一 その日、喧騒に包まれた。
「ぽぽの」と申します。
少年と竜の成長を描く『リュウソウの記録』、本日より投稿開始です。
全6章構成(10万字程度)の予定で、第1章は本日より1話ずつ投稿、第2章以降は週1~2話のペースで投稿していきます。
最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。
外が騒がしい。そう思ったのは今日何度目か。
普段ならば苦情を入れたくなるだろう。だが今日に限っては、その行動を執る者はいなかった。
「そろそろ支度はできた?」
窓に向かって聞き耳を立てていた少年は、反対方向の扉から聞こえた母性的な声への反応が遅れた。
「あ、うん。バッチリ」
白いワイシャツに、青紺色のブレザーとパンツ。勝負服に身を包んだ姿を母親に見せる。
「本当、良く似合ってる」
少年の母親は数回頷く。そして手を息子の喉元へと近づけた。
「じゃあ仕上げ」
蝶ネクタイが心身を共に引き締め、黒髪も相まって落ち着いた雰囲気に仕上がった。
「ありがとう、お母さん」
「それじゃあ、行こうか」
階段から転げ落ちないよう足元に気を配り、玄関に赴く。
少年の家は一つの通りに面した場所にある。出入り戸を開ければ、人流は目の前だった。
喧騒の正体。それは少年たちと同じ親子の組だ。全員がはぐれないようにと我が子の手を強く繋ぎ、ある一点を目指していた。
少年たちもその流れに身を任せ歩き始める。
今日は珍しく早起きできた。それも目覚ましなしで。少年の胸の高鳴りはその時から止んでいない。
道すがら、少年は何人かの顔見知りと目を合わせた。そして言葉を交わす。
他愛無い挨拶に始まり、心の準備はできているか、などと耳にタコができるほど重複する内容だ。しかし少年は嫌な顔一つしなかった。
時折、道行く彼らを影が覆い尽くす。その流れは雲にしては速すぎる。だが彼らにとっては日常的な光景だ。今さら驚きはしなかった。
人波に揉まれ熱気を感じてしばらく、ようやく終点が見えた。
巨大な宮殿。黄金色に輝く、別世界を思わせるような外観だ。
その入り口では役人が参加者の誘導に難儀していた。しかし彼らが言うには、私たちは神々が執り行う祭事の一端を担うことができてとても誇らしいとか。
やがて少年たちに番が回り、宮殿に入ってすぐのことだ。
受付で足止めを食らい、名前の確認を受けた。
「名前を申せ」
果たして、既に何人に対してそう言ったのだろうか。万年筆を片手に分厚い名簿と睨み合いする役人は、一瞬だけ少年に向いて無機質な声を投げた。
「ルオ・アルセネアです」
少年ルオはハキハキと返答した。
「ルオ……ああ、あった」
役人から安堵の息が微かに漏れ出る。名前を見つけ出すのに要した時間は五秒程度か。早い方と断言できるだろう。
「さあ入れ」
親子共々入場を許可されると、二人は九十度違う方向に別れることになる。
「ルオ、頑張ってね。式が終わったら、またこの辺りにいるからね」
「うん。……ねえお母さん」
「なぁに?」
「お父さんも見てるかな?」
「絶対に見てるわよ。今日はルオの晴れ舞台なんだから」
「そうだよね。行ってきます!」
朗らかな様子でルオは母親に小さく手を振った。そして宮殿の中心部を目指して歩き始める。
息子の背中を見送った母親は、他の大人たちに紛れ宮殿の左右に伸びる通路を行く。
ルオの視界に映るのは、宮殿を支える巨大な石柱。それらは金の塗装がされているようで、表面は外観同様に煌いている。
さらに印象に残ったのは動物のオブジェ。ただしそれはあくまで一般論の話であって、ルオのいる地では“動物”と一口に表現してはいけないものだ。
石柱同士に挟まれるように置かれ、道行く者を左右から見つめ続ける力強い視線。国民たちの信仰対象である竜。その頭部が黄金一色で模されていた。
ルオは奥へ進むほどに心拍が速くなる。なぜだろう、溢れんばかりの期待の一部が緊張に置き換わり、うなじから汗を数敵かき始めた。
――そんな感情はすぐに抑えられてしまったが。
「おっはよーっ!」
