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『二人の声を繋ぐモノ』

作者: 呟木心葉

 プルルルル…………

 

 一階のリビングで、電話の電子音が音をたてた。

 ガチャッ、という音がして電子音は途切れ、代わりに「もしもし」という母の声が聞こえる。

 奴だろうか。

 奴だろうか。

 心の中で呟く声に応えるかのように、母が階段を登りながら

「咲ちゃんよー」

 と、声をあげた。

 奴だ。

 奴だ。

 少年、伊永健太は、ノイローゼになりそうな程、ある事に悩んでいた。

 ――電話だ。


 毎日毎日かかって来る佐藤咲からのそれは、いつも健太を苛立たせていた。

 嫌がらせに違いない。と、健太はその電話がかかって来る度、心の中で呟いている。

 母から子機が手渡された。恐る恐る、耳に当てる。

「もしもしぃーっっ!! 咲だよっ! 咲だよ!! 今日で3回目、今までで299回目の電話だよぉーっ! ねぇっ、何か話したいコトない? ねぇっ、ない?」

「無い」

 ブチッ、ツー、ツー、ツー、ツー、と、電子音。

 無いと応えると、決まって向こうから電話を切る。

 ルールのようなものだろうか。

 健太は、すでにそれが日課になっていた。

 子機を1階に戻す。木曜日は3回しか、かかって来ないはずだ。今日はもう無いだろう。

 健太は自分の部屋に戻り、眠りについた。

 

■ ■ ■

 

 翌日の放課後、サッカー部である健太は、雨で部活がないため、教室で1人読書をして、最終下校時刻ギリギリのところで教室を後にした。

 下駄箱で靴を履き替えている時、ふいに声がかけられた。

「……健太、君?」

 その声は、いつも電話越しに聞く、あの声だった。

 健太は、ビクッと驚きながら後ろを振り向いて、その顔を覗いた。

「っ、えぇと、咲です」

 まだ幼さの残る顔を俯かせ、改まったように話す口調は、本当にいつも電話で話している咲なのだろうかと疑ってしまいそうな程、優しくて、温かかった。

「何?」

 少し強い口調で返す。 咲は、少したじろきながらも、言葉を放った。

「えぇと、健太君と、お、お話したいコトがあって」

 顔を赤らめる。

「い、いいです……か?」 俯いていた瞳を上げ、健太の瞳を真っすぐに見つめた。

 別に断る理由の無かった健太は、少し間をとって、

「いいよ、何」

 と、愛想なく応えた。 咲は、その言葉を聞くと共に、顔をみるみるうちに明るくさせ、言った。

「あ、あの、えと、私、前から健太君と直接話がしたくて、でも、恥ずかしくて、電話でしか出来なくて、何度も何度も電話かけて、ごめんなさいっ。だけど、私、健太君のコトが好きで、本っ当に大好きで。ずっと、ずっと前から言いたかったんです。えと、えぇと、私と、つ……付き合っ――」


『――バカじゃねぇの』


 息が、止まった。

 心の中では、ありがとうと、言っていた。

 嬉しかった。あの咲が、自分のコトを好きだと言ってくれて、本当に、本当に嬉しかった。

 けど、僕はそう言っていた。

「――っえ」

 咲の頬に、涙が伝った。

 健太は、その涙を見ないように、走り去っていた。

 

■ ■ ■

 

