いつの間にかに壮大な話
ユスターシュはすぐにその寂しげな表情を消した。
「さて、ヘレナ。約束してたからね、今日は市場に苗を見に行こうか」
「え? 良いのですか?」
「うん。ずっと屋敷の中で過ごしててくれたでしょ。久しぶりに外に出てみよう。私も野菜の苗は興味があるな」
「まあ、ユスターシュさまも野菜に興味が」
別に何の思惑もなく聞き返すと、ユスターシュは気不味そうに頬を掻いた。
「ごめん、嘘ついた。野菜の苗に興味はありません。ヘレナとのお出かけに興味があるだけ」
そう言って照れ臭そうに笑うと、おもむろに「はい、これ」と謎のブツを渡された。
ヘレナはそれを暫し凝視する。
「・・・ユスターシュさま。私の頭はまだ決して涼しくはなってないのですが」
「カツラ見るたび涼しくなった頭を想像するの止めて? これには他にも用途があるでしょ」
「他の用途とは」
「ほら、私はどうして茶髪のカツラを着けていたかな? 頭が涼しかったからではないよね」
「ああ、なるほど」
つまり、私に別人になって出かけるように、とそういう事か。
「面倒を避けられるなら、なるべく避けた方が良いからね・・・疲れるし」
疲れる・・・おお、なるほど。ロクタン対策ですね。
「イヤリングと指輪、それとペンダントは着けてるよね? あれは万が一の為のものだから、絶対に外さないでね」
「はい」
なんだか随分とものものしい話になっているけど、一体屋敷の外では何が起こっているのだろうか。
「いや、そんな大した事じゃないんだけど、あのおバ・・・あの人は何を思いつくか分からないからね。一応念のため?」
そう言いながら、ユスターシュもまたカツラをかぶる。見慣れたあの茶色の髪の、例のあれである。
前髪がもさもさだから目も全く見えなくなって、確かにそれだけで別人の様だ。更に眼鏡をかけてしまえば、灰色の目が見える事はない。
「ほら、ヘレナも」
促されてヘレナもまたカツラをかぶる。
茶色の髪が緑に変わる。長さも、背中まであったのが肩につくかつかないかの短さだ。
うん、なるほど。けっこう印象が変わるものだ、と鏡を見てヘレナは納得した。
「可愛いよ」
ユスターシュは、本当にヘレナが何をしても褒めてくれる。ヘレナは照れながらも、ありがとうございます、と心の中で呟いた。
しかし、カツラまでかぶって変装というのは、どうも本格的な感じがしてちょっとドキドキする。なんというかスパイになった気分だ。
例えば、今から隣国に奪われそうになっている機密文書を取り返しに行くとか。そう、絶対に身バレしてはいけないやつである。
文書は野菜の苗が植えられた植木鉢の土の中に隠されていて、隣国に持ち出されてしまう前に、ヘレナとユスターシュはそれがどの鉢に入っているのか見分けないといけないのだ。
この国の存亡がかかった重大な機密文書。
まさしくミッション・インポシブル。
この国の未来は、ヘレナとユスターシュ、2人の肩に・・・!
大変だ。念入りに、じっくりと、一つ一つ、野菜の苗を観察せねば・・・
「なんか市場に行くだけの筈が、ものすごく壮大な話になってきたね・・・」
市場に野菜の苗を見に行くだけの気軽な外出が、いつの間にか国防に関わる機密案件へと成長している。
ユスターシュはその壮大な妄想に遠い目をした。
「何を仰いますか、ユスターシュさま」
畑作業歴5年のヘレナは、ふんすと胸を張る。
「良い苗を選ぶには、観察が大事なのですよ」




