08 庭の散策をしました
美しい庭をそぞろ歩く男女。
どこかのガーデンパーティであれば噂の的になる図だが、自分とアーサーではそんな空気になるわけもない。
それでもフランカはすこしだけ想像してみた。
純白に金色の刺繍を入れた近衛騎士の制服をまとったアーサーが、着飾った自分をエスコートする姿を。
しかし現実のふたりは、動きやすい簡易ドレスと、兵士が使用する鍛錬用の服を着た、およそ華やかさとは無縁の姿。
話題だって、庭園に植えられている樹木の種類、迷路のように作られた小径の歩き方、近道があること、登りやすそうな木、食べられる実が成っている場所といった色気のないものだ。
でも、楽しいし、嬉しい。
ずっとモヤモヤしていたけれど、きちんと顔を見て話をして、仲直りもできた。晴れ晴れとした気持ちだ。
(私ってば、落ちこんでいたのかしらね、ガラにもなく)
笑みを浮かべるフランカ。
ちらりと見上げたアーサーもまた口許が緩んでいる。機嫌がいいときの顔だ。
「ここ、本当に広いよな。探険したくなる気持ちはわかる。だからって九歳のご令嬢にやらせるのはどうかと思うけど」
「だって、リュクレーヌ様を過保護にしすぎだと思ったんだもの」
たしかに体は弱かったのだろう。
でもだからといって寝台に押し込めておくのは違うと思ったのだ。
ずっと外に出る必要はないし、長い距離を歩く必要もない。ゆっくり、自分のペースでいいから、すこしでも己の足で歩き、太陽の光を浴びるべきだと思ったのだ。
「生まれたころから知っているひとは遠慮してできないことでも、新参者の私なら、なんにも知らないふりして好き勝手言えるでしょ。試用期間だったから解雇されても傷は浅いとも思ったし、ダメならダメで次に行けばいいもの」
かしこまって楚々とした貴族令嬢の振りをするのはもう疲れた。
こちとら、夫に啖呵をきって離縁してきた女である。悪評なんていまさら気にしない。家庭教師業を始めるにあたり学院へ提出した身上書には、飾ることなく己のことを書き記した。
学院側だって、闇雲に斡旋しているわけではない。そのひとにあった家を紹介しているはず。
つまり、学生時代を含めたフランカを見知ったうえでブルーメ子爵家に決めたのならば、内向的なリュクレーヌの気持ちを前向きにさせる手助けを願ってのことではないだろうか。
「批判はしてないぞ、褒めてる」
「それはどうも」
「本気にしてないな。これは俺だけの意見じゃなくて、マルセロ様の周囲での総意だからな」
「それは驚きね」
女らしくないと眉をひそめるならともかく、容認してくれるとは思っていなかった。
「お嬢様が元気になったこと、みんな嬉しいんだよ。さっきおまえが言ったとおり、俺たちとしても『体を動かしたほうが』って意見だったけど、深窓のご令嬢に対して、無骨な男連中がそんなこと言えるわけもないし。同じ貴族令嬢のフランカだからこそ、お嬢様の手を取れたんだ」
アーサーがフランカの目を見て、真摯に告げる。
そこに嘘は見えなくて、フランカは胸を撫で下ろした。
「お役に立てたのなら、なによりだわ。――あら、マルセロ様」
草の茂みを掻き分けて顔を出したのは、リュクレーヌの兄・マルセロだ。左右を見渡しコソコソしているようなので、フランカとアーサーも木陰に身を隠す。
やがて少年は小径に現れ、そのあとから小柄な女の子が出てくる。リュクレーヌだった。
たしかあそこは、秘密基地へ続く入口のひとつ。
そこから出てきたということは、リュクレーヌが兄を部屋へ誘ったということ。
覗かれていることなど気づいていないのか、マルセロは妹の髪についた葉を取ってやり、細かな汚れを優しく払うと、手をつないで歩き出した。
邸に戻るのだろう。それを見送ったあとで、フランカたちも小径へ出る。
「お父様には秘密だけど、お兄様は連れて行ったということね」
「みたいだな」
驚いたようすのないアーサーに、フランカは問うた。
「もしかして知ってたの?」
「当然だろ、俺たちはマルセロ様の護衛だぞ。お姿が見えないと探すし、自分になにかあると俺たちに咎があるとわかっていらっしゃるから、教えてくださったんだよ。いや、あれはむしろ自慢だったな」
誰にも言わない秘密の部屋を、自分にだけこっそり教えてくれた妹が、可愛くて仕方がないといった顔をしていたらしい。
なるほど。アーサーがここにいた理由がわかった。フランカがリュクレーヌを見守っていたように、彼もまた、姿を隠した――秘密基地へ行っているであろうマルセロを見守っていたのだろう。
