12 決着がつきました
アーサーが辿りついたときには、もう決着はついていた。
ともに向かった同僚の騎士は、「マジかよ」と、貴族男子らしからぬ呟きを漏らし、床に倒れて喚いている男たちに近づく。アーサーはそれに続かず、扉の外に座り込んでいたフランカに声をかけた。
「悪い、遅くなった」
「遅いなんて思ってないわ。むしろ、よく居場所がわかったわね」
「あの男たち、以前にも似たようなことをやらかしたことがあったらしい。そのとき使ったのがここだった」
「うわ、せめて場所を変えるとかしないのかしら。すぐに現場が割れるじゃない」
「事態が判明するまでには、もっと時間がかかると踏んでいたんだろうよ」
素行のよろしくはない子息たちの溜まり場はいくつかあるが、そのなかでもここは、人目を避ける行為をするためによく使われた廃屋だ。
どこかの貴族が所有していた物件で、取り壊さずに放置している小さなお邸。王都の外れにあり、主街道からも遠いため、滅多にひとも立ち入らないという。
「ねえ、アーサー。私もなにかの罪に問われるかしら」
「どうしてそういう発想になるんだ、正当防衛だろ」
「過剰防衛にならないかしら?」
「貴族男子は教育の一環として剣を習うんだ。真面目に取り組んでいたら、女性に負けるなんて無様なことにはならない。あいつらの怠慢だよ」
言ってアーサーは、扉の内側へ目を向けた。さっきちらりと見えたかぎり、あの男たちは命に別状はない。
「足の腱を切ったのか?」
「腕の筋もね。肩も傷つけたし、手首を切ると、さすがに出血が怖いからやめたおいた」
落ち込んだように沈んだ声でこぼすフランカに、アーサーは言う。
「上等だろ。さすがフランカだ。よく持ってたな、それ」
「リュクレーヌ様に見せて差し上げる予定だったのよ」
フランカの手には守り刀が握られている。それがただの飾りではないことを、アーサーはよく知っていた。
ジーン男爵が治める領は山裾に広がっている。
その山の向こう側には労働刑を科せられた犯罪者が服役する区域があり、たまに逃げてくる者がいるのだ。
彼らは徒党を組み、山に潜んでいる。畑で野菜を盗む程度ならかわいいもので、なかには金銭を奪うために家屋に侵入する者もいるため、なかなかに厄介なのである。
そのため、女性であっても対抗手段として刃物を携帯することは推奨されており、嗜みとして扱いも習う。
領主の娘であっても例外ではないし、むしろ領主一家だからこそ、みずからを護る手段を学ぶ必要があった。
武門に属する者ならともかく、飾り程度に剣をぶら下げている程度の男に、フランカが後れを取るわけもない。
離れている期間が長かったとはいえ、アーサーはフランカの腕を信じていたし、彼女が自分なりの鍛錬を怠るような性格ではないと知っていた。
とはいえ、心配しなかったわけではない。
力量がどうであれ、単純に腕力だけでいえば成人男性に敵うわけがないのだから、怒り狂ったぼんくら令息が振り上げた拳が当たりでもすれば、女性のフランカが怪我を負うのは間違いない。ざっと見たかぎり目立つ外傷はなく、アーサーは安堵の息をつく。
「どこか痛いところあるか?」
「頭は痛いんだけど、これは、ここへ連れてこられるキッカケになったものだと思うわ」
「――薬物か」
「たぶんね」
これは裏を取る必要がある。
不良令息どもが、どういった伝手で薬物を入手していたのか。
使用目的を考えると表立って購入したものとは思えないし、そもそも違法薬物の可能性すらあるだろう。
「ジーン先生、大丈夫ですか?」
遅れて駆け付けた子爵家の使用人が声をかけてくる。アーサーも顔を見かけたことがある年嵩の女性だ。メイドたちを束ねる上長の一人だったかと思う。状況が状況なだけに、男性騎士だけを派遣するのではなく、女性の手も借りたのだろう。
その声に顔をあげたフランカだったが、ふたたび膝に顎を乗せる。
「お行儀が悪くてごめんなさいね、ちょっと気力が足りていなくて」
「当然ですよ。まったく、あの男たち。ついにやらかしたってかんじですねえ」
「意外性もなにもないって、よほど普段から評判が悪かったのね」
「平民を完全に見下しておりましたからね。一部を除いて、メイドたちの評判は最悪でしたよ。ですからジーン先生、あなたの名に傷がつくようなことにはなりませんから、ご安心ください」
「どっちでもいいわよ、そんなの」
「よくねーだろ」
「いいわけありません」
フランカの投げやりともいえる言葉に、つい反論してしまったのはアーサーとメイド長――ではなく、騎士のほうだった。
捕縛した子息を見せしめのように荷車に乗せたあと、こちらに戻ってきたアーサーの同僚は、生真面目な顔をつくってフランカに言う。
「僕がきちんと証言しますよ、あなたは彼らに貶められてなどいないと。そのような不名誉に甘んじる必要はないのですから、堂々となさってください」
「……はあ、っていうか、そこまで庇っていただかなくてもいいんですが」
フランカが不審そうな顔つきになるが、それはアーサーも同様だ。
