ができる者は、騎士団長以外で初めて見たぞ」
殿下が手すりに身を乗り出し、私を熱っぽく見つめている。
まずい。殿下は『強い者が好き』という、少々変わった趣向の持ち主だ。
私は慌てて居住まいを正し、審査員としての仮面を被り直す。
「恐縮です、殿下。しかし残念ながら、今回の候補者も全滅でした。私の指導不足で……」
「いや、いいんだ。あのような軟弱な令嬢たちに、私の横は務まらないからな」
殿下はニヤリと笑った。
「そこでだ、ヒルデ。審査基準が厳しすぎて合格者がいないのであれば、その基準を作った『本人』がなればいいのではないか?」
「はい……?」
私は耳を疑った。
殿下は、今なんと仰られた?
「ヒルデ、お前だ。矢を弾き、茶を淹れ、ドラゴンまで素手で狩れる。さらに教養もマナーも完璧。灯台下暗しとはこのことだな。私が求めていた『最高の王妃』は、審査員席に座っていたのだな」
「……ご冗談を。私はただの侍女であり、審査員に過ぎません」
「冗談か、私はいつだって本気だぞ」
殿下はバルコニーから飛び降り、音もなく私の目の前に着地する。さすが、この戦闘国家の王太子だ。
彼は私の手を取ると、その場で跪いた。
「ヒルデ・フォン・アイゼン。君を審査員の任から解く」
「……では、クビですか?」
「いいや、君を『最終合格者』として認定する。私と結婚してくれ、ヒルデ。君となら、どんな戦場(公務)でも生き残れそうだ」
至近距離で見つめられる、王家の碧眼。
私は冷静に分析した。
この状況における私の生存確率は?
回避ルートは?
……計算不能。
なぜなら、私が課した無理難題をクリアできる者など、この国で私しかいないからだ。
(これは、とんでもない自爆だわ……)
私の採点基準が厳しすぎて、合格者が私しかいなくなった。
その事実に気付いた時、私は初めて飛来する矢を前にした時よりも、冷や汗をかいたのだった。
◇
「お断りします」
翌日、王宮の執務室にて、私はフリードリヒ殿下の前に書類を差し出した。
それは『婚約誓約書』ではなく、綺麗に整えられた『辞表』である。
「なぜだ、ヒルデ? 昨日の君は完璧だった。あの矢を弾く身のこなし、あの胆力。歴代のどの王妃候補よりも素晴らしいではないか」
「殿下、私は侍女です。使用人が王妃になどなれば、国の序列が乱れます。それに……」
私は眼鏡を中指で押し上げ、冷徹に告げる。
「昨日の私の行動は、あくまで『侍女としての護衛』の範疇です。王妃として国母になる覚悟も、殿下への愛も持ち合わせておりません」
完璧な正論だ。
これで殿下も諦めるだろう。
そう思っていたのだが、殿下は口角を上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「愛がないなら育てればいい。覚悟がないなら試せばいいだけだ」
「はい……?」
「ヒルデ、お前に『最終試験』を課そう。これに合格できなければ求婚は諦める。さらに辞表も受理することにしよう」
殿下の瞳が輝いている。
嫌な予感しかしない。だが、このまま執着されるよりは、試験にわざと落ちて諦めてもらう方が得策だ。
「……承知いたしました。その試験をお受けします」
「よし、では行こうか。城下街へ」
「……城下街ですか?」
「ああ、今回の試験内容は、『お忍びデート』だ」
◇
連れてこられたのは、王都の目抜き通りだった。
お忍びということで、殿下は平民風のジャケットを羽織り、前髪を下ろしている。
私は地味なワンピース姿。
しかし、隠しきれない王族オーラと、私の職業病である直立不動の姿勢のせいで、周囲から浮いている気がしてならない。
「ルールは簡単だ。今日一日、お前は『侍女』でも『審査員』でもなく、私の『恋人』として振る舞うことだ。一度でも職業病が出れば、お前の負けだ」
殿下はそう言うと、自信満々に私の前に肘を差し出す。
