02 幼なじみと再会しました
家庭教師の派遣形態は、雇用先によって異なる。
住み込みでの仕事を依頼される場合と、決まった時間に授業をおこなう、通いでの授業。
フランカは住み込みでの仕事のため、敷地内に部屋をいただいている。
子爵家に雇われているとはいえ、いわゆる使用人ではないため、やや扱いが違う。末端とはいえ、一応は貴族令嬢ということもあり、丁寧に遇されている状態だった。
そんなフランカを快く思わないひとも当然いるわけで、授業外の時間になれば、嫌な視線が飛んでくることもしばしばだ。コソコソと聞こえよがしに囁く悪口もさることながら、直接声をかけてくるのも面倒である。とくにこんな輩は。
「お嬢様の授業は終わったのかい? なら次は俺らに教えてくれよ、なあ先生」
「手取り足取り、じっくりとさあ」
本邸を出て、使用人たちに向けた部屋のある別棟へ向かって小径を歩いていたフランカは立ち止まる。
行く手を塞ぐようにして、いくつか年上に見える男が二人、並んでいた。
男性の使用人へ支給されているものとは違い、質の良さそうな布で仕立てられた服を着ている。汚れとは無縁な革靴といい、どうにも場違いな装いだ。
それもそのはず。彼らはたしかどこかの伯爵家の三男だか四男だかで、実家では仕事の当てがないため、外に出された放蕩息子らしい。
このブルーメ家は、子爵とはいえ国内における歴史は古く、彼らの実家である伯爵家当主も敬意を払うほど家格が高い。しかし、このぼんくら息子たちは「伯爵子息の自分が、格下貴族の子爵家の小間使いにされるとは」と憤慨しているようで、周囲に対して日常的に愚痴をこぼしているのだとか。
仕事らしい仕事もせず、平民の雑役夫に任せっきり。
そのくせ、大言壮語も華々しく、多くのメイドは辟易しているという。
これらはリュクレーヌ付きのメイドたちから聞いた話だ。お嬢様の授業を通じて接する時間が長いせいか、彼女たちとは打ち解けて、わりと親しくさせてもらっている。
しかし、メイドたちだけにとどまらず、フランカにまで声をかけてくるとは。
脱力しつつ、答えを返した。
「申し訳ありませんが、もしも教えを乞いたいというのであれば、ブルーメ子爵へ申し出てください。私の一存で勝手はできませんので」
「お堅いこと言うなよ、それとこれとは別だろうが」
「別とは?」
「子どものお嬢様相手ではできない授業をやらせてやろうってのに」
「そうそう、俺らの親切心を邪険にするとは。そういうところが不興を買って離縁された要因だって自覚したほうがいいぜ?」
「はー、俺らは本当に親切だよなあ」
大仰な溜息を吐きながらも、目と口許は笑っている。彼らの言う『授業』とは、まあ、そういったいかがわしい内容なのだろうということが如実に伝わってきて、フランカはげんなりした。
(ええ、ええ。そうでしょうとも。どうせわたしはバツイチですとも。この性格でもって相手の不興を買ったのも事実でしょうとも)
むしろこっちが離縁を叩きつけてやった側だ。
フランカとしてはすっきりしたし、せいせいした。身軽になって嬉しいぐらいだ。
だがやはり、離縁した女性というのは、世間からの目が厳しい。
病気や事故によって夫が亡くなったのならともかくとして、相手が気に食わないからといって離縁を選択した女性は『扱いづらい』とされてしまう。
幸いにもフランカは、学院を通じて家庭教師という職を得たけれど、離縁した『元夫人』の末路は基本的に暗い。それこそ、彼らが下卑た誘いをかけるような、まあそういった『お相手』として見られる率が高い。後妻にすらならない、言葉を選ばずに言えば、使い捨ての遊び相手。
(ああもう、面倒な。男って、どうしてこうなのかしら!)
