灰色に光って見えた
「ほらユス、よそ見しながら歩いていると転ぶぞ?」
その日、側妃レアが催す茶会に参加する為、ユスターシュは兄レクターに連れられ、回廊を歩いていた。
レクターは同じ正妃から生まれた第3王子で、末弟のユスターシュより10歳上の気さくな兄だ。
面倒見が良く、体を動かすのが好きなレクターは、ユスターシュの遊び相手をよくしてくれる優しい兄だ。
今日も、王太子としての執務で少し遅れるという長兄ローハンの代わりに、レクターはユスターシュの手を引き、先に会場に向かうところだった。
だが、今日のユスターシュは、何故か落ち着きなく辺りをキョロキョロと見回している。
先ほどからずっと、どこからか声が聞こえてくる。それが気になって仕方ないのだ。
声は大きくなったり小さくなったり。
かと思えば、急に聞こえなくなったりする。
大人数の声がガヤガヤと一斉に聞こえてきたり、突然ひとりの声だけが大きく聞こえてきたり。
けれど周囲を見回しても、それらしき人はいない。そんな事は初めてで