「さあ、腕を組め。エスコートしてやる」
「……し、失礼いたします」
私はためらいがちに殿下の腕に手を添える。
試験開始だ。
私はただの恋人。甘く、可愛らしく、殿下に寄り添えばいい。それだけで私の自由(退職)は約束される。
しかし、歩き始めて五分で、私の眉間には皺が寄っていた。
――歩幅が広い。
殿下の歩く速度が速すぎるのだ。
彼にとっては散歩のつもりだろうが、ドレスシューズを履いた女性にとっては競歩レベル。
本来なら、男性は女性の半歩先へ歩調を合わせて歩くべきである。
(減点一。配慮が足りませんね)
さらに人混みの中を進む際、殿下は興味のある露店を見つけると、私の手を引いて急旋回する。
(減点二。貴人のエスコートにおいて、急な方向転換はマナー違反。三半規管の弱い令嬢なら目を回しますよ)
極め付けは休憩のために立ち寄ったカフェでの振る舞いだった。
殿下は上機嫌で椅子を引き、私を座らせたまではよかったが、メニューを見る際に足を組み、頬杖をついたのだ。
プツン。私の中で、何かが切れた音がした。
それは恋人を演じる理性の糸であり、同時にマナー講師としてのスイッチが入る音。
「殿下……」
「どうした? 何を頼む、ヒルデ。ここのパンケーキは絶品らしいぞ?」
「姿勢が悪うございます」
私は低い声で告げると。殿下が目を見開いた。
「何?」
「背筋が曲がっています。足は組まない。頬杖をつかない。王族たるもの、いかなる時も国民の模範となる美しい所作を保ってください」
「な、なるほど。だが、今日はお忍びデートだ」
「お忍びだろうと関係ありません。品格とは、ふとした瞬間に滲み出るものです。そのだらしない座り方は、王家の権威を失墜させる行為に他なりません」
私はテーブルの下で、殿下の足を爪先でコツンと小突き、姿勢を矯正させる。
すると、殿下は慌てて背筋を伸ばした。
「そ、そうだな。すまない」
「それから先ほどのエスコートも落第点です。女性の歩幅に合わせず、自分のペースで歩くなど言語道断。あれではエスコートではなく『連行』に等しいです」
「うっ……」
「さらに言えば、露店を見る時の視線の配り方が散漫です。護衛がいない状況下では、周囲360度への警戒を怠らないでください。右斜め後方の男性、あれはスリですよ」
私は流れるようにダメ出しを続けた。
止まらない。一度口火を切ってしまえば、今まで溜め込んでいた『審査員魂』が暴走を始めてしまうのだ。
「ヒルデ、恋人の演技は……?」
「お黙りください。今は教育的指導の時間です」
私は眼鏡を中指で押し上げた。
完全に試験の趣旨を忘れている。だが、目の前の『未完成な王太子』を放置することなど、筆頭侍女のプライドが許さないというもの。
その時、カフェの入り口が騒がしくなる。
「おい、店長を出せ! この茶に虫が入っていたぞ!」
怒鳴り声と共に、粗暴な男たち数人が入ってきた。
いわゆる『タカリ』だ。質の悪い因縁をつけて金を巻き上げようとするチンピラたち。
店内が凍りつく。
店員が青ざめて謝罪するが、男たちはテーブルを叩いて威嚇を続けている。
殿下の目が鋭くなった。
正義感の強い彼のことだ。身分を明かして介入するか、あるいは武力で制圧しようとするだろう。
だが、それは二流のやり方だ。
王族が市井の揉め事に直接介入すれば、後々面倒なことになるのは明白。
殿下が腰を浮かた、その瞬間。
私はスッと立ち上がり、彼を片手で制した。
「座っていてください、殿下」
「だが……」
「三流の劇を見せられるのは、食後のデザートには重すぎます」
私は静かに、しかし威圧感のある足取りで男たちのテーブルへと近付く。
男の一人が私に気付き、下卑た笑みを浮かべた。
「あぁ? 何だ、姉ちゃん? 俺たちの邪魔をする気か?」
「邪魔など滅相もありません。ただ、少し気になりまして」
