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竜操の記憶  作者: ぽぽの
第二章 逃避の先に
9/14

三 熱々な湯煙に包まれて。

 ミルファはこの辺境の集落で、農耕に勤しむ大人たちの手伝いをしながら生活している。


 まだ十三歳であり、女の子でもあるため、集落のみんなからは無理をしなくて良いと言われているが、彼女には他に有意義な時間の使い方というものが思い浮かばない。


 なぜならミルファは集落内で最年少であり、同年代の子供もここにはいないからだ。離れた街へと移住を決める者もいて、人口は減少の一途を辿っている。


 だから時間あらばすぐに外に出て、陽光の下で汗をかき、日没の頃に帰宅するというサイクルなのだが、ここ数日でそれに変化があった。


「今日も駄目だったぁ」


 自宅に戻るなり吐き出す第一声は、大抵この類だ。


 彼女のその声に反応して、グレンが労いの言葉をかけながら出迎えるのが、ルオがこの集落に来てから四日目までのパターンだった。


「ルオ君、もう故郷のこともグレンのことも、どうでも良くなってる気がするんだよね。アプローチの仕方間違えたかな……」


 グレンが室内にいないからこそ、そんな独り言が吐ける。


 もしグレンが聞いていたら、その瞳は間違いなく潤むだろう。ルオのことを話に挙げると、この頃グレンはネガティブな反応を返しがちだった。


「大丈夫。もし何かあっても、私が面倒見てあげるよ。……うん」


 ミルファの独り言はやまない。


「でもここからどうしようかな。もう一週間も経つのに……。あぁあああ! 上手く考えがまとまらないよ」


 消沈して椅子にもたれかかるミルファ。


 事の経緯をグレンから聞いた時、悪いのは模擬戦の観衆だとすぐに分かった。だからそこを突いた質問もしてみたのだが、ルオの返答は、もっと強い竜を貰っていれば非難されることはなかったという一点張り。


 掘り下げて行けば、竜の強さに辿り着くことは確かかもしれない。しかしそれでは観衆と何も変わらないではないか。仮にも神託を受けることは希望性。ならばルオにはグレンの面倒を見る責任がある。


 ――とミルファは考えているのだが、それを今の彼に言うと逆上されそうで怖かった。室内にいる時の彼はそれほどまでに無頓着で、介抱した時の愛想はどこにもなくて、まるで感情を遮断しているように感じさせてしまうのだ。


 そんなルオにも心境の変化はあったようだ。五日目から、彼は農作業を手伝うようになった。その時に竜や母親関係の話題は口にはしなかったが、彼は集落の大人たちにしごかれながらも嫌な顔一つせずに、むしろ生き生きとしていた。


 もしや、とある可能性が過ったミルファは、その日の夕方にルオに尋ねてみた。


「ルオ君、どういうつもり?」


「どうって……僕、決めた。ここで暮らしていく。ここなら嫌な思いを全部忘れられる。集落のみんなも色々優しく教えてくれるし、田舎暮らしも悪くないね」


 ミルファはその時の衝撃を今も覚えている。流石にこのことはグレンには報告していないが、時折外から家の方を見ると、出窓に張り付いているグレンがいるのだ。黙っていても時間の問題だろう。


「……座ってる場合じゃないか。グレンを迎えに行こう」


 ミルファは家を出ると、集落の少し離れにある山道を目指した。


 この世界には、モンスターと呼ばれる人間の生活を脅かす生物がいる。それらは大抵、自らのテリトリーを形成して、人里離れた場所に潜んでいる。


 集落の周辺の野山には大自然が広がっている。しかしその全てを、集落の人々が目で見て確かめた訳ではない。


 言い換えれば、未知や危険が潜んでいると言える。


 それでも彼女が今進んでいる山道だけは一定の安全が確認されていた。太陽が出ている間ならばモンスターは姿を現さず、道も単純で迷うことがない。そんな理由で、集落の人々の食糧採取ルートとしてよく利用されている。


「グレン……」


 ミルファが緩やかな勾配の土道を上り切った時、前方に赤い竜の姿が見えた。


 一本の木に体当たりしては弾き返され、翼で風を起こそうとしても枝葉すら揺れない。


 燃え移らないようにという配慮なのか、岩石に向かって息を吐くが、炎は出ない。熱気すら感じない。


 ミルファは見ていると切ない気持ちになった。


「グレン、そろそろ日が沈むよ」


「ミルファ……」


 グレンもまた、今日は進展なしと言わんばかりの暗い表情だった。


「モンスターが出ると危険だから、帰ろうか」


「うん」


 グレンはルオに認めてもらうため、一人修行に励み、弛まぬ努力を重ねることにした。一方でそれを知ってか知らずか、ルオは努力こそしているものの、ミルファとグレンが求めている方向性とは全く違う。