ここに来るまでこの同僚は、「丸腰の貴族令嬢だぞ、なにかあったらどうするんだ、急ぐぞ!」と、手遅れになることをひどく心配していた。アーサーがいくら「大丈夫だ」と言ってもそれを否定し、むしろ責めてきた。ひとでなし、男の風上にも置けない、それでも騎士か、と。
アーサーの肩を叩きつつ、同僚は朗らかに言う。
「こいつの言うとおりでしたね。あなたは彼らを過度に傷つけるわけでもなく、必要最低限の行動によって戦闘不能に導いている、お見事です。いやーお美しい」
「おい」
「わかってるわかってる、おまえの初恋の君に手を出すほど落ちぶれちゃいない、あいつらじゃあるまいし、節度は持ってるぞ。おまえがいなかったら、是非ともお付き合いいただきたいとは思うけど」
そう言ってふたたび笑ったこの男が、男爵家の次男だと思い出し、アーサーは面白くない気持ちになった。ざっくばらんとしているから忘れがちだが、彼もまた貴族男子。しかも独身。
つい剣呑な眼差しを向けたアーサーに男はまた笑い、背中をバシバシと叩いたあと、フランカに一礼。捕らえた子息たちを子爵家へ連れていくため、馬車へ戻っていった。
その背中を見送ったあと、アーサーもまたフランカに背を向けて腰を下ろした。
「なに?」
「乗れよ。立てないんだろ」
「…………なんでわかったの」
「ずっと座り込んでるなんて、フランカらしくない。他者を出迎えるときはきちんと礼を執れって、俺だって子どものころから厳しく躾けられたたぐらいだ」
貧乏な下位貴族の立場は低い。他家に目をつけられないようにするためにも、それなりにへりくだった態度を取っておいたほうが無難なのだというのは、フランカの父・ジーン男爵が日頃から使用人に対して説いていたこと。王宮の騎士を目指すのなら覚えておきなさいと、アーサーに対してはとくに言い聞かせてくれたのだった。
「背中が嫌なら、抱き上げるけど」
「それは恥ずかしいからいや」
「もう落としたりしないぞ」
「そんな心配してないわよ。本当に恥ずかしいだけ」
「女の子の憧れーとか言ってたくせに」
「子どものころの話でしょ」
男爵家の図書室にあった騎士物語。助け出した姫を横抱きにした騎士の絵を見て目を輝かせていたフランカ、アーサーはその憧れを再現すべく実行したが、七歳の細腕で叶うわけがない。一緒に崩れ落ち、あげくに近くにあった棚にぶつかり、置いてあった花瓶が落下して破損。さんざんな目にあった。
驚いて、痛くて、ふたりでわんわん泣いて、駆け付けた家族は惨状を見て心配し、そのあとで怒られた。
「あのときはごめんねアーサー」
「何年前の話だよ、いまさらだろ」
「その年月を経過してなお、残る傷を負っているんだから、私が悪くないわけないでしょ。あなたはお仕えする家のお嬢様の我儘を叶えようとして、失明するかもしれなかったんだから」
沈んだ声に、アーサーはフランカのほうへ振り返る。さっきよりもずっと落ち込んだような顔をしたフランカが、大きく息を吐いた。アーサーの顔に手を伸べて、傷を残すこめかみに触れる。
貴族令嬢らしい細い指が、かすかに震えていることに気づいて、アーサーはその手を握って己の手で包み込む。
「愛しい姫を守った名誉の負傷は、騎士の勲章なんだよ。俺は後悔してない」
頭上から降ってくる花瓶がフランカに当たらないよう、少女を庇った自分をアーサーはいまでも誇っている。割れた破片が目許に刺さり、あとすこしずれていたら視力を失っていた可能性があるとしても、フランカに傷が残るよりずっとましだった。
「言っておくが、俺はべつに『お嬢様の我儘』に振り回されたわけじゃないからな。好きな女の子の夢を叶えようとしただけだ」
途端、ぎょっとしたようにフランカは目を見開いた。
アーサーが当時から彼女を好いていたとは想像していなかったのか、じわじわと頬が赤くなっていくさまが可愛くて頬がゆるむ。
「やっぱり背負うのは無し。抱き上げていく」
「え、ちょ、だから恥ずかしいんだってば!」
「気にするほど人の目なんてないだろ」
「いらっしゃるでしょ、すぐそこに、メイド長が!」
「お気になさらず、私はまったく気にしないです、むしろどんどんやってください」
「メイド長さまー!?」
全開の笑顔を湛え、おほほと笑ったメイド長は軽く一礼すると、その場を去った。先に馬車へ戻るということだろう。
未だ、わたわたとするフランカの傍に腰を下ろし、その体に手をかけた。
「待って、いいって言ってない、許可してないしー」
「いいかげん覚悟決めろよ」
「なんの覚悟ー!?」
俺の嫁さんになる覚悟。
耳もとで囁くと、暴れていたフランカが固まった。その隙を逃さず抱え上げる。
赤面したフランカの顔がすぐ近くにある。両手にかかる重みは、大切なものを手にした責任の重さ。決して軽くはないけれど、幸せという感情で差し引けばゼロに近い。
「で、助け出された姫は騎士に何をするんだったっけ」
とぼけた顔でアーサーは問いかける。
「――あなたに祝福を」
彼のお姫さまは恥ずかしそうに呟いて、額にキスを与えてくれた。