冷や汗ダラダラ
「本当にへーちゃんには感謝していますの。ユスとの婚約を受け入れてくれて、ありがとうね」
ヘレナの手をぎゅっと握りつつ、そんな事を言ったのは宰相夫人だった。夫人はユスターシュの上の姉に当たる。
ユスターシュとは13も離れている宰相夫人は、大人の色気がそこはかとなく漂う知的美女。あの宰相がメロメロというのも頷ける。
「ユスはね、小さい時はとっても可愛かったの。悪戯好きで、木登りが得意で、甘え上手で、私たち兄姉はいつもユスを取りっこしていたわ」
おおお、小さい頃のユスターシュ話、頂きました。
あの中性的な美貌ならば、小さい頃もめちゃくちゃ可愛かったに違いない。下手したら男の子の服よりも女の子のドレスの方が似合うレベルだ。自分なら絶対着せる。ピンクとか水色のドレスとか。
「変装ごっこと称して、私の子どもの頃のドレスを着せて連れ歩いた事もあったわ。色白だから、薄い色が似合ってね。ピンクとか水色とか、オフホワイトも可愛かったわ」
思い出を懐かしむ様に遠くを見つめる宰相夫人の言葉に、こくこくと全力で同意したのが騎士団長の奥さまと、筆頭公爵家の夫人だ。
「本当によく似合っていましたよね。4歳を過ぎる頃には着てくれなくなってとても残念でしたのよ」
「あれはね、お義兄さまが要らぬ事を教えたせいなのよ。それまでは上手いこと騙されてくれていたのに。お義兄さまったら、男の矜持が何たらとかおっしゃってバラしてしまうのですもの」
なんと。
ピンクと水色、ヘレナの予想が大当たりである。
完全同意のヘレナは、かつての自分の妄想についても口にしてみた。
「ユスターシュさまは、今もあれだけ麗しい方ですもの。いっそ私の代わりに純白のウェディングドレスを着た方が、国民の皆さまは嬉しがるんじゃないかと思うくらいです。
お披露目の時に、私じゃなくてユスターシュさまのドレス姿が見たい、なんて国民からブーイングが来るのではないかと、今から心配で」
「ぷっ」
「ブーイング?」
「まぁまぁ、へーちゃんったら」
ヘレナは真面目に話しているのに、ご婦人方には冗談と取られたらしい。
皆さん、ころころと鈴を転がす様な声で笑っている。
「ふふ、確かにユスなら今でもドレスは似合うでしょうけれど、ウェディングドレスは別よ。へーちゃんこそとても可愛い花嫁さんになるに決まってるんだから」
「そうよねぇ、やっぱりへーちゃんよねぇ」
「大体へーちゃんがウェディングドレスを着て登場しなかったら、ユスが大泣きして大変よ」
そんな会話が続いて、皆がひとしきり笑った後だった。
少し。
ほんの少しだけ沈黙が降りて。
それから、こんな言葉が聞こえたのだ。
「へーちゃん、ユスが笑顔を取り戻せた理由がよく分かったわ。本当にあなたのおかげなのね」
王太后陛下だった。
それに、傍らの夫人たちが深く頷いている。
何度か言われた台詞ではあるけれど、ヘレナ自身としては未だあまり実感がないそれに、小首を傾げていると。
「わたくしね、あの子が裁定者の能力が発現したと聞いて、直ぐに駆けつけてあげられなかったの。覗かれて困る様な事は何も考えていないつもりだったのに、どうしても怖くて・・・実の弟の様にも、我が子の様にも思っていたのに」
ユスターシュの長兄に嫁いだ王太后は、そう言うと悲しげに眉尻を下げた。
「今でも後悔しているの。だって、あの子が能力を発現したのは、元はと言えばローハンを・・・当時皇太子だったわたくしの夫の命を救う為だったのに」
「・・・」
「・・・エレオノラさまだけではありませんわ」
驚いて目を丸くするヘレナの前で、今度は魔法師団長の奥さまが口を開く。彼女はユスターシュの下の姉だ。
「私もあの子になかなか会いに行けなかった。もし、自分でも気づかない所であの子の力に怯える気持ちがあったらなんて、そんなくだらない事を考えてしまったせいで・・・」
「私もです」
「ええ、わたくしもそうでした」
次から次へと、悲しげな懺悔の声が上がり、ヘレナの驚きはいよいよ深まった。
そんなヘレナに、向かい側に座っていた王太后が涙を拭いながら笑いかける。
「だからね、わたくし達は心からへーちゃんに感謝しているのよ。わたくし達は、ユスが一番不安な時に寄り添ってあげられなかった。結果あの子は笑わなくなってしまった、いえ、笑えなくなってしまったのね。
それからのあの子は、ただ淡々と裁定者としての仕事をこなすだけになって・・・」
だからね、と王太后は続ける。
「あの子の番になってくれてありがとう。心を読まれる事を恐れずに側に居てくれて、あの子の笑顔を取り戻してくれてありがとう。
こんなわたくしが、母親気取りの台詞を言える資格もないのだけれど、でも言わせて頂戴ね」
王太后は深く頭を下げた。
「心から、あなたの広い心に感謝しているの」
それに続いて、宰相夫人や公爵夫人、騎士団長夫人ら他の夫人たちも。
この王国で最も高貴な立場にあるご夫人方が、一斉にヘレナに向かって頭を下げたのだ。
「本当にありがとう、へーちゃん」
「・・・っ」
こんな、普通ならば一生に一度も起きないだろう光景を前にして、ヘレナは内心で冷や汗ダラダラだった。
・・・こんな真面目な空気で言えない。
とてもじゃないが、言う度胸はない。
しゃべる手間が省けて便利、な~んて軽くしか考えてなかったですぅ、あはは、とは口が裂けても言えない。
実はそんな風に思っているからこそ、皆に感謝されているのだけれど。
そこの所がいまいち分かっていないヘレナは、いつしか内心のみならず背中にまで冷たい汗が流れ出すのだった。




