老婦人ナリス
目を覚ますと、ヘレナは知らない部屋にいた。
「お目覚めですか」
見覚えのない天井に目を瞬かせていると、横からそんな声をかけられる。
初めて聞く声に驚いて周囲を見回せば、声の主はベッドの横、足元近くに置かれた椅子に腰掛けていた。
「ええと、あの」
「ナリスと申します。昨夜、王城からあなたを攫うように依頼した者です」
品のいい老婦人は、優し気な微笑みを浮かべながら、さらりと物騒な自白を口にした。
ヘレナはぎょっと目を見張り、口を開いた。
「そ、それではあなたはプ・・・」
「いえ、私はプルフトス王国の者ではありません」
「え・・・で、では、他のだ・・・」
「誰か他の者から依頼を受けた訳でもありません」
「・・・つまり、あなたが・・・」
「はい、私が首謀者です」
「・・・」
ヘレナはジト目になって考えこんだ。
目の前の犯人の自白に驚くよりも、気になってしまったのだ。先ほどから先回りで答えが返って来るのは何故だろうか、と。もしやこのナリスという老婦人も、ユスターシュのように人の心が読める力でも持っているのだろうか。
すると、その様子を見たナリスはまた、口を開いた。
「恐れながら、別にあなたさまの心を読んでいる訳ではありませんよ。ただ・・・なんと申しましょうか、あなたさまはとても真っすぐな方のようでして、思っていることがそのままお顔に出るようなので」
「つまり・・・」
「はい。あなたさまの顔を見れば、考えていることは丸わかりでございます」
「丸わかり・・・」
ヘレナは軽いショックを受ける。
分かっている、話の論点はそこではない。けれど、これもまた現実逃避の一つなのか、それとも予想していた展開と違うせいなのか。
ナリスが犯行を自白しているにも関わらず、少しズレた事を考えてしまう。
だって、目の前のナリスという老婦人は、とても優しそうな人なのだ。
もしやこのナリスという人は、誰かに騙されてそう言わされているのでは、なんて事が頭を過ぎる。
「・・・もう王城とは縁遠くなってしまいましたのでね。あなたさまを誘拐するにあたり、その道の人たちに協力を願いました。そういう人たちは報酬を払えば何でもしてくれますし、裁定者さまの力が及ぶ城内で伝手を頼るより確実ですから」
おおう、前言撤回。
ヘレナはさっさと考えを改めた。
優しそうだけれど、この老婦人が首謀者であることは間違いなさそうである。
プルフトス王国の関係者ではない、と言っているけれど、ではこの人が自分を狙った理由は何なのだろう。
そんな疑問が再び顔に出ていたらしい。ナリスは少しだけ眉尻を下げた。
「・・・ユスターシュさまとあなたさまの運命的な結婚を素直に祝福出来ない人は、レアさまの姉君に限った訳ではないという事ですよ」
「・・・」
例の側妃の名前が出て来たという事は、やはりあの事件の関係者なのだろう。
ナリスは立ち上がり、手をヘレナの前に出した。掌の上には、飴の様な小さな玉がある。
「これを口に含んでください。そろそろ馬車の用意が出来る頃です。移動中に声を出されると不都合なので」
移動した先で食事などを出すという。どうやら城下の宿の一室にいるらしいが、一刻も早く王城から遠ざかりたいようだ。
「誘拐しておいてなんですが、あなたさまの命を取るなどという大層なことは考えておりませんので、ご安心くださいね。もちろん身代金狙いでもありません」
・・・では、どうしてこんな事を?
きっと疑問はまた顔に出ていたのだろう。
「・・・ただ、あなたさまを、裁定者さまから遠ざけたいのです」
ナリスは短く答えると、声を出せなくする飴玉を乗せた掌を更に前に突きだしてくる。
その時、扉の外で馬車の用意が出来たという声がした。
ナリスは、ヘレナの口の中に飴玉がしっかり入った事を確認してから、今度はヘレナの手を取り、扉前まで連れて行く。
恐らく見張りなのだろう、扉の向こうに男が二人立っていた。
男たちに挟まれる様にして、ナリスとヘレナは宿を出て、宿の近くに停めてあった馬車に乗る。
ヘレナたちの上空で、鳥が一羽、くるりと旋回した。




