ウスター、テスター、そしてキャンパー
「え? ロクタンってば、ユスターシュさまの変装も見破ったんですか?」
「うん。まぁ、正確には変装していない私を、ジュストだと見破ったんだけどね」
結局、あの後ロクタンに捕まったユスターシュは、かなり遅くなってからヘレナたちと合流する事になった。
裁定者という特殊な立場にある故にスケジュールが急遽変わる事も多いユスターシュ。だから大々的な遅刻になってもさほど白い目では見られなかったけれど。
帰りの馬車の中、ロクタンが素顔のままのユスターシュを見かけてジュストと気づいた事をヘレナにも話した。名前が美味しそうに変わっている事は、話がややこしくなるからここでは省略する。
執務室に特攻をかけて来るロクタンを、毎回お茶に誘って誤魔化していたのは変装した方のユスターシュだった。
美味しいお菓子を見れば、ロクタンは直ぐに来訪した目的を忘れたし、そのついでに頭の中を覗いて情報を貰っていたのだ。
それは勿論、ヘレナに対して何か変な事を計画していないかという心配もあったけれど、肝心の目的は彼の心の端々で漏れる呟きにあった。
ラムダロス伯爵家で起きた事や交わされた会話などについての、小さな、そう、ほんの小さな呟きを拾うこと。
それは本当に些細な、なんて事のない言葉ばかりで。
そう、例えば。
ーーー このクッキー美味しいな。う~ん、前にも食べたことがある気がするな。
ーーー そう言えば、明日は伯父さんが来るって言ってたっけ。あれ? 明後日だったかな。
ーーー はぁ、眠い。客と食事なんて別にどうでもいいのに、母上が早起きさせるもんだから。
などなど、こんな感じで。
多分、誰が聞いても、本当に何でもない呟きでしかないだろう。
だが、ユスターシュにとっては、貴重な情報源だった。
ラムダロス伯爵の実姉が異国の侯爵家に嫁いでおり、最近はその伝手を頼って客人が訪れたり書簡が遣り取りされたりしていた。
現在、その国からの品を輸入品として取り扱っているのは、ラムダロス家だけである。
そして、ユスターシュはその国の動きについて知りたかったのだ。
とある事情により、その国との交流はほぼ途絶えている。今その国と縁付いている家門は、ラムダロス家を除いてはほぼないに等しいのだ。
そういう意味では、ロクタンが毎日の様にユスターシュの執務室に突撃してくれるのは、余分に疲れる事にはなるが、有り難かった。
性格は多少アレだが、裏表がある訳ではないのは確認済みだ。
騙されやすいと言うか、誘導に簡単に乗って来ると言うか、まぁつまりはかなり素直な性格なので、用意する茶葉や菓子、振った話題などで簡単に頭の中に浮かぶ情報を操作できる。
しかも ーーー
・・・人や物の名前とかは全くもっていい加減なのに、映像がある場合だとバッチリはっきりしてるんだよね。
言葉だけでは、かなり適当な情報にしかならなかった。けれど、鮮明な映像付きなら、曖昧な話も補足出来たのだ。
ここで、ユスターシュは少し考える。
「・・・あなたの時も、変装に気がついたって言ってたけど、彼は目が特別よかったりするのかい?」
「んん? いえ、別にそんな話は聞いた事がないですけど。でも、良かったかもしれませんね。本とか読むのが嫌いで、いつも遠くをぼんやり眺めているのが好きだったから」
ヘレナは、それから少し考え、再び口を開く。
「でも一度だけ、夫人がロクタンのことを『記憶力がいいの』って自慢した事がありました」
「え?」
「それを聞いた時は、親バカだなぁって感心しちゃいましたけど」
「・・・」
「だって、人の名前もろくに覚えないロクタンですよ? 私の名前だって、『ヘレナ』の三文字をちゃんと覚えるのに4年かかったのに」
どうやらヘレナは、散々に名前を間違えられた事を少し根に持っているらしい。
ヘレナの頭の中に、蒸し風呂とか、ブナの木とか、大きめの縦笛とか、川魚とか、なんだか色々ぽわぽわ出て来た。
ロクタンの奴は、一体どんな名前の間違え方をしたのだろう。
だけど、とユスターシュは考える。
確かに、自分の名前も散々に呼ばれているのだ。
今は『ジュース』で落ち着いているが、その前は『ジェット』とか『ポスト』とか、『トマト』とまで呼ばれた事もあったっけ。
ユスターシュという名前に至っては、そもそもが長すぎるのか、省略された挙句、間違っているという変化球だ。
『ユスター』はかなり出来がいい方で、『ウスター』とか『テスター』とかはまだ理解出来る方。けれど、『キャンパー』はもう訳が分からなかった。もはや元の名前にかすりもしない。
・・・記憶力がいい、ね。
まぁ、確かに。
ロクタンの頭の中を覗いた時、映像付きのものはすごく正確だったんだよな。




