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竜操の記憶  作者: ぽぽの
第二章 逃避の先に
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二 不意に寂しさが押し寄せて。

 ミルファは自分の家へと向かい、食事の片付けを手早く終えた。


「なるほどね……」


 椅子に座って頬杖をつく。


 それを遠目で見つめるのは赤い竜グレン。


「ドラゴン君、そんな縮こまらないで。こっちおいで」


 手招きに釣られ、グレンは室内を飛ぶ。椅子に座ると体がテーブルに全て隠れてしまうので、チェック柄のテーブルクロスのかかった机にちょこんと着地し、ミルファを見上げる。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ルオ君だっけ? 顔色は良くなってるよ」


 グレンの不安げな瞳は、覗けば覗くほど晴れそうにない。


「ああ、そっちの方も心配だよね……。私が何とか間に入るから、頑張って仲直りしよ?」


「うん、お願い」


 グレンはミルファの腕に縋った。


「よしよし。……そう言えばドラゴン君、名前とか付いてるの?」


「グレン」


「へぇー、力強い響きがするよ」


 ミルファは心の底から思ったことを言ったのだが、グレン自身から聞いた話を思い出した。


 自分が何もできなかったせいで観衆からなじられ、ルオが辛酸を嘗めるに至ったこと。


 その記憶は、時間が経った今でも両者ともに忘れていないだろう。


「あっ、ごめんね。馬鹿にしようとかそんなつもりで言った訳じゃないんだ」


「うん、大丈夫」


 グレンは不意に欠伸をした。


「……もう寝よっか」


 ミルファはグレンを抱いて寝室に行く。


 三つあるベッドの一つに潜ると、枕元にグレンを寝かせる。急遽作った間に合わせのグレン専用の小さな布団をかけると、グレンは寝息を立て始めた。


「おやすみ、グレン」


 ミルファはその頭を撫でる。そして仰向けに体勢を変えた。


 ――竜の国……か。なんだかとんでもない所からお客さんが来ちゃったなあ。でもあの子、そんな所から一人でここまで来るなんて。そんなに辛かったのかな?


 ミルファはグレンをもう一度見つめる。


 ――私にはグレンがそんな風には見えないな。ちゃんと話せば分かり合えると思うのに。


 彼女には思うことがいくつもあった。だがそれを留め、今は深い眠りに就いた。






 翌朝になれば、ルオの体調は元通りだった。瘦せた分はこれからの食生活で取り戻せば良い。


 彼は集落の大人にミルファの家の場所を尋ね、その扉を叩いた。


 奥の方から、はーい、と明るい返事が聞こえる。


「おはようございます」


 ルオは深く頭を下げた。


「あっ、すっかり良くなったんだね。良かった良かった! さあ、入って入って!」


 普段着に着替え終えていたミルファは、好機と睨んでかルオを歓迎する。


「お邪魔しま……」


 だがルオが家屋に半身だけ入った時、


「やっぱいいや」


 ルオは部屋の隅に頭だけ隠れているグレンを発見し、引き下がった。


「えっ、ちょっと!」


 ミルファはルオを追いかける。


 ルオは貸家には帰らず、集落を出た小丘の一つに登った。


「ねえ、待ってってば!」


「離して……!」


 ミルファはルオの腕を掴んだ。


「どうして逃げるの?」


「僕には神竜様の加護が与えられなかった。充分な神託を貰えなかった。……だから不完全な竜が来たんだ。そんな奴の顔なんて見たくない」


 竜に対する理解が、ドラゴメルクに対する理解が及んでいないミルファには、軽はずみな返答はできない。代わりに力が緩んだ。


 しかしルオは逃げようとはしなかった。


「じゃあ場所を変えて話そう。ルオ君が今使ってる民家。そこに行こう」


 小丘を下り、民家に戻ると、ミルファがお茶を淹れた、


「はい、どうぞ」


「ありがとう……ございます」


「……あの、まず言っておきたいことがあるんだけど」


 ルオはお茶をすすりながら上目遣いする。


「私、ルオ君よりも一つ年上なだけだからね」


「そ、そうなの?」


 ルオはお茶を吹き戻さない程度の軽い咳込みをした。


「そうだよ。だから時々混ざってた敬語、使わなくていいからね」


「分かった、ミルファ」


「うん、それで良し。……で、ルオ君たちのことだけど」


 何から話そうか、という雰囲気が言葉を詰まらせる彼女からうかがえる。


「……昨日少し言ったけど、大体のことはグレンから聞いた。グレンのこと、嫌いなの?」


 その問いにはルオは即答だった。だがミルファは問い続ける。


「グレンを許してあげて」


「僕はもう竜とは関わりたくない」


 ミルファは唸った。この切り口からは攻略できなさそうだと知り、話の焦点をずらす。


「ねえ、ルオ君がいた場所って、『竜の国』って呼ばれてる場所なんでしょ?」


「うん。そうだけど」


「それってどこにあるの?」


 いかに漠然とした質問だろうか。世界の西とか東とか、そう言ったことを聞いているのだろうと予測はついたが、ルオはそれさえも分からなかった。


 彼はドラゴメルクの外に出たことは今までなかった。半ば衝動で出国し、日の出を待つための時間凌ぎに立ち寄った街すら、一つも知らない。


 そうなると、ふと気になった。


 ――ここはどこなのか?


