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全てはこの恋一度きり



「・・・兄さん、なんか面白がってない?」



『宿題』として、5冊の恋愛小説を手に図書館を後にした変装したユスターシュ(ジュスト)

彼の後ろ姿を見送るハインリヒにそんな言葉を告げたのは、妹のマノアである。



ユスターシュは、がんばって午前中に2冊の恋愛小説(教本)を読破した。が、当然の如く目の前に積まれた本の山は全く減った様には見えなかった。


午後には、『裁定者』として大罪人の尋問に立ち会う仕事があり、結果ユスターシュは宿題を片手に図書館を去ったのだ。

因みに、その宿題の期限は明日の朝まで。もちろん締め切りを決めたのもユスターシュ当人である。



「面白がってる・・・か。まあ、否定はしないな。確かに、見ているだけで面白いし楽しい」



素直に認める兄に、マノアは呆れた様な視線を送った。

けれど、ハインリヒはどこか楽しそうに笑う。



「そんな目で見るなよ。だって嬉しくて仕方ないんだ。

ずっと仮面を被ったように無表情だったユスターシュさまが、あんなに嬉しそうに笑っておられるんだぞ」


「・・・まぁ、それは確かにそうだけど」


「恋の悩みなんて、あの方には一生無縁なのだろうと諦めていた。これからもずっと一人孤独を抱えて行かれるのだと」


「・・・裁定者でこれまで結婚した人はいないものね」


「ああ」



ハインリヒは重々しく頷く。



「それがどうだ。あんな風にヘレナの一挙一動に慌てて、オロオロと悩んで。挙句に思いついたのが恋愛小説を教本にする事だぞ。

何だかとても人間臭くて、ホッとしたんだ。あんな・・・普通の青年の様に恋に右往左往する姿を見られる日が来るとはなぁ」


「・・・そうね」



ユスターシュがハインリヒに、ヘレナを王立図書館で働かせたいと言った時、マノアは別件でその場にいなかった。


後でその話を兄から聞いた時、マノアは最初まったく信じなかったのだ。あの(・・)ユスターシュが一目惚れなどあり得ないと。



それくらい、ユスターシュのどこか諦めの入った冷めた眼が当たり前になっていたのだけれど。



それがどうやら本当の話で、ユスターシュはそのヘレナという名前の子爵令嬢に恋をして。


けれど告白する勇気はなく、身分を明かすつもりもなく。


茶髪のカツラをかぶって、分厚い眼鏡をかけて、一同僚としてただウロウロと側で過ごすだけの日々。それが2年だ。



心の中でヘタレと呟きながらも、それでもユスターシュを見守れば、彼は少しずつ変わって行く。


一体どれほど面白い事がヘレナの頭の中で起きているのか、ユスターシュはヘレナの近くでよく肩を震わせていた。


偶に我慢しきれなくて「ぶふぉっ」とか変な声で吹き出したりして、それをわざとらしく咳をして誤魔化したり。



半年もあれば、「ああ本気なんだな」と側から見て分かった。でも、それでもなかなかあのヘタレは告白しない。


変な幼馴染みが強引にヘレナとの婚約話を進めているという情報をキャッチしたから、マノアまでハラハラしていたのだ。


いい加減に告らんかいと思っていたら、なんと突然の「つがい」宣言。



いくら恋愛経験がないとは言え、突飛すぎる、皆から疑われやしないかと心配した。

結果、皆は・・・まあ案の定だった。けれど、ヘレナは素直にその嘘を信じてあっという間に婚約して。


今や二人は正式な婚約者、結婚式の日取りまでばっちり決まっている。

この間、ちらっと見た印象では、いかにも相思相愛の恋人といった感じで。



なのに。


なのに、だ。



結婚どころか、婚約どころか、その手前の段階でユスターシュは慌てている。



「式の日まで決まってるから必要ないと思うけど、本人にとっては大事な事なんでしょうね」


「ああ。なんて言ったって、ユスターシュさまの最初で最後の恋だろうからな。一つとして疎かに出来ないんだろう」


「・・・だから、直ぐに答えを教えたりしなかったのね」


「全てがこの恋一度きりでしか経験出来ないとしたら、悩むのも、ちょっと方向がズレるのも、迷走するのも、全部貴重な経験だろ?」


「まあね」



幼い頃から人の裏の顔を見続ける宿命を負ったユスターシュは、もう本当の意味では人を信用出来ないのだろうと思っていた。



でも。



鞄からキュウリを取り出し、「今日のお昼はこれで」と言った時のヘレナの笑顔を思い出す。



え、と驚いたマノアに、「家の畑で今朝取って来たばかりの無農薬野菜ですよ」と大威張りしていた。



ああ、そう言えば。


前に、ヘレナがダイヤモンド鉱山がなんちゃらと呟いたのを聞いた事があったのを思い出す。


あれは、届いた沢山の新刊の確認を終えて、いざ箱から出そうという時だった。


なぜ本を見てダイヤモンド鉱山? 強制労働的な? と驚いた。

けれどヘレナの目は不思議にキラキラしていて、決して嫌なものを想像している訳ではなさそうで。


そんな彼女の向こうでは、ユスターシュが俯いて口元を手で隠していた。



後で聞けば、ヘレナは頭にハチマキをして大きく膨らんだズボンを履き、ハイホー、ハイホーとツルハシ片手にダイヤモンドを掘り出していたそうな。


そしてそれをしていたのはヘレナだけでなく、ジュストも、兄のハインリヒも、それから自分も、アルフェンたちも。つまり、その時その場にいた職員全員が、ハイホー!とツルハシを振り上げていたらしい。


なかなかに迫力ある光景だったとユスターシュは笑っていた。それはもう心底楽しそうに。




「・・・私も、ヘレナの頭の中を覗いてみたいな」


「私もだ。ユスターシュさまの反応を見るに、相当面白い事が起きてる様だが」


「ずっとユスターシュさまに辛い思いをさせて来たあの能力が、あの方にいい事を運んで来てくれて良かった」


「そうだな」


「一体、どんなプロポーズをするつもりなのかしら」



ユスターシュは、参考になりそうな台詞や場面を一生懸命にメモしていた。



その意欲や良し。



・・・けれど。



「兄さん、まさか変な小説をまぜたりしてないわよね」



ハインリヒは彼なりにユスターシュの息を抜こうと時々イタズラを仕掛ける事がある。


だから念のための質問だ。決して本気で疑っている訳ではない。



「・・・今回はしてない」



心外だ、そう言ってハインリヒはムッとしていたけれど。



だって、最初で最後の恋だなんて大層な言葉を聞かされちゃ、ね?



心配にもなると思う。



不安になって聞いた自分は、きっと悪くない。




さて、ユスターシュからの朗報は、いつ聞けるだろうか。




そんな事を思いながら、マノアは図書館のいつもの席へと戻った。


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