 ゆえにミルファは、明日は行動に出ようと意を決した。迷う必要などなかったのだ。


 疲れた様子のグレンを抱きながら家路に就く。何事もなく集落に帰る頃には、グレンはうつらうつらとしていたが、


「ねえグレン、一緒にお風呂入ろっか」


 誘いをかけると、閉じかけた目が少し開いた。ミルファにとって、入浴は一日の癒しの時間である。


「りゅ、竜はお風呂に入らなくても平気だよ」


「でも水浴びはするでしょ?」


 事実、グレンは旅路で何回か川で水浴びをすることはあったが、集落に辿り着いてからは一度もそのような行為には及んでいなかった。


「分かった。入る」


「よし! じゃあちょっと待っててね」


 ミルファは(ほころ)んだ笑みでグレンを下ろすと、外から家の裏手に回った。


 この集落は文明の発展に乏しいため、自動で給湯してくれる設備はない。風呂は薪で焚き、火力調整は竹筒に息を吹きかけて行う。


 ――外で薪の崩れる音と悲鳴が聞こえた。ミルファがその山から薪の束を一つ取った時に、バランスが崩れてしまったようだ。


 グレンはすかさず飛び出した。


「びっくりしちゃった? ごめんね……」


 尻餅をついたミルファがそこにいた。


 そして周囲には、小さな木製物置から転がったであろう薪の束がいくつも。


「大丈夫?」


「うん、大丈夫。すぐ片付けるから心配しないで」


 ミルファは薪の束を端から端へと整然と詰めていく。


 グレンも手伝おうと短い前足を薪にかけるが、


「んー……!」


 薪は十本以上束ねられている。グレンには持ち上げることすらできなかった。


 そんな必死なグレンに、ミルファはありがとうとだけ告げて、その束も収納した。


 彼女はそのうち薪をくべ始めた。火花がパチパチと、風呂を沸かすためだけの暖炉で弾ける。


 その様子を見て何を思ったのだろうか、グレンは炎が揺らめく方へと近づく。


「グレン、どうしたの?」


 グレンは羨む目で炎を見つめている。


「僕も……こんなあったかい火が吐けたら……」


 ミルファは続く言葉を容易に想像できた。


 〝ルオをがっかりさせなくて済んだのに〟


 そんなルオを想う様子を見ていると、気になることが浮かび上がった。


「グレンとルオ君って主従の関係なの? それとも対等?」


「竜は人間の意思に反応して遣わされる。それがどういうことか、僕はよく分からないけど……竜の国の人間は僕たち竜のことを信仰してる」


「つまりドラゴンが人の上に立っているってことだよね?」


「そうだと思うけど、そうじゃないような気もするんだ」


「どういうこと?」


「さっきも言ったけど、あくまでも人間が僕たちを使役するんだ。だから竜操士って名前が付くんだと思う」


「なーんか、ちぐはぐな関係だね」


「うん。これは幻承竜界でもはっきりしていないことなんだ。だから何だか、僕たちも試されているのかなって」


「試されている? ドラゴンが?」


「神竜様に、って意味。この関係をどう捉えるか。それは竜ごとに違うと思うんだ。……僕はこの世界に来た他の竜のことは全然知らないけど」


 考えられる可能性は三つに分かれるはずだ。


 〝竜操士〟という言葉の通り、人間が竜より優位に立つ関係。


 真逆に、竜がパートナーの人間を軽視し、主導権を握る関係。


 そのどちらでもなく、互いに意思疎通を図り、対等であろうとする関係。


「グレンはルオ君との関係をどう考えてるの?」


「僕は……ルオと何でも言い合えるような関係になりたい」


「グレンは友達思いの良いドラゴンだね」


 ミルファは火力調整を中断し、煤だらけになっていない手でグレンを撫でた。


「友達?」


「仲間……でも良いけどね。グレンはルオ君とそういう関係を築きたいんだなあって」


 グレンは俯いて黙りこくってしまった。


「さあ、そろそろお風呂が沸いたかなー」


 煙突から煙が昇る様子を見上げながら、ミルファは元気をグレンだけに振り撒く。


「お風呂、入る!」


「うん、行こう行こう!」