「見守り係はアーサーのお役目なの? それとも輪番制なのかしら」
「基本的には俺かな。入れ代わり立ち代わりでいろんなひとが庭をうろつくより、固定したほうがあやしまれないし」
「それはたしかにそうだけど、だからといってアーサーがしょっちゅう庭に居ることの理由はどうなるの。草花を愛でるキャラでもないでしょうに」
「他に理由なんていくらでもあるだろ」
「そう?」
運動をするならば、それこそ専門の訓練場所がある。庭を歩いて足腰を鍛えられるのは、普段は運動をしないような淑女ぐらいなものだろう。
邸内を飾るための花はメイドが摘むし、土を入れ替えたり、大きな木を掘り起こしたりするときは、外部の業者が入る。護衛騎士が筋力を発揮する場はここにはない。
「あ、警備のため? でもそれだと、べつにアーサーが固定で就く必要なんてないわよね」
それこそ、専門の警備員を配置すればよいだけのこと。子息の護衛が兼任する仕事ではない。
「――おまえって、コイバナが好きなくせに、自分のことになると途端に鈍感力を発揮するよな」
「今はアーサーが庭に入り浸る理由を考えているのであって、恋愛の話は関係なくない? え、まさか――」
ある可能性に気づいてフランカが息を呑むと、アーサーは大きく息を吐いた。
「まさかとはなんだ、俺はずっと」
「そう、なの」
庭によく現れる人物に想いを寄せていて、アーサーの気持ちは周囲にも知られており、それゆえに『庭をうろうろしていても違和感がない』と認識されている。
そういうことなのだ。
ついさっきまで、仲直りできたことで浮かれていたのが急転直下。胃のあたりが重たくなって、泣きたくなってきたけれど、それを振り払うようにわざと明るく声を弾ませた。
「庭によく来るっていうと、花を用意するメイド? そうとは限らないわよね。最近は庭を散歩する子たちも増えたらしいから、そのうちの誰かってことかしら」
「……なんの話をしているんだおまえ」
「え、だから、アーサーには好きな子がいて、その子が庭によく現れるから、アーサーが御庭番になったってことでしょう? あらやだ、御庭番って王家の諜報員のことだったかしら、なら意味が違うわね」
「そうじゃねえよ、なんでそうなるんだよ、おまえ本当に鈍感だな」
「さっきからなによ鈍感鈍感って、鈍感なのはアーサーだって同じじゃない!」
「はあ?」
フランカはかなり腹が立っていた。
鈍感というのはたしかにそうだと自覚はある。
なにしろアーサーが男の子として好きだと気づいたのは、王都へ出て、気軽に会うことができなくなったあとだったから。
近くにいるのが当たり前で、いつでも会える距離にいて。
それがどれほどしあわせなことだったのか、失ってはじめて気づいた。気づいたときには終わっていた。
じつはアーサーに会いに行こうとしたことがある。
けれど、遠くから見たアーサーは、フランカの知らない男友達と楽しそうに話をしていて、気後れしてしまった。
こじゃれた店の前にいて、店員の女の子に話しかけるか否かを迷っているようす。そしてそんな態度をからかう友達の姿を見たとたん、フランカは踵を返して逃げ出した。
アーサーはフランカの知らないところで成長してく。大人の男になっていくのだろう。
そうして似合いの女の子の手を取って、未来へ向かうのだ。
フランカを置いて。
悔しくて見ない振りをした。
自分だって立派な貴族令嬢になってやると学業に勤しんだ。
幸いなことに友人に恵まれ、そのおかげで、貴族令嬢といえど、その中身は意外と普通の女の子で、フランカとたいして変わらないのだと知って安心した。
一緒になってロマンス小説を読みふけり、楽しく騒ぎ、「好きなら好きでいればいいじゃない」と開き直った。勝ち目がないと決まったわけではない、アーサーが振られて傷心するところに付け込むというのもありだろう。
身勝手でお気楽なことを考えていたフランカは、しょせん子どもだった。
結局のところ、貴族であるかぎりは身分というものがあり、こと女性は殿方の監視下に置かれて自由には生きられないと思い知ったのは、最終学年へ進学するころ。
身分の壁を壊して迎えに来る王子様なんて存在しない。
だってこの国の王子様は、フランカの友人をこっぴどく振って、その妹を選んだから。
フランカの苛立ちは最高潮を迎えた。
本当に男なんてろくなもんじゃない。
アーサーだってフランカの気持ちに気づかず、他の女の子に会うためにいそいそと庭へ日参しているのだから。鈍感はお互いさまじゃないか。




