二 少年少女は怪異に恐れる。
山道が薄暗い。道を挟むように立ち並ぶ木々が不気味に揺らぎ、木の葉が舞っている。
木々の奥は既によく見えず、先行きが不安になるルオたち。後方をティリアとミルファが歩いてついて来ているが、それよりもより大きな存在感を感じている。
「ティリアちゃん、ブランカはゆっくり歩かせてね」
ミルファは恐る恐る言う。実は、釘を刺すのはこれが三回目だ。
「分かってるよ。でも、これ以上は小さくならないよ」
対抗心を燃やすように、しかし囁いて言い返すティリア。
何が彼女たちを慎重にさせているのかと言えば、モンスターの存在だ。
昼間は安全な道ではあるが、夜間はそうも言っていられない。野生で生き延びるモンスターはきっと五感が優れている。だから最低でも物音を立てずに移動したいのだが、ブランカの歩行は周辺の大地を揺らしている。
かと言って、ブランカを光に変換する訳にもいかない。グレンの匂いを辿ることが、最も確実な探索方法だからだ。未熟な今は、役割を光の状態で遂行することが難しい。
仮にブランカの立てる騒音によってモンスターが襲ってこようが、ブランカの竜としての種族格差を考えれば、対処に困ることはないはずだ。そう考えると自己完結していてそこまで懸念することでもないが、火種が少ないに越したことはない。
「ブランカの様子は?」
ルオは後方を一瞥して聞いた。
「待ってね。……ブランカ、どう?」
ブランカが鼻で示した方向は、まっすぐ進行方向だ。
「まだ道なり……か」
ルオは安心するが、後にそんなことを言っていられなくなった。
グレンが修行に利用していた中腹まで来た時だ。
「グレン、いる?」
ルオはそっと声をかけてみるが、返事はない。そして姿も見えない。
嫌な予感というのは、まさにこの状況で感じるもののことだろう。三人は全身に寒気が走った。
「ブランカ、もう一回匂いを辿って」
その結果示されたのは、道から外れた茂みの向こう側だった。一応、さらに上に行くための山道も続いているが、三人はブランカを信じることにした。
流石に茂みの中を竜の巨体が進むことは敵わなかった。無理にでも通ろうとすれば、木々が倒壊するだろう。
ブランカは光に変換され、ティリアの懐に入った。
三人は途端に心細くなった。空間の人口密度が小さくなって夜風に敏感になった。そして夏でもないのに生暖かくて、さらにめまいも感じ始める始末だ。
「みんな、具合悪くなったりしてない?」
ミルファの言葉はまるで遠足を引率する先生の台詞だが、和気藹々とする気配は微塵もなく、
「私は大丈夫。ルオは?」
「僕も大丈夫。それよりも周りがよく見えないな」
「あっ、それなら私のランタン使って」
ルオはミルファからランタンを受け取る。しかし三人が持っている光源はこのランタン一つだ。それが誰の手に渡ろうと、視界の悪さは解決しない。ブランカの光は淡すぎて頭数には入りやしない。
「ところで、ここからどこに行けばいいの?」
道なき道を行けば、当然その疑問が付きまとう。ミルファはそう言いながら、見えもしない遠方に向かって目を凝らすが、
「うわっ!」
二人が答える前に一人で勝手にじたばたした。
「なにー⁉ 今、顔に何か当たった」
「虫か何かじゃない?」
平然として言うティリアだが、
「ティリアも虫ダメじゃん」
後ろ指をさされた気分になり、
「それは今言わなくていいじゃんーっ!」
ルオは背中を軽い拳で叩かれた。ティリアは大人ぶりたかったのだろうか。
だがそんな彼女も、数秒後に顔の前を大仰に手で払う。
「きゃっ、虫!」
確かに、ルオがティリアの虫に関することを言う必要はなかったようだ。
「何が飛んでるんだ……ハエ?」
ルオの視界はランタンで照らされているため、容易にその正体を確認できた。
ハエは三人の周りを飛んでいるというよりは、別の一点に向かって流れているように見えた。その方角をルオが目で追うと、
「……っ!」
心臓が強く鼓動した。
ルオは足を止め、その場に膝をつく。
女子二人は大丈夫かと声を上げて寄り添う。ハエなんか気にしていなかった。
めまいが激しくなり動悸が止まらなくなったのかと問われたが、そういう訳ではなかった。
「グレンが……呼んでる」
「えっ、ちょっと……ルオ!」
ルオが早足で茂みを掻き分け進むものだから、二人は焦った。彼の気がおかしくなっている可能性も考える一方で、グレンと共鳴しているという可能性も否定はできなかった。