苛立ったフランカは、その感情のままに相手に言葉をぶつける。
「まあ、こーんなお古を相手しなければならないほど、女性に不自由していらっしゃるのですね、お気の毒さま。生憎とわたしはそんなに暇ではありませんの。ごめんあそばせ」
悠然と構えて笑って見えると、男たちはわかりやすく怒りに顔を赤く染めた。
「おまえ、女のくせに生意気な」
「そのくち、いますぐ塞いでやろうか」
「いや、いい声で啼いてもらおうぜ」
「こういうクソ生意気は女を調教するのは、貴族男子の務めだよなあ」
にやりを笑いを浮かべて近づいてくる姿に、さすがに煽りすぎたかと、己の失態を悔いたフランカだったが、そこに別の男の声がかかった。
「ベリンク伯爵子息、ブランキン伯爵子息。邸内での不祥事はご法度であると何度もお伝えしていたはずですがお忘れですか?」
いつのまに近くへ来ていたのか。腰に剣を佩いた男が立っている。
均整の取れた体つき。ただそこに佇んでいるだけなのに、フランカはぞくりと肌が粟立つのを感じた。
決して殺気を放っているわけでない。
眼差しが特別に鋭いというわけでもない。
けれど、不用意に近づいては危険だと思わせる空気があった。
ところが、脳みその足りていないご子息たちは、気配を読む資質すら持ち合わせていないらしい。闖入者を侮った物言いを放つ。
「――マルセロ坊ちゃんの腰巾着か」
「はん、子爵の孫に気に入られているからって、平民風情が偉そうに」
「その平民に立場で負けている方に言われたところで、痛くもかゆくもありませんね」
「クソがっ」
「前々から気に入らなかったんだよ!」
わかりやすい煽りに乗っかったぼんくら伯爵子息たちが、男に向かっていくのをフランカは黙って見送った。
荒事の気配に悲鳴を上げるでも、逃げ出すでも、助けを呼びに行くわけでもなく、ただ黙って。
(だってどう見たって勝負は明らかだもの)
フランカが考えたとおり、男は向かってきた二人を軽くいなして地面に転ばせる。うち一人の腕を取って捻りあげ、もう一人には短剣を突きつけ、淡々とした調子で声をかけた。
「出世したいのであれば、もうすこし鍛錬されたほうがよろしいのでは? 旦那様に頼めば、訓練に参加させていただけると思いますが」
「離せよ、クソが」
「クソ、クソ、クソめがあっ」
「……うわあ、なんて貧困な語彙」
呆れたフランカが思わず呟くと、彼らを抑え込んでいた男が噴き出して笑った。
「たしかに。さっきから『クソ』しか言ってねえや」
笑ったついでに手のちからが緩んだのか、二人はあわてて立ち上がって距離を取ると、なにやら悪態をつきながら離れていった。
かなりふらついているが大丈夫なのだろうか。
まあ、こちらが心配なんてしてやる必要はカケラもないのだが。
ひといきついて、フランカは剣士に礼を述べた。
「ありがとうございました、助かりました」
「余計かな、とは思ったんだけどな」
「いえいえ、さすがにちょっと危ないかなと思っていたので」
「ならもうすこし考えてからものを言うようにしろよ。まったく、あいかわらずフランカは喧嘩っぱやいんだから」
「……はあ?」
名前を呼び捨て。
妙に馴れ馴れしい。
しかも『あいかわらず』ときた。
それはつまり、フランカの知己ということになってしまうが、ブルーメ子爵邸に知人は勤めていないはず。
考えこんだフランカを見て、男はやや眉根を寄せた。
「おい、まさか、どなたでしたっけ? とか言わねえよな」
「その『まさか』と言ったら怒りますか?」
「冗談だろ。たしかに随分と顔を合わせてないけど、俺は一目でわかったってのに」
くちを尖らせて不機嫌をあらわにする男。
やや癖のある赤褐色の短髪に、とび色の瞳。意思の強そうな太い眉は、今は不機嫌と不安との間で揺れるように下がっている。たしかに既視感のある容姿。
注目しているうちに、こめかみ付近にある古い傷跡に気が付いた。
不意に脳裏に過去の思い出がよみがえる。
「――え、うそ。まさかアーサーなの?」
「まさかとはどういうことだよ」
「だって、こんなところにいるとは思わなかったんだもの」
ようやく浮上した名前を呼ぶと、男――アーサーは機嫌を直したのか笑みを浮かべた。
アーサー・ベリト。
彼は、フランカの生家であるジーン男爵家に代々仕えている騎士、ベリト家の三男。同じ年の幼なじみである。