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『知らない』という免罪符



取り調べに当たっていた審問官は30代後半の男性だった。彼は子爵位持ちの貴族でもある。


故に、かつて社交界を震撼させた毒殺未遂事件についても、詳細にとまではいかずとも、当時の関係者の名前は知っていた様だ。



「テルミナ・・・ラルファ・テルミナ侯爵令嬢・・・ああ、そうか」



記憶を辿る様に、審問官がゆっくりと続ける。



「イズミル殿下の婚約者だった令嬢の名前だ」



イズミル殿下、とヘレナは小声で繰り返した。



殿下、というからには王族なのだろう。だがヘレナはその名前に覚えがない。

昔ド貧乏だった頃、読める本がなくて10年前の貴族年鑑を繰り返し読んでいた時期もあったのに。



それよりも前? だとしても・・・



ヘレナが思案していると、ユスターシュが視線を向ける。



「私の兄の名だよ」



イズミルとはユスターシュの兄、6人いる兄の一人だという。彼の一番上の兄は先代の王ローハンだから、つまり残る5人のうちのーーー



ここで話の流れを思い出し、ヘレナは気づく。イズミル殿下が即ち誰のことなのか。



きっと、レア側妃が王位に就けようと目論んだ彼女自身の息子、つまり当時の第二王子なのだろう。



ナリスは続けた。



「あの事件が起きた頃、私は既に屋敷を去っておりました。乳母の務めはとうに終えていましたので。それでも、ラルファお嬢さまの幸せを遠くからずっと願っておりました・・・それがあの日・・・」



言葉が途切れたナリスに変わり、夫のジェンキンスが口を開く。



「・・・俺はテルミナ侯爵家の料理人でした。だからこいつが屋敷を辞した後も、俺が屋敷で耳にしたお嬢さまの話を折に触れて妻に聞かせてやってたんです。イズミル殿下と婚約した話を聞いた時、ナリスはそりゃもう喜んで・・・なのに、あんな事件が起きて、全てが変わってしまった」



ジェンキンスは震え声で呟いた。



毒殺未遂事件の後、レア側妃は死刑になった。


イズミル王子は幽閉。


結果、ラルファ侯爵令嬢との婚約は白紙撤回となる。



けれどラルファは、婚約が白紙撤回となった後もイズミルを想い続け、修道院に入る道を選ぶ。



そしてその一年後にはーーー



「修道院でひっそりと亡くなられたと聞いて・・・」



ジェンキンスの言葉に、ナリスが泣きながら声を上げる。



「神の目を持つというのなら、邪悪な者と善良な者の意図とを見分けられるというのなら、裁定者さま、あなたは分かった筈です。イズミル殿下に王位簒奪の意思などなかったことを! なのにどうして、どうして、お嬢さまは愛する方を諦めなければならなかったのですか・・・っ!」



ユスターシュは答えない。



「罪を犯したのはあの側妃だったのに。ただ巻き込まれただけのお二人が何故不幸に・・・何の為の裁定者の力ですか・・・っ!」




ーーー裁定者が結婚して幸せになるのが許せなかった



ーーーその資格もないのに




ああ、ナリスが言っていたのは、こういう事だったのか。




その当時、ユスターシュはたった5歳だったとか。


能力が発現したばかりでコントロールもままならなかったとか。


ユスターシュ自身がその能力に苦しんでいたとか。



そんな事実をナリスたちは知らない。


裁定者の能力のないナリスたちには、隠れた事実は分からない。



分からないから、思うままを口にする。

簡単に・・・期待する。神さまみたいに全ての人の全ての願いを叶えてくれる事を。



ユスさまは確かに裁定者だけれど。

それは、心を読む能力を持っているだけで、彼は普通の人間だ。


そう、普通の人間なのに。



泣き崩れるナリスを見て、ヘレナがそんな事を思った時。


それがユスターシュに伝わったのだろうか、彼は一瞬、泣きそうな顔をした。






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