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10 憧れが現実になりました


 フランカは職場恋愛というものに憧れを抱いていた。


 勿論、貴族令嬢が金銭を得るために家の外で働くことは、眉を顰められるおこないとされる。

 それすなわち、己の家が傾いていることの証明であるし、妻の身で就労につくということは夫に恥をかかせることに繋がるからだ。


 バカバカしい話だった。見栄でお腹は膨れないのに。


 呆れるけれど、言わんとすることはわかる。

 貴族の矜持というものは、厄介ではあるけれど、世の中のためには必要なことでもあるのだ。

 彼らが平民に対して見栄を張るからこそ経済はまわっている。虚栄心を満たすために良いものを求め、物の品質もあがり、技術力は向上する。輸出入も増える。そういうこと。


 閑話休題。

 ともかく、フランカたち貴族令嬢にとって『職場恋愛』とは、物語の中にしか存在しないものなのだ。

 無論、自家の使用人たち同士が結ばれて、家として彼らを祝い、家族ごと雇い入れることもあるため、非現実なものとして考えているわけではない。

 ただ、己の身には決して起こりえない。

 起こったとしても、それはつまり自分の身分が平民、あるいは就労を咎められない立場になってしまったことを意味しているので、あまり喜ばしい事態ではないのである。


 自分には無関係のロマンスは、だからこそ憧れを持って見てしまう。

 王太子による一方的な婚約破棄騒動の憂き目にあった友人は、それをきっかけにして上司と急接近した。

 以前の婚約者に明確な恋愛感情を抱いていたわけではなく、ただ家同士の約束として婚約していただけだった彼女は、降って湧いたような恋愛事情に戸惑っていた。

 しかしフランカを含め、彼女の友人一同で絶賛応援中なのは言うまでもない。

 ときめきと憧れを煮詰めたような恋模様。

 それが職場恋愛なのである。



 熱弁をふるったフランカに対し、アーサーはといえばなんとも微妙な顔つきだ。男と女では、このあたりの感じ方が異なるのかもしれないが、すこしぐらい興味を持ってくれてもいいのではないだろうか。

 つれない態度に不満を持ったフランカを見たアーサーは、肩を落として、大きく溜息をついた。


「おまえさ、職場恋愛の意味、わかってるのか?」

「わかってるわよ。同じ場所で働いている男女が互いに惹かれ合ってお付き合いに発展することでしょ」

「それだけわかってて、なんで『自分には関係がないから憧れる』になるんだよ」


 納得がいかないと言った顔つきのアーサーに、フランカは首を傾げた。


「だって事実でしょう? クラリスと王弟殿下は王宮の同じ部署で働いているけど、私はお嬢様の家庭教師。同僚と呼べる存在はいないのよ」

「べつに、そんな近距離で仕事をする関係のみが対象じゃねえだろうに。王都の騎士隊は都のあちこちに詰所があるけど、そのなかのひとつに勤めている事務員と交際に発展した奴もいるぞ」

「なにそれ、素敵。事務の方ということは、平民なのかしら」

「そうだよ。騎士隊の詰所で働いているのは、基本的にその付近に住んでいる。地元民を採用することで雇用を増やし、詰所を置く許可を貰ってる」


 騎士隊の詰所があれば治安維持に一役買う印象が強いが、逆も然り。荒事も多いし、騒ぎの中心になることも多い。事件に巻き込まれる可能性も高いため、配置に反対する住人も少なくないのである。


「件の男は、その付近を警邏しているときに事件の加害者を捕縛。事件のあらましや経緯、加害者を中央騎士塔に引き渡すための手続き等で事務員とかかわった。その後も付近のようすを見に行ったときに何度か会話をしているうちに、個人的に話がしたくなって、交際を申し込んだとか」

「まるでロマンス小説ね。はー、いいわー、素敵だわー」


 ときめき成分を補給してご満悦にフランカに、アーサーは半ば怒鳴りつけるように声を荒らげた。


「だから、母体が同じである職場で働いて、顔を合わせて話ができる環境にあれば、職場恋愛だろってことだよ」

「たしかにそうね。以前に読んだ小説ではね、休憩時間を合わせてみたり、昼食を同じテーブルで取ってみたりして。周囲に内緒の交際をしている場合はドキドキするし、公認であれば囃し立てられたりもして、読者としてはどちらもアリって感じだったわよ」