 後悔した。

 後悔した。

 あんなコト、言うつもりなんてなかったのに。

 言ってしまった。

「クソッ、クッソォッ」

 ベッドの上に置いてあった鞄を壁へと投げつけた。

 今日は金曜日。3回、3回電話がかかって来るはずだ。

 そう期待して、時を待つ。

 まず、何と話そう。謝るべきか、先に僕も好きだと言うべきか。

 考えばかりが膨らんで、かかるはずの電話は、いっこうに鳴ろうとしない。

 かからない。

 かからない。

 ……かからない。

 どれほどの時間が経ったのだろう。

 プルルルルルルルル

 電子音。

 電話が、鳴った。

 母が、それを取る。

 早く子機を持ってこい。

 早く子機を持ってこい。

 心臓の鼓動が速くなる。

 脈が異様に速くなる。 嫌な、予感。

 そして――

 ――ガチャ

 母は、子機を持って来るのではなく、そのまま受話器を戻し、手ぶらのまま階段を登って来る。 いつもより寂しげなその音が、少しずつ僕の部屋に近づいて来る。

 足音が、止まった。

 部屋の扉が開く。

 母は、少し間を開け、涙ぐんだ目をしながら、話し始めた。

「咲ちゃんね、さっき交通事故で、亡くなったそうよ。即死、だったって」

 母の言葉が、耳の奥で何度も響いた。

 母が階段を降りる。

 咲が、死んだ?

 死んだ?

 咲が、死んだ?

「嘘、だろ」

 こんなの、ありえない。

 あまりにも、あっさり過ぎるよ。

 咲は、死んだ。

 咲は死んだ!

 消えた!!

 崩れた!!

 壊れた!!

 潰れた!!

 粉々に、粉々に粉々に まだ何も知らないのに、咲のコトなんか、まだ何も。

 クソッ……クッソォォッ!

 

「−−−−あ、あぁ、あぁっ、あああぁあああああああっあぁあああぁっ……わぁぁあぁぁあっぁぁあっあっぁあぁああぁっあぁっぁぁ……−−−−」

 死んだ。


 死んだ。死んだ、死んだ、死んだ。 

 死ん……だ死んだ  死んだ。

 死 死んだ死んだ。死ん……死んだ死……んだ 死 んだ死んだ。死、だ……

 だ。だ死んっ 、だ ん死ん、だ……

  だん死。んただん、死ん……だんだ死

 死、死死、死 んん死ん 

 …………っっ……、……、……っ……っ……死んだ。……、……

 彼女からの電話は、もう、かかって来るコトは無い。

 彼女の声は、もう二度と耳には届かない。 

 彼女に好きだと伝えるコトは、もう二度と出来ない。

 彼女に謝るコトは、もう二度と出来ない。 彼女は死んだ。

 あの嬉しそうな笑顔も。

 あの顔を赤らめた姿も。

 あの恥ずかしそうに俯く幼い顔も。

 あの優しくて、温かい口調も。

 もう二度と戻らない。 あんなにキライだったのに。

 あんなにうっとうしかったのに。

 もうあの電話がかかって来ないかと思うと、滝のような涙が、溢れ出て、止まらなくなった。

 もう一度、もう一度だけ、あの温かい声を聞きたい。

 そう願った時、電子音が鳴り響いた。

 プルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル……

 なかなか母が出ない。

 僕は階段を駆け降り、受話器を耳に当てた。

 滴る涙を拭いて。

「もしもし」

 と、呟いた。

 わずかな希望を胸に抱いて。

「もっしも〜し! 咲だよっ! 咲ちゃんだよーう!! 今日で最後、今までで300回目の電話だよっっ! ねーぇっ、何か話すコトない!? ねぇっ、無い?」

 紛れのない、咲の、温かい、あの声だった。

「お、お前、死んだんじゃ」

 そんな言葉が、こぼれ落ちた。

 

「死んだよ。……うん、死んだ」

 