 ルオが質問に質問で返す形でそれを尋ねると、


「それはね……」


 図ったかのような含みある声を発しながら、ミルファはベッド横のウッドチェストの最上段の引き出しを開けた。


 彼女が引っ張り出したのは一枚の世界地図だった。


 ルオはお茶が零れて地図を汚さないように二人分の湯呑をテーブルの端に除け、中央に地図を広げられるスペースを確保した。


「ありがとう。それで、ドラゴメルクだっけ? 確か……」


 ルオの頷きを無視して、ミルファは地図と睨めっこしている。


「ああ、ここだ」


 彼女は地図の真北を指した。緯度はちょうど真ん中くらいだ。地図を見る限り、その周辺は岩山で囲まれていて、まるで要塞に感じられた。


「ここがドラゴメルク。んで、ここの集落がここね」


 ルオは指し示された先を見て唖然とした。それは竜の国がある大陸とは別の大陸であり、その周縁部である。直線距離にしても千キロメートル単位の距離だった。


 がむしゃらにルートを選んだ末、こんなにも大冒険をしている自覚はルオにはなかった。


「う、嘘……」


「どうしたの? お母さんが恋しくなった?」


 俯いて一瞬小さくなったルオだが、首をブンブンと振る。


「別に!」


 ルオは湯呑を持つと、そっぽを向いてぐいっとお茶を一飲みした。


 そんな隠しきれない動揺を目の前で捉えたミルファは、ここぞとばかりに果敢に攻める。


「お母さんに何も言わずに飛び出して来たんでしょ?」


「別に!」


 ルオは椅子から立ち上がり、ミルファに背を向ける。


「お母さんのあったかい手料理、もうずっと食べてないでしょ?」


「別に!」


 あの日に母が手料理を作って待っていたことを思い出し、心の中でごめんなさいと唱えた日もあった。


「お母さんに会いたいでしょ?」


「別に!」


 ルオの返事は終始一貫していた。そこに付随する反応はやはり物悲しそうだったが。


「意固地だなぁ。お母さんは大切にしなきゃ。もう会えない人だっているんだからさ」


 〝もう会えない人だっている〟


 その言葉に、ルオは深く共感してしまった。


 もう何年も父の顔を見ていない。遅咲きではあったが一流の竜操士となり、世界の軍国と称される地に赴任することになった父が帰郷するのは、年に一度か二度だった。


 見ず知らずの地で活動することが、たとえ竜と一緒であったにしてもどれだけ心身を犠牲にするものだったか、ルオには予想もつかなかったが、笑顔で帰宅して土産話をしてくれる父をいつも心待ちにしていた。


 そして国を出る際には、自分と行動を共にする飛竜の背に乗り、飛び立つのだ。その姿に憧れて、父親の背中を追い、ルオは竜操士になりたいと決意した。


 しかし今から一年前、訃報が知らされた。


 ルオの父の使命は軍事に加担することではなく、その軍国の周囲で巻き起こる戦争を仲裁する、という任務だった。


 決して一人ではなかった。何人もの竜操士が一丸となって臨んでいたが、彼らの行動を快く思わなかった軍国の幹部たちが、彼らを排除するための罠を敷いたのだ。


 そこに見事に引っ掛かってしまった訳だが、その時に窮地からの脱出に導いたのが、ルオの父だった。彼が囮になることで、他の竜操士たちは命を救われ、軍国の非道な行為を摘発し、一時はその勢力を衰退させるまでに至った。


 そんな大雑把な経緯を同僚から聞いた時には、ルオも母も涙を流していたが、決して責め立てはしなかった。父ならば進んでそうするだろうと分かっていた。彼は勇気の塊のような存在だった。


 毎年帰って来る頃になっても家の扉が開かないのは寂しいことだった。それでも父の死を悲しむだけではなく、父を驚かせるくらいの人道に則った竜操士になった姿を見せたい。それがルオの、神託を受ける儀式にかける意気込みだったのだが、今はそこから程遠い。


「お父さん……僕……」


「ん……?」


 後悔した声にミルファが反応した時だった。家全体が揺れた。


 ルオの意識は現実に引き戻されてしまい、


「あ、地震だ」


「話を誤魔化さないの! でも……結構大きいかも」


 家財が倒れるまではいかないものの、揺れを体感できるくらいには、はっきりとした大きさだった。


「……とにかく、情に訴えたって……無駄だよ」


「そうですか……。今日はもう帰るね。あ、ご飯と着替えは持ってきてあげるから、まあ羽を伸ばすといいよ」


 ルオ本人にしか分からない苦労があったことも確かだ。ミルファは数日この環境に置いておけば、いつかボロが出るだろうと期待して、その日は手を引いた。


 ミルファが去った後、彼は布団を被って丸まっていたが、そのことを彼女は知らない。

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