「ああ、そうかいそうかい。じゃあ、こうして隣に座って茶を飲みながら一緒に休憩をしている俺たちは、そのどっちなんだろうなあ」


 自分とアーサーは、特に周囲に隠し立てはしていない。

 積極的に喧伝もしていないけれど、関係性が変化したことは気づかれているだろう。


 ずっとギクシャクしていたのに笑顔で会話をするようになったし、遠慮して距離を取ることもやめた。

 マルセロがリュクレーヌの部屋を訪ねたり、あるいはその逆だったりするときも、マルセロの近くには必ずアーサーが付いており、そのたびにフランカの顔には笑みが広がる。


 兄妹が秘密基地へ行っているときは、アーサーとふたりで庭を散策するし、一緒に庭師の手伝いをしたりもする。

 以前からの知り合いであることは周知されていたが、もう一歩踏み込んだ関係に至ったことは、なんとなく察せられるだろう。フランカがバツイチであるため、表立ってそれを訊いてくる者がいないだけで。


「難しいところね。でも公言しているわけではないから、公認の仲とも違うのかしら?」

「……よかった。一応、そういう仲である自覚はしてくれてるんだよな」

「どういう意味よ。私がアーサーを好きなように、アーサーも同じだって思っていたのに、いまさら違うなんて言わないでよ。泣くわよ」

「だから! 俺とおまえだって、職場恋愛だろってことだよ!!」

「――え?」


 これまでに読んできたロマンス小説が頭の中に広げられ、さまざまな設定が思い出された。

 幼なじみが結ばれる物語もあったけれど、フランカのような『出戻り』が初恋の君と再会して、昔の恋が続いていたことがわかって成就するものはなかった。

 だから気づかなかった。

 すなわち、今のフランカの境遇が、職場恋愛の範疇にあることを。


 自覚した途端、顔に熱が集中した。

 アーサーがへたりこむように背を丸くして項垂れる。


「おまえ、無自覚がすぎるだろ」

「だってだって、こういうパターンは読んだことがなかったんだもの。新しいやつだわ」

「その、すべてを小説に紐づけるのやめろ。恋愛事なんて、物語みたいにすべてがうまくいくわけじゃないんだから」


 たしかにそのとおり。

 うまくいっていれば、フランカはバツイチになんて、なっていない。

 卒業後――、いやそれでは遅い。学院へ入学するために王都へ上がったころにアーサーと心を交わして婚約し、卒業後に結婚していただろう。

 だがフランカが己の気持ちをきちんと自覚できていなかったから。

 自覚しても動くことができなかったから。

 数十歳も年上の伯爵に嫁ぎ、貴族の妻としての役割を果たす前に離縁した。


 肩書が『元夫人』となったが、実際のところは恋愛に興味があるだけの、経験不足の生娘。

 こんな複雑な設定の物語を読んだことも聞いたこともないため、対処方法も見当がつかない。


「……ごめんなさい」


 いろいろ、さまざまなことを込めて呟いた言葉に、アーサーが顔をあげる。視線が怖くて俯いたフランカの頭を、アーサーの大きな手のひらが撫でた。


「もうちょっと自覚してくれると嬉しいんだが」

「私が物知らずだってことは自覚してる」

「そうじゃねえよ」

「じゃあ、なにをよ」

「フランカが俺の恋人だってことを、だよ」

「こ、こいび、と」


 小説ではよく頻出した言葉、男女の関係性。

 上司との関係に悩む友人に対しても称した単語が、自分にも降りかかってくるとは。

 驚きと恥ずかしさ、両方に固まってしまったフランカを抱き込むように、アーサーに強く引き寄せられる。倒れ込むように彼の胸に頬をつけ、フランカの顔にますます熱が集中した。


(だ、だって、こんなの、はじめて、だしっ)


