03 経緯を振り返ってみました
子爵一家以外の者が暮らす別棟は、小さな庭を囲うように左右へ分かれた造りになっており、男女別に部屋が配置されている。
入口から近い場所にある部屋は、くつろぎのスペースとして開放されており、フランカとアーサーはその一角に腰を下ろす。
今はみんな仕事中なのか、部屋には誰もいない。
フランカはリュクレーヌの授業時間以外はさほど拘束されないため、いつもわりと自由に過ごさせてもらっていた。
「ひさしぶり。マルセロ様の護衛ってアーサーのことだったのね」
「そのくちぶりは、あんまりいい噂じゃなさそうだな」
「まさか。爵位は持っていないけど、坊ちゃまの護衛に抜擢された凄腕の騎士殿って、若いメイドたちが噂してたわよ」
「へえ」
なんともそっけない返事である。
女性から向けられる自身の評価はあまり気にならないといった雰囲気だ。ついさっきの子息たちとは真逆の印象。男というのはいくつになっても、女性に好意を寄せられたいと願っているものと考えていたが、アーサーは違うらしい。
こういった無駄な野心がなさそうなところが当主のお眼鏡に適い、若君の護衛という任務に抜擢されたのだろうか。
(子どものころは、もっと恰好つけたがっていた気がするけどなあ。褒めるとものすごーく喜んでたし。まあ、大人になったってことなのかしらね)
考え込むフランカに対し、アーサーのほうも言う。
「そっちこそ、まさかお嬢様の家庭教師がフランカだなんて思わなかった。名前を聞いてびっくりしたよ。だっておまえは――」
「学院卒業と同時に伯爵家へ輿入れしたはずなのにってこと? それとも、せっかくの嫁ぎ先を蹴ってみずからバツを作った破天荒な元伯爵夫人が、子爵家のお嬢様の教育係とは笑わせるって? まあ、たしかに教育に悪いわよね。よく雇ってくれたものだわ」
本当によくぞ採用してくれたものだ。さぞ外聞も悪かったのではなかろうか。
家庭教師斡旋という新規事業。志願するためにフランカが学院へ赴いたとき、我こそはと名乗りをあげた卒業生はまだ少なかったようだ。なにをどうするのかわからない仕事に、尻込みをするひとが多かったということだろう。
また、家庭教師として仕事をする伝手を最初から持っている貴族令嬢たちからすれば、わざわざ学院を介して着任する必要もないのだ。家同士の繋がりのほうがずっと強いし、なにか問題が起こったときも、話が通しやすい利点もある。
年若くしてバツをつくった出戻り女なんて、普通は信用もされず、大事な娘を任せるなんてとんでもないと考えるのが一般的。
ブルーメ子爵は国の政策を支援する意味も込めて、学院斡旋のフランカを雇ってくださったにすぎない。
「そんな言い方するなよ……」
「でも事実でしょう? きっと時期が良かったのよね。ほら、女性の社会進出を後押ししようって流れになっているじゃない?」
この国では、高位貴族の男性は複数の妻を家に置くのが当たり前だった。
その昔、国に病が蔓延して死者が増えたことがあったという。このままでは国が立ち行かなくなってしまうのではないかと懸念した当時の王室が打ち出した政策が、『出生率の上昇』だった。手っ取り早い手段として、資産に余裕のあるひとは複数の妻を娶って、子どもの数を増やそうというわけだ。
なんとも身勝手な考えだと思うが、そこはまあ時代というのもあるのだろう。緊急措置というのもあった。
しかし、状況が安定したあとも、複数妻の慣習は廃れずに生き残ってしまい、フランカ自身もそのひとり。
つまり、フランカが嫁いだ伯爵にはすでに妻が複数存在しており、にも関わらず新たにフランカを娶ったのだ。
女性を下に置く不遇の時代は長く続いたが、さすがに諸外国の目が気になるようになったか。改善の兆しが見え始め、原則、妻は一人とする法律が正式に施行されたのが去年のこと。
現在、複数の妻が家にいる場合は、正妻と妾を正式に分けることが求められ、国内貴族家では正妻戦争が勃発。フランカの嫁ぎ先でもそれが起こり、新参妻のフランカなんて一番いらない妻だと思っていたのに、残存を求められた。