 脱衣所に着けば、ミルファは衣服を脱ぎ始めた。あとはアヒルのおもちゃを持って行くように、目を背けているグレンを抱けば準備は完了だ。


 浴室内は既に湯気が充満していて、二人の肌温度はすぐに上昇した。


「あちゃー、ちょっと火力高すぎたかな?」


「僕は全然大丈夫」


 たとえ戦闘力が皆無でも、グレンは竜。耐性はまさしくその種族由来のものだ。


「グレンが大丈夫なら良いんだ」


 ミルファは湿気を含んだ木製の椅子を二つ並べる。片方にグレンを乗せた。


「まずは体洗おっか」


「僕、水で流すだけで充分――」

「えー、駄目だよ。ちゃんと石鹼使って洗わないと。私が洗ってあげるから」


 そう言うとミルファは石鹸をグレンのお腹に当てて擦り、泡が立ったら、


「ごっしごっし! ごっしごっし!」


 楽しそうにグレンの全身を擦る。


 グレンはくすぐったくて椅子の上で暴れていたが、嫌ではなかったようだ。


 その後、ミルファも自身の体を洗い、二人は全身泡まみれになった。


「どう、グレン、人間のお風呂も悪くないでしょ?」


「うん!」


「それじゃあ流すよ」


 ミルファは桶に浴槽のお湯を汲み、グレンに優しくかけた。


 お湯が想像よりも熱かったのか、グレンはしばらく強張っていたが、全身を震い水滴を飛ばす。


「よし綺麗になった。……グレンは先に湯船に浸かっててね。私は髪も洗うから」


「うん」


 グレンは先のことから浴槽内に警戒していた。隣でミルファのご機嫌な鼻歌が流れているが、足の先を湯面に近づけては引っ込める。


 その睨み合いが終わったのは、ちょうどミルファがシャンプーを髪全体に浸透させた頃。お湯の温度が心なしか下がり、グレンは肩までしっかりと湯船に浸かっていた。


「ふー。髪が長いと、洗うのも一苦労だよ。ん……グレン?」


 シャンプーを流し終えたミルファ。グレンは湯気が収まりつつある中で、その姿を見て、鼻血が少しだけ出ていた。


「グレンはまだ子供ドラゴンなのに、そういう所が気になっちゃうんだ?」


「ご、ご、ごめんなさい!」


 グレンは湯船から飛んで出ようとしたが、


「謝らなくて良いよ。グレン、可愛いから許しちゃう」


 ミルファはむしろ両腕を広げて、湯船に飛び込んだ。


 飛沫が舞い、グレンはミルファに捕まる。


 そのまま彼女の柔らかな肌に押し(くる)められてしまい、


「グレンはもう逃げられない!」


 はしゃいでいた二人が落ち着いたのは数分後のことだ。


「ねえグレン、さっきの話の続き、しても良い?」


「なにぃ?」


 グレンはのぼせ始めたのか、一瞬言葉に輪郭がなくなる。


「どうしてグレンはルオ君に拘ってるの?」


「拘ってる?」


「グレンとルオ君は出会って一日もしないうちに、バラバラになっちゃったんでしょ? 正直、ルオ君じゃなくて、大事にしてくれる他の人を選べば良いじゃん。例えば……私とか」


「……ごめんなさい」


 グレンは声を震わせて謝った。


「あはは、振られちゃったかぁ」


 竜の神託を受けるための条件は、ミルファも知っている。グレンから聞いたからだ。ゆえに自分では門前払いなのは理解していた。その上での軽い冗談だ。


「僕はルオじゃなきゃ嫌。ルオは……僕に名前を付けてくれた。凄い炎を吐く竜になって欲しいって思いを込めて。その思いに応えて、ルオに立派な姿を見せることで恩返ししたい」


「……そっか。名前は、そこに込められた意味は特別なものだよね。私たち人間もそう。たった二人しかいないお父さんとお母さんに付けてもらって……」


 ミルファはグレンを一層力強く抱きしめた。


「うん。グレンの気持ちは良く分かった。そろそろお風呂上がろうか」


 グレンはふわふわのタオルで濡れた身体を拭いてもらう。


 ミルファは室内用の暖炉の傍で髪を乾かす。これに十数分の時間を要し、気付いた時には、グレンは床の上で眠りに落ちてしまっていた。


 湯冷めしないようにグレンをベッドに入れると、ミルファは深く息を吐いた。


「グレン、明日は私、頑張るからね」

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