 白い結婚だった元夫とは、最後までこういった触れ合いはなかった。

 跡継ぎを産んでもらわないとと言われ、その行為に及ぼうとする伯爵を周囲が止めてくれたおかげで、フランカは逃げ出すことに成功したのだ。


「ごめんな、俺がもっと余裕のある男ならよかったんだろうけど」

「なにを言っているのよ」

「俺はさ、結局のところ嫉妬してるんだよ、おまえの元旦那に」

「あんなおっさんより、アーサーのほうが何倍も、何十倍も、何百倍も素敵だわ」


 即座に言い返す。

 断言する。

 比べることすらおこがましいぐらい、純然たる事実を本人に告げると、アーサーは微苦笑を浮かべた。


「ありがと。過去の俺をぶん殴りたい。おまえに触れる初めての男は俺がよかったのに」

「――――ん?」


 フランカのくちから、思わず変な声が漏れた。

 そして重大な事実に気づいて、呆けたような顔になる。


(なんてことなの、私ってばアーサーに言ってないじゃないの)


 こちらの態度に対し、訝しげな顔になったアーサーへ、フランカは言った。


「あのね、アーサー。伯爵とは白い結婚で、結局そういう行為には至らなかったのよ」

「――――は?」

「うん、だからね」


 フランカは語った。

 嫁いだばかりのころ、他の女に傾倒していたため、初夜はおこなわれず。

 以後もその機会がないまま二年が経過。

 そうこうしていたら法改正があり、社交界で正妻戦争の勃発。

 フランカは離縁と相成った。


「じゃ、えっと、おまえ、まだ、その」

「そういうことよ」

「うっそだろ、だって、まさか」

「みんなそう思うでしょうね。面倒だから否定してないだけで、私は身綺麗なままです。異性とお付き合いする機会もないまま結婚したから、二十二歳にもなって男女のキスだってしたことない女よ、悪かったわね!」


 笑いたければ笑えとばかりに息巻いたフランカに、しかしアーサーは予想とは違う笑い方をした。

 フランカを嘲笑する笑いではなく、明るく楽しそうな、それでいて安堵したような、そんな笑い方だ。


「俺、おまえの元夫に初めて感謝したかも」

「あんな奴に感謝する余地ある?」

「だって、そいつのおかげでフランカは、俺の知っているフランカのまま、ここにいるんだから」


 そんなふうな言われ方はされたことがなかったため、あっけにとられる。

 バツイチなのに、そういった意味でも男を知らないフランカを肯定し、あげくに『よかった』と喜ばれるとは。


「そうだ。ひとつだけ間違ってるぞ。キスをしたことがないってやつ」

「家族間や挨拶のキスは別よ」


 そもそもそれは挨拶なのだし。

 言うとアーサーは、彼らしいイタズラめいた顔つきになった。


「おまえのファーストキスは俺だから」

「それは、これからしますって予告なの?」

「違う。ガキのころに済ませたって意味で」

「いつよ、記憶にないわ」

「だろうな、おまえ寝てたし」

「乙女のくちびるを寝ているあいだに奪うなんて、あなた非道すぎるわ」

「男の前で無防備に寝てるほうが悪ぃんだよ」


 一体いつのことを言っているのか。

 思考を巡らせるフランカの頬に、アーサーの手が伸びる。


「じゃあ今度は訊いてからにする。キスしていい?」

「……うん」


 ロマンス小説のカップルが言葉もなくキスを始める理由がわかった。


(いちいち訊かれるのも、それに答えを返すのも、ものすっっごく恥ずかしい!)


 だってなんだか、自分から迫っているみたいじゃないか。

 恥ずかしすぎて目を開けられず、閉じたままの目蓋に柔らかいものが何度も触れる。目尻に、頬に、何度も触れる。

 顔中に降るキスの雨が止んだころ。緊張のあまり息を止めていたのか、苦しくなって漏らしたフランカの吐息は、すぐにせき止められる。


 アーサー曰くの二度目のキス。

 フランカにとってのはじめてのキスは、十数年の想いを感じるほどに長く、しつこく。

 けれど、とてもあたたかくて幸せな時間だった。




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