私は男が指差したティーカップを上から覗き込む。
そこには、確かに小さな羽虫が浮いている。
「なるほど。確かに虫ですね」
「だろ! だから慰謝料払えって言ってんだよ!」
「ですが奇妙ですね。この店で提供されている紅茶は『アッサム』。湯温は95度以上で抽出されます。もし提供時に虫が混入していたのであれば、虫は熱で変色し、羽が丸まっているはず。ですが、この虫はまるで今しがた飛び込んだかのようにピクピクしています」
「……あ、あぁ!?」
「さらに言えば、貴方の袖口。小さな瓶の蓋が見えていますが?」
私の指摘に男が慌てて袖を隠す。
図星だ。周囲の客たちが「ああ、やっぱりか」という目で彼らを見始める。
「て、てめぇ! 言いがかりつける気か!」
男が逆上し、私に掴みかかろうと手を伸ばす。
暴力に訴えるとは、愚か者の典型だ。
私は一歩も動かず、ただ冷ややかに彼を見下ろした。
「おやめなさい。私の体を触れば、貴方は『傷害未遂』の現行犯となります。さらに、この店は王宮御用達の商会が経営しております。営業妨害となれば、衛兵だけでなく、王宮法務局が出てくることになりますが……よろしいので?」
「お、王宮だと……?」
「私の記憶が確かならば、不当要求および業務妨害の罪は懲役三年以下の労役。今ここで退けば、ただの『マナーの悪い客』で見逃して差し上げますが?」
私が一歩踏み出すと、男たちは気圧されたように後ずさる。
暴力ではない。権威と理路整然とした言葉による制圧。
彼らは分が悪すぎると悟ったのか、捨て台詞を吐いて逃げるように店を出て行った。
店内に拍手が起こる。
私はスカートの埃を払い、何事もなかったかのように殿下の席へと戻った。
「お待たせいたしました。さて、説教の続きですが」
「……」
殿下は、呆然と私を見ると、ゆっくりと口を開いた。
「ヒルデ、今の対応は……」
「はい。侍女として、場の空気を乱す不届き者を排除いたしました。出過ぎた真似をして申し訳ありません」
「違う、そうではない」
殿下は身を乗り出し、私の手を取った。
その瞳は、先ほどまでとは比べ物にならないほど、熱狂的な光を宿していた。
「完璧だ! 武力に頼らず、法と論理で相手を制圧するあの威厳! まさに『王妃の外交手腕』そのものではないか!」
「……はい?」
「今のお前は、どの国の外交官よりも雄弁で、どの将軍よりも頼もしかったぞ! やはり、私の目に狂いはなかった。ヒルデ! お前こそが、この国の王妃になるべき女性だ!」
殿下が感極まったように叫んだ。
周囲の客たちが「え、王妃?」「あのイケメン、まさか殿下?」とざわつき始めた。
私は天を仰いだ。
試験は不合格(=恋人役としては失敗)のはずだ。
けれど、どうして殿下の求婚ゲージが限界突破しているのだろうか。
「殿下、声が大きいです」
「気にすることはない! ヒルデ、お前のその厳しさこそが、私には必要なのだ!」
どうやら私は、王太子の『指導係』兼『最強の盾』として、捕捉されてしまったようだ。
私の平穏な侍女生活が、音を立てて崩れ去っていく。
◇
お忍びデート(という名の教育的指導)から戻った翌日。
私は王宮の最奥にある『謁見の間』に呼び出されていた。
目の前には、この国の最高権力者である国王陛下と、王妃殿下。
そして私の隣には、なぜか誇らしげな顔をしたフリードリヒ殿下が立っている。
「面を上げよ」
国王陛下の重々しい声が響いた。
私は完璧な礼法で頭を上げる。
陛下は鋭い眼光で私を射抜いた。歴戦の勇士と謳われるだけあり、その威圧感は凄まじい。
普通の令嬢なら、この視線だけで正気を保てないだろう。
「ヒルデ・フォン・アイゼン、王宮筆頭侍女であり、今回の婚約者選定の審査員を務めた者だな?」
「はっ。左様でございます」