 哀しげな声に、変わる。

 言葉が、のどに詰まって取れそうにない。

「じゃあ、なんで−−−−」

「それが、最後の言葉?」

 違う。

 もっと、言わなくちゃいけない言葉がある。

「ねぇ、時間無いから、早く」

 悩むコトなんて、何も無かった。

「ご、ごめんっ。俺、何か素直になれなくてっ。あんな酷いコト言っちゃってさ。すごく嬉しかった、咲が俺のコト好きだって言ってくれて俺も、咲のコト――」

 遮る、声。

「バカッ。どうして今頃、遅いよ、もう。遅すぎるよっ。私、死んじゃった。何で、何でよっ、まだ、死にたく無かったのに、死んじゃダメだったのにっ! また、電話かけまくってやろうって、思ってたのに。私はバカでいいから、それでも健太君のコト大好きだって、言ってやろうと思ってたのに。明日の休みに、一緒に見たい映画があったのに、たくさんたくさん、一緒の思い出作ろうと思ってたのにぃっっ! みんなみんな全部っ、遅すぎたのぉっっ!」

 咲の言葉一つ一つが、僕の心に鋭く突き刺さる。

 本当に、もう遅かった。

 僕が放ったあの一言が、全てを狂わせてしまった。

 もう、戻らない。

 もう……戻れない。

「何か、何か言ってよっ」

 咲の声。

 声だけは、こんなにも近くにあるのに

 彼女はもう、どこにもいない。

「咲っ。さきっ……!! 俺、何であんなコト言っちゃったんだろうっ。全部、全部俺のせいなのに、どうして咲が死ぬんだよっっ! ゴメン、ゴメンな咲。俺、一生お前のために償うから、この人生全部かけてでも、償うから。だからさ、許して、くれないかなっ」

 許しをこうなんて、どうかしてる。そんなことくらい、僕にだって判ってる。

 だけど、許してもらえないままだと、気が狂ってしまいそうだったんだ。

「いいよ。私は健太君を怨んだりなんかしない。呪い殺したりしない。だけどね、一つ条件があるの」

「条件? 何?」

「私、健太君の“彼女”ってコトで、いい?」

 涙が、止まらない。

  そして僕は、口を開いた。

「もちろん、いいよ」

 ただ辛くなるだけの言葉。

 だけど辛くたって構わない。

 いつも君は傍にいる。 心の中に、君は。

「ありがと、嬉しくて死にそう」

「笑えないよ」

「ハハハ、笑おうとすれば、いつだって笑えるよ。ささっ、健太君も、笑って笑って」

 「ごめん、涙が止まらない」

「ハハハ、笑える」

 声だけが、咲の声だけが、僕の中に入り込んで、寂しい僕の心を、優しく抱きしめてくれる。

「もう、本当に時間ない」

「最後に、一言言わせて」

「何?」

「I love you」

「英語わかんない」

「愛してるよ、咲」

「っ。私も、愛してる」

 辛くて、哀しくて。

 涙だけが流れてゆく。 時間が止まってほしくて、もっと咲の声が聞きたくて。

 だけど淡々と、ただ時は過ぎてゆく。

 一言一言を心に刻んで。

 絶対に、忘れやしない。

「浮気、しないでよ」

「しないよ、するもんか」

「ハハ、私はするかもよ?」

「そっか」

「嘘。しない」

 僕は少しだけ微笑んでいた。

 涙は止まらない。

 でも、微笑んだ。

 嬉しかった。こんなにたくさんの咲の声が聞けて。

 本当はもっと聞きたかったけど、そんなコトを願ったら、この声さえも消えてしまいそうで、怖かった。

「じゃっ元気でね、健太っ」

「そっちこそ」

「う、うん。……ありが――」

 

 プツンッ! ツーツーツーツーツーツーツーツーツーツーツー。

 咲の声が、電子音に変わる。

 2人の声を繋いでいたモノが、引き裂かれた。 

 滴る涙が、とめどなく床を濡らして。

 健太の喘ぎが、虚空に響く。

 時だけが淡々と過ぎ去って。

 引き裂かれた声は、もう戻らないコトに気付く。

 あの幼い顔を思い出して。

 少し微笑んで。

 あの辛そうな声を思い出して

 また泣いて。

 なんでいつも失ったモノばかりが輝いていて。

 残されたモノは哀しむのだろう。

 健太は、呟いた。

 

「ありがとう、咲……」



−−Fin−−



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