これから先、伯爵家に連なる子をたくさん産んでもらわないとな。
上から目線で宣言され、フランカはぷちんとキレたのである。
「女をなんだと思ってるんだ、クソジジイ。年を考えろ!」
(あー、わたしも語彙が貧困なひとりよね。クソを連呼していたさっきの奴らを笑えないわー)
思い返してひとりで落ち込む。
そんなフランカを不思議そうに見ながら、アーサーは言葉を続けた。
「女性の雇用拡大はいい政策だと思うよ。うちの妹は学校に入学したばかりだし、これから先、選択の幅が広がってありがたい」
「うん、そうよね。寮住まいだっけ? 私が実家に戻ったときには会えなかったのよねえ」
領主と使用人という立場ではあるが、ベリト一家とは家族ぐるみの付き合いだ。アーサーの兄妹とは仲も良い。
「アーサーは、なにをどうしてマルセロ様の護衛になってるわけ? 王宮の騎士を目指すんじゃなかったの?」
「田舎者の夢破れたりってことだよ。王宮付きになるには、身分が足りなかった」
「……ごめん、失礼なこと言ったわね」
「いいよ。それはそれとして、こうして別の道が開けたわけだし」
話を聞くに、入隊試験だけは受けさせてもらえたらしく、それを見学していたブルーメ子爵に声をかけられたそうだ。
「孫に護衛を付けたいけど、まだ幼いし、年のいったベテラン騎士より、若い騎士のほうが気易くていいだろうって言ってくださったんだ。よくよく考えると、幼い子どもにこそ、しっかりとした護衛を付けるべきだと思うんだけどな」
実力はあれど爵位を持たないために入隊ができない。そんな若者を支援したのだろう。
ブルーメ子爵は身分の差を問わず雇い入れる信条のようで、使用人の大半は平民層なのである。
こうしてアーサーは迎え入れられ、マルセロのもとに案内された。
当然といえば当然だが、すでに何名か護衛は付いていた。それこそ、子爵が言うところのベテランだ。
護衛を束ねる長はランサムという名で、マルセロの父親の学友だった男である。在学中から仲がよく、その縁で子爵家の私設騎士隊員として雇ってもらったという。
騎士養成学校において、平民であることをさんざんバカにされたアーサーは、この男も似たようなものだろうと覚悟していた。
しかしランサムはアーサーを見下すこともなく、むしろ丁寧に指導をしてくれた。
「いいひとだよ。伯爵家の三男らしいんだけどさ。兄がいると下は実家での仕事は難しいよなあって、共感してくださって」
アーサー自身も三男坊である。ジーン男爵家における護衛仕事は、兄が二人もいれば充分に足りており、アーサーは特段必要はない。それもあってアーサーは子どものころから「家を出て王宮の騎士になる」という夢を持ち、騎士の専門校に進学していたのだ。
フランカもほぼ同時期に貴族学院へ入った。
しかし寮住まいをしていたため、同じ王都で暮らしながら、アーサーとはまったく顔を合わせる機会もなく卒業の年を迎えた。
フランカは輿入れが決まり、卒業後すぐに結婚。
相手の領地はフランカの実家とは王都を挟んで真逆の位置にあり、帰省もままならない。
とはいえ、もともと貧乏男爵家だったので華やかな生活には縁もなく、嫁ぎ先ではわりと気ままに暮らしていたとフランカは思う。時折、友人たちから手紙が届き、同様に『卒業と同時にすぐ結婚』という道を辿った彼女たちの境遇に共感したり、憤慨したり。
夫の伯爵は女性関係にだらしない男ではあったけれど、妻を家から出さないとか、閉じ込めておくとか、そういった類の支配欲がなかったのは幸いだろう。
加えていえば、フランカが嫁いだころ、夫は新しい女を見出して、そちらを囲うためにあれこれ手を尽くしていた。政治的なバランスのために輿入れが決まったフランカに対して、伯爵はさしたる興味がなかったのだ。だからこそ自由に暮らせたところはあるだろう。
(そうこうしているうちに法改正があって、複数の妻を娶るのは禁止になったのよねえ)
もうすこし早ければ――と思わなくもないけれど、こればかりは仕方がない。
フランカはまだ二十二歳なのだ。年を取ってから放り出されるより、恵まれているだろう。