「うむ。……して、フリードリヒよ。そなたはこの侍女を『王妃にしたい』と申すか? 身分も家柄も釣り合わぬ、この者を?」
陛下が殿下に問う。
これは最大の難関だ。
王族の婚姻において、身分差は絶対的な壁。
いかに殿下が私を気に入ろうとも、国王夫妻が認めなければ全て白紙となる。
私は内心でほくそ笑んだ。
さすがの陛下も、一介の侍女が王太子妃になるなど認めるはずがない。ここで激怒され、私は解雇、あるいは地方への左遷が決まる。
だが、それでいい。王妃という激務から解放されるなら、辺境の修道院暮らしも悪くない。
殿下がゆっくりと口を開く。
「はい、父上。彼女こそが、私が求めていた『最高のパートナー』です」
「ほう。最高とな」
「昨日のデートでの彼女の活躍は、父上にも見せたかった。チンピラを法で論破し、あろうことか私の姿勢を矯正し、常に周囲への警戒も怠らない。あそこまで『王族としての在り方』に厳しい女性はいません!」
……殿下、それは褒め言葉になっていません。
ただの口うるさい侍女です。
陛下は、ふんと鼻を鳴らし、再び私を見る。
「侍女ヒルデよ、そなたは我が息子を矯正したそうだな」
「……はい。殿下の所作があまりに目に余りましたので、僭越ながら指導させていただきました」
「王太子に対して不敬だとは思わなかったのか?」
「思いません」
私は眼鏡を押し上げ、きっぱりと答えた。
「王太子殿下は、いずれ国を背負う御方。その御方が隙を見せれば、それは国の隙となります。真の忠誠とは主君の過ちを正すことにあります。ご機嫌取りをするだけなら、猿でもできますわ」
シン……と謁見の間が静まり返った。
宰相や護衛騎士たちが、顔面蒼白になっている。
「王に向かってなんて口の聞き方を!」と誰かが叫びかけた、その時。
「……くっ、くくく!」
喉を鳴らして笑ったのは、陛下ではなく、隣に座っていた王妃殿下だった。
王妃殿下は扇子で口元を隠しながら、愉快そうに目を細めた。
「気に入りましたわ。ねえ、あなた。この子、誰かに似ていませんこと?」
「う、うむ……」
「わたくしが嫁いできたばかりの頃とそっくりですわ。あの頃、あなたの剣の稽古が雑だと指摘して、木刀で叩きのめしたのを思い出しますね」
陛下がバツの悪そうな顔をする。
どうやらこの国の王妃もまた、武闘派だったらしい。
王妃殿下は優雅に立ち上がると、私の目の前まで歩み寄って来る。
「ヒルデと言いましたね。貴女に一つ質問があります」
「はい。何なりと」
「もし貴女が王妃となり、隣国との和平交渉の席に着いたとします。相手の国王が無理難題を吹っかけてきました。『我が国の要求を飲まねば戦争も辞さない』と。……さて、貴女ならどうしますか?」
試されている。
これは王妃としての覚悟を問う最終面接だ。普通の答えなら、「殿下と相談して平和的解決を……」だろうが、私の辞書に『妥協』という文字はない。
私は即答する。
「まずは相手国の経済状況、軍備、国内情勢を徹底的に分析します。戦争をちらつかせるということは、逆に言えば『今は戦争ができない』という内情の裏返しであることが多いからです」
「ほう?」
「その上で笑顔でこう返します。『戦争? よろしいですわ。ですが、その前に貴国の主要輸出品である小麦の関税を我が国が三倍に引き上げたらどうなるのか、一度シミュレーションなさってみては?』、と」
王妃殿下の目が大きく見開かれた。
私は気にせず続ける。
「武力には経済力で。脅しには論理で。相手が剣を抜く前に、その鞘を錆びつかせるのが、王妃の務めと心得ます」
私の回答が終わると同時に、王妃殿下はパチンと扇を閉じた。
そして陛下を振り返り、満面の笑みを向けた。
「決定ですわね、あなた」
「ああ……フリードリヒには過ぎた嫁かもしれんが、国にとっては得難い才女だ」
陛下も深く頷いている。
あれ……? 怒られない? むしろ評価されている?