突然、ルオの両肩が重くなった。こんな奇襲紛いの挨拶をしてくるのは、彼が知る中ではたった一人。
「おはよう、ティリア。てっきり先に来てるのかと思ったよ」
ルオが振り向けば、思い描いた通りの無邪気な笑顔の少女がいた。だが、そのティリアと呼んだ少女を前にして目を丸くした。
白いレースのドレスに身を包んだ彼女の首にかかった金細工の星型ネックレス。加えて肩にかかる程度の長さの白みがかった桃色の髪は艶があり、その一本一本は毛先まで丁寧にとかされていた。その髪にのせられた一つの銀色の冠は、まさしく彼女を彼女らしく仕上げるための物だった。
「ティリア、それは……」
ルオはティリアの身に着けているもの全てに対して、頑張って指を差す。
「あ、あのね。私、ルオに言わなきゃいけないことがあるの……」
「な、なに……?」
固唾を呑むルオ。
「私、ドラゴメルクの王族なの」
――しばらくは開いた口が塞がらなかった。
「ほ、本当に⁉ で、でも、ティリアの両親は王様でも王妃様でもないよ?」
ルオとティリアは幼馴染の関係だ。他の友人を混ぜて公の場で遊んだことも、互いの家にお邪魔したこともある。ティリアは輪の中に溶け込んでいたから、ルオは彼女を同じ身分の平民とばかり思っていた。
「ルオが会ってたのは、私の身分を偽るために命令を受けていた王家の使用人」
「そう……だったんだ。……それなら、その格好も納得かな」
しかしよく思い出してみれば、ティリアと合う際はいつも視界の隅に特異な風貌の者が数人いたような。彼らが姫君の護衛の任についていたことを、今になって理解した。
「その……ティリアが僕みたいな普通の人と一緒にいて良いの? お姫様なんだから、もっと気品高く扱われるべきっていうか……」
ルオは呟き声で周囲に聞かれないよう話す。
「パパには許しを貰ってるから大丈夫。私はルオと一緒にいたい。それに……」
ティリアは石柱の陰を指す。サングラスとスーツの黒ずくめの男が数人、距離を取って潜んでいた。
「うわぁ……」
ルオは引き攣った笑みを浮かべる。粗相をやらかさないよう、心に決めた。
「何が言いたいかっていうとね……。こんな私だけど、今まで通り普通に接して欲しいの」
「もちろんだよ。今さらティリアに敬語使うなんて、考えられないな」
「それはそれで嫌だなぁ。なんか、私には頭を下げたくない、って言ってるみたいで」
ティリアはムッと頬を膨らませるが、
「まあいいや。あっ……」
自分たちが人流の一部をせき止めていることに気付き、
「ルオ、早く行こっ!」
ルオの手を取り、走り出した。
「あ、ちょっ……ええ!」
彼女の切り替えの早さと来たら、それは目まぐるしいものだ。昔からの付き合いであるルオでさえ、今も振り回されてしまう。
前方を走る純白の幼馴染。その姿を、バージンロードを走るお転婆な花嫁に重ね、ルオは頬を少し赤らめた。
竜の国ドラゴメルク。それは世界有数の支配力を持つ国家だ。
国民は例外なく竜を信仰し、その願いが通じた太古に、彼らは一つの権能を授かった。
それは竜と契約を交わし、国民が竜操士となることだ。
竜は幻承竜界と呼ばれる、国民が崇める神世界より遣わされる。
竜操士となった者は竜と心を通じ合い、一流と認められた暁にはドラゴメルクを去り、世界各地の統制に尽力する。
竜の力を借り、世界をより良くしていく。圧政を敷き、恐怖による支配を執り行うわけでは決してない。竜操士に求められる役割は、あくまでも世界を争いなき平和へと導くことだ。
しかし竜を信仰する文化は元来ドラゴメルク特有のものであるゆえ、一辺倒にその目的が遂行されるとは限らない。竜を信仰するようになった地においては、竜操士は歓迎されるが、竜に畏怖する地では、旧来より生じた軋轢を解消できていない事例が多く残っている。また、そのどちらにも属さない中立の地域も存在している。
そんな竜操士は、現代も毎年ドラゴメルクより輩出されている。
ルオは、今日が何の日かと問われたら、迷わず答えることができる。
「竜の神託を受ける日」
と声高らかに。