視界が開けた時、三人が集落からどの程度離れた場所にいたかは全く不明だ。しかしこんな異界じみた光景が広がっていたことに、それぞれが息を呑んだ。
閑散とした広場の中央に輪を形成している十本以上の木々。だが冬でもなければ生育に不適当な土壌地帯でもないこの地では、違和感しか覚えない枯れ木の姿だ。
その幹に人為的に掘られたかの如く深い痕は、まるで顔に見える。いや、生命を宿した顔なのだ。
枯れ木は時計回りに歩いていた。幹から伸びる手の役割を持った太めの枝を、ゆっくり上下に動かして。
「な、何あれ……」
ルオは当然のようにミルファに説明を求めるが、
「私も知らないよ、あんなの」
集落の人々は夜の野山を探索したことがない。あんな不気味なモンスターがうろついているのを知ったら、たとえ昼でも山に登りたいと思うだろうか。
回る枯れ木の中心には、一回り大きな枯れ木が立っていた。その手の上には、
「ねえ、あれグレンじゃない⁉」
声を潜めてティリアが指差した。
暗闇に包まれていても辛うじて分かった。赤く小さな全身は一見すれば果物と間違えそうだが、目線の先にいるのは気絶した幼竜だった。
「グレン!」
ルオは衝動的に足が動くが、
「ちょっと、どうするつもり?」
ミルファに腕を掴まれ制止させられる。
「グレンを助けなきゃ。あの枯れ木、見た目はヨボヨボしてるから体当たりすればバランスを崩すかも。僕が囮になるから、二人でグレンを回収してくれないかな?」
今考えついた拙い作戦をスラスラと述べるが、二人は良い顔をしない。
「無茶言わないで。確かにグレンを助けなきゃいけないけど……。子供の私たちだけで何とかなるの? ここは一旦集落の皆に――」
ミルファが冷静を保ちながら語ったその時だった。
枯れ木たちの様子が豹変した。か細い唸り声を上げ、まるでグレンに縋って崇めているのか、感情の起伏が激しくそれが行動にも現れている。
まさかグレンのことを信仰しているのか。しかしモンスターがそのような文化を持っていることを、聞いたことはない。
不気味な音は周辺の木々に木霊し、風が不穏に吹き荒れる。
「何あれ⁉」
ティリアは目を丸くして枯れ木たちのさらに奥を指した。
この場所は森林地帯にポツンと存在する円形の小空間。そこへ繋がる道もそこから繋がる道もないはずだ。
だが、三人が目を向けた奥の一箇所において、木々が隠していた道を開けたかのように消え去ったのだ。
そして地響きが鳴り渡る。
立っているにも苦労する大きな揺れだ。
手近にあった普通の木に掴まってバランスをとる三人。
「じ、地震?」
タイミングの悪さに不安が大きく募るミルファ。
揺れはさらに大きくなるが、どうも自然災害ではないようだ。
「違う……」
ルオは真っ先に捉えたその原因に畏怖する。
開かれた道幅をちょうど埋め尽くす何者かの影。粘性のある音を周期的に発しながら接近し、毒々しい方面に色鮮やかな葉をまとうその姿は、まさに自我を持つ巨大植物だ。
根を地面に張りながら動いているのが、地響きの根本的な原因だった。その植物モンスターが通り過ぎた地面は隆起していた。
植物モンスターは全身から小さな花を咲かせていて、そこから甘い香りが漂っている。
いや、甘い香りはそこからだけではなかった。
中核を構成する巨大な蕾。直径十メートル以上もあって何でも飲み込んでしまいそうなそれは、心臓でも入っているのかと思わせるほど強く鼓動していて、その蕾が開いたかと思えばまた閉じる。その一瞬に、強烈な甘い香りが匂うのだ。
ハエがそこに群がり、植物モンスターの周囲を鬱陶しく飛び回っている。しかしそれらは蕾に飲み込まれた。内部には甘さ抜群の消化用の溶解液が溜まっているようだ。
「ひっ……」
ティリアは息を呑む。三人共々顔面蒼白だった。
あれはただの植物モンスターではない。食虫植物だ。
そう理解した時には足が大きく震えていた。
食虫植物に群がる虫が消えてから、枯れ木たちは食虫植物に向かって歩き始める。
彼らを時間をかけ飲み込むのか?
そんな蕾から枯れ木の半身が抵抗できなくして藻掻く姿など、誰も見たくない。
食虫植物に捧げる生命ならばいるではないか。
「グレン!」
無防備な赤い幼竜の姿が再び目に入った時、ルオは恐怖を捨て、茂みを飛び出していた。




