五 その日、戦う意思を示した。
それぞれの竜と戯れること数十分。はじめはイメージと違うと言っていたルオも、やはり自分だけの竜ということもあり、すっかり愛着が湧いていた。
姿かたち異なるブランカとグレンもいつの間にか仲良くなっていた。
「ねえ、これからどうする?」
「どうするって……あっ!」
ルオはようやく母との約束を思い出した。
「……お母さん待たせてたんだ」
「えーっ! 大丈夫?」
「怒ってはないと思うけど……」
ルオの母はブランカのように温厚で、何かを叱るにしてもいつも相手目線で優しく諭してくれる。ルオが今日の儀式を迎えるまで一度も非行に走らなかったのは、彼女の育て方が正しかったからに違いない。
そんな性格だ。彼女は約束を違わず、今も宮殿の入り口付近にいるだろう。
「様子見て来る」
ルオは一人で走り出すが、
「ルオ、待って!」
そう言ったのはグレン。彼の後を、安定した飛行で追いかける。
すれ違う子供たちは珍しい物を見るような目で、過ぎ去っていくグレンを見る。
もちろん彼らの相棒となった竜たちも充分に珍しいが、あまりに小さいからだ。
一方で、そんなサイズの竜を授かるはずがない、と友人であろう目撃者を笑い飛ばす者もいれば、グレンの存在に気付いていない者もいた。
そんな周囲の視線を気にすることなく、宮殿内の人込みを避けながら走り続け、ルオは面影ある母を見つけた。
「お母さん!」
ルオは数秒、膝に手をついて息を弾ませた。
「ルオ、お帰りなさい」
「ごめんなさい。待ち合わせのこと、忘れてた」
ルオの母は息子の頭に半分くらい隠れた、赤い体と片翼に目が行く。
「良いのよ。……その子が、あなたの竜なのね?」
声に誘われるように、グレンは顔をそっと覗かせた。
「うん。グレンっていうんだ」
「グレン……」
ルオの母は納得の表情だった。そこへ突然の、
「はじめまして」
初々しい様子の、人語を話すグレンの挨拶だ。二回目は詰まらずに言えた。
ルオの母は息を呑んだ。そして一層朗らかな表情で言う。
「こんにちは。ルオの母です」
グレンは自然と自分から前足を出していた。
「あら、お利口さんね」
ルオの母は前足を優しく握ると同時、もう片方の手で頭を撫でた。
グレンは気持ち良さそうにして表情と口元が緩む。
ところがその時、宮殿の通用路に厳格な声が響く。
「お前たち! ここは竜を出して良い場所ではないぞ!」
ルオの五十メートルくらい後方でのことだった。
数名の子供が竜を連れ出し、地響きを鳴らしていた。それを見かねた役人が怒鳴ったのだ。
子供たちは勢い余るほどに謝り、竜を光に変換して懐に収めた。
「戻せるんだ……」
ルオは竜を出したら最後、出しっ放しのまま生活しなくてはいけないとばかり思っていた。しかし考えてもみれば、それでは国内が竜で溢れ返るではないか。自宅に収まらない竜たちによる無法地帯と化すのは明白だ。
「でもグレンは元々小さいし、戻してあげる必要はないかな……」
ルオはそう言うが、役人に怒られる必要はもっとない。それを母に指摘され、グレンを赤い光に戻した。
その少し後、役人は何事もなく二人の横を歩き通り過ぎた。
ルオはほっとした。その矢先、
「おーい! ルオー!」
ティリアが走って向かって来た。
ブランカを引き連れて来ようものならば、役人の形相を拝むことになっただろう。流石に見える姿は彼女一人だけだった。
「ティリア、ブランカを光に戻したんだね」
「うん。みんな怒られてるから、怖くなっちゃって」
子供の考えることは誰も同じようだ。
「あっ、ルオのお母さん、こんにちは」
「こんにちは、ティリアちゃん」
――そう言えば、お母さんはティリアの素性を知っているのだろうか?
ルオはふと気になったが、保護者同士、いや保護者と保護者役の使用人で世間話をする機会は多くあったから、知らぬふりをしていたのだろう。
その証拠に、ルオの母はめでたいことがある度に家で一緒にパーティをしようと提案するのだが、今日はそれを聞かない。実の両親、国王と王妃との時間を過ごして欲しいと思っているからに違いない。
「ルオのお母さん、今までありがとうございました。ルオには本当のこと言いました」
「そうなのね」
ルオの胸中に反応するかの如く、唐突な答え合わせが始まった。
「ルオ、これからもティリアちゃんと仲良くしてね」
「それはもう本人から聞いた」
そんなこんなで立ち話が続いた。その傍らで、子供たちによる人流が宮殿の奥に再度向かって行くのが目に入る。
そこから漏れ出る声を聞くに、模擬戦が始まるらしい。
「どうする?」
ティリアはルオを見つめる。
ルオは自分の母を見つめる。
「行ってきなさい。お母さんは家でご飯作って待ってるから」
優しい声がルオの背中を押した。
「ありがとう。行ってきます」
ルオはティリアと手を繋ぎ、前方の子供たちを追いかける。
宮殿の最奥は、儀式を執り行った時と何ら雰囲気に変わりはない。強いて言えば、これから始まる戦いの余波に巻き込まれぬよう、神竜を模した巨像が障壁で守られていた。
そしてギャラリーの賓席にはティリアの父が座している。
「お前たちも模擬戦に参加するか?」
入場口付近を張っている役人に尋ねられると、
「やります!」
二人は口を揃えてやる気を示した。
模擬戦は竜たちによる力比べ。それぞれの竜操士が指示を出しはするが、戦うのは結局のところ竜たちなので、一対一なのか二対二なのかは意見が割れるところだ。
今日は参加者全員が初陣を飾る。だから決着がつくまでというよりは、竜を操る感覚を短い時間で回していこう、という趣旨らしい。
模擬戦は順調に進んだ。竜が炎を吐いたり、冷気を吹き出したり、雷を落としたり、やはり竜ごとに個性が溢れていた。全くの同種を持つ者はいなかったように見える。
竜を操った子供たちは、みな満足気な顔を浮かべる。そして自らの相棒に感謝を告げる。
時に、その竜カッコいいなー、と目移りするような者もいたが、あくまでも今はどれもが目新しく映るからだ。決して他意はなかった。
「次、誰かやりたい者はいるか?」
役人が、ギャラリーで観戦する子供たちを見上げて尋ねると、ハキハキした返事と真っ直ぐな挙手が場を制する。彼はその中から二人、重複がないようにだけして無作為に選ぶのだが、
「じゃあそこのお前と……お前」
遂に、ルオと視線が合った。
「は、はい!」
心待ちにしていたが、いざ呼ばれると緊張してしまうルオ。
「ルオ、頑張って!」
未だ番が回って来ていないティリアに奮起させられ、
「うん、行ってくる!」
ルオはギャラリー脇の、下り階段を駆ける。
――それが始まりだった。