「合格だ、ヒルデ・フォン・アイゼン! いや、次期王太子妃よ!」
陛下が高らかに宣言した。
フリードリヒ殿下が「よし!」とガッツポーズをする。
私は呆然と立ち尽くした。
計算ミスだ……。
厳しくすれば嫌われると思っていた。
身分差を理由に断られると思っていた。
だが、この王家は、上から下まで全員が実力至上主義の戦闘民族だったのだ。
「お待ちください、陛下! 殿下!」
私は慌てて声を上げた。
このまま流されてなるものか。
私には私の人生設計(平穏な老後)があるのだ。
「私は侍女です! ドレスも着こなせなければ、ダンスも人並み以下。王族の公務など務まりません!」
「嘘をつくな」
フリードリヒ殿下が、私の手を取った。
その瞳は真剣そのものだ。
「ヒルデ、お前のダンスは見事だった。所作は王族以上に美しい。それにだ、お前は気付いていないかもしれないが、城で働く者たちは皆、お前を慕っている」
「え?」
「『王宮の鉄壁』。その厳しさが理不尽な貴族や怠慢な官僚から、真面目に働く者たちを守っていたことを私は知っている」
殿下の言葉に、私は言葉を詰まらせた。
ただただ口うるさく指導していただけだ。
それが、誰かを守ることになっていたなんて。
「ヒルデ、私は未熟だ。姿勢も悪い。すぐ調子に乗り、怒られてばかりだ」
殿下は苦笑し、そして私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「だからこそ君が必要なんだ。私の隣で、一生私を叱ってくれないか? この国と私のために」
それは、どんな甘い愛の言葉よりも、私の胸に刺さるプロポーズだった。
私をお飾りとしてではなく、指導役として求めている。
私は小さくため息をついた。
私が課した採点基準。それをクリアした唯一の合格者は私であり、私という難攻不落の要塞を陥落させたのは、この未熟で真っ直ぐな王子だけだ。
「はぁ……承知いたしました」
私は殿下の前に跪き、観念するように恭しく頭を下げた。
「お受けいたします、フリードリヒ殿下。ただし条件がございます」
「何でも聞くぞ」
「結婚後も、私の採点基準は緩めません。もし殿下が公務をサボったり、だらしない姿勢を見せた場合は、王妃の権限で夕食抜きにさせていただきます」
殿下は一瞬きょとんとして、それから嬉しそうに吹き出した。
「望むところだ。覚悟しておくよ、マイ・クイーン」
◇
それから数年後。
王国には一人の伝説的な王妃が君臨していた。
彼女は外交の席では笑顔で相手国を論破し、戦場では夫の背中を守り、王宮内ではマナー違反を犯す貴族たちを震え上がらせているという。
「あなた、背筋が曲がっていますわよ」
「す、すまない、ヒルデ」
玉座に座る国王フリードリヒは、隣に座る王妃に注意され、慌てて姿勢を正す。
その顔は叱られているにも関わらず、どこか幸せそうだ。
「……いつになったら私の採点で満点を取れるのですか?」
「一生無理かもしれないな。それに満点を取ったら、お前に構ってもらえなくなりそうだ」
王妃ヒルデは呆れたように眼鏡の位置を直す。
だが、その口元には、かつての鉄壁にはなかった柔らかな笑みが浮かんでいる。
王太子の婚約者選定における審査員A。
私の採点基準が厳しすぎて、合格者が私しかいなくなった結果――私は今、この国で最も忙しく、そして最も充実した『王妃業』という職場で働いている。
「さあ、次の公務ですわよ、あなた」
「そうだな、行こうか。愛しのヒルデよ」
「公務中に私語は慎んでください。……減点一です」
そう言って歩き出す二人の背中は、誰よりも美しく、完璧な王と王妃の姿であった。
お読みいただき、ありがとうございます。
テンプレではない、こんなパターンもいいかなと。
今後とも、よろしくお願いします( ´∀`)ノ




