どこが惚気だ
「・・・ユスターシュさま、どうしたんですか。先ほどからずっと机に突っ伏して居られますが」
そう問うたのは、図書館長のハインリヒだ。
そう、前の側妃が計画した『王子たちまとめて暗殺未遂事件』の際に、巻き込まれて危うく死にかけた元侍従見習いである。
あの事件の後、ハインリヒはユスターシュ付きの侍従となり、現在は別の役目で王立図書館長を務めている。
ちなみに、王立図書館は数少ないユスターシュの休憩スポットでもあるため、ここで働く職員たちは全員、カツラをかぶったユスターシュ、つまりジュストの正体が裁定者である事を知っている。
ユスターシュの計らいで図書館勤務となったヘレナだけが、ずっと知らずにいただけの事だ。
「やっと愛しのヘレナ嬢と婚約出来たのでしょう。何をそんなに落ち込んでるんですか・・・ああ、もしかして例の彼ですか? ここ数日、ずっとユスターシュさまの執務室に押しかけて来るという・・・」
「ロクタン」
「ああ、そう、そうでした。ロクタン、そういう名前でした。確か伯爵家のひとり息子でしたね。もしかして、あれからも何かあったんですか?」
突っ伏したまま、顔も上げずに答えるユスターシュを気にもせずに、ハインリヒは問いかける。
その手を休める事なく、返却された図書館の本の整理をしながら。
「・・・アレは相変わらずだ。今はちょっと・・・別のことで少し落ち込んでいるだけだ」
「・・・昨日は確かお休みでしたよね。仕事がないから一日中ヘレナ嬢と一緒にいられると、あんなに喜んでおられたのに・・・」
はて、と首を傾げたハインリヒは、少し考えた後、頭に浮かんだ疑問を口にしようとする。
「おい待て、それを言うな」
いち早く読み取ったユスターシュが止めるが、残念ながら間に合わなかった。
「ヘレナ嬢に嫌いとか言われたのですか?」
「ぐう・・・っ!」
ユスターシュは3万HPのダメージを受けた。
「え、嘘でしょう、まさか・・・」
「言われてない、それは言われてない」
ユスターシュの反応に顔を青くしたハインリヒが誤解しかけたので、慌てて否定した。
驚いた時の心の声や映像は、何かのショックを受けたせいなのかより鮮明になる。
クリアな映像で、「ユスターシュさまなんか嫌い」とヘレナが呟く映像が何度もハインリヒの頭の中で繰り返される。ユスターシュはもはや瀕死の状態だ。
即刻、速やかに、1秒でも早くその映像のリピートを止めて欲しい。
「ヘレナにそんな事を言われてたら、私はもうとっくに死んでいる。お前の言葉だけでこのダメージだ。縁起でもない事を考えないでくれ、ハインリヒ」
「すみません。ですが、それならどうして」
「・・・ヘレナが素直すぎて辛いのだ」
「はい?」
「あんまり素直に、私のでっち上げた嘘を信じるものだから、なんかこう・・・罪悪感が」
「・・・」
「ヘレナがな、私の屋敷での生活にすんなり溶け込めたのも、私と一緒にいて楽しいのも、実家をそれほど恋しく思わずにいられるのも、『やっぱり番だからですね』のひと言で終わらせてしまうんだ」
「・・・そうですか、幸せそうで何よりです。では私はこれで」
「待て待て待て。何だ、その棒読みの台詞は」
ハインリヒが本を持って席を立とうとするのを、ユスターシュが慌てて引き止めた。
だが、ハインリヒはすっかり呆れ顔だ。
「何って、惚気に付き合うほど私は暇ではありませんので」
「惚気じゃない。真剣に悩んでいるんだ。何でもかんでも番と言う理由で納得されると、その嘘を吐いた張本人としてはだな、こうひしひしと・・・」
「はいはい。ユスターシュさまの恋が順調な様で何よりです。では私はこの本を棚に戻して来ますので」
「順調って、そんな訳が・・・あっ、ハインリヒ・・・」
「悩みも恋の醍醐味ですよ、ユスターシュさま」
ユスターシュの呼びかけも虚しく、ハインリヒはそれだけを言うと、仕分けした図書を手に棚の方へスタスタと行ってしまった。
ひとり司書用の机に取り残されたユスターシュは、「惚気ってどこがだよ・・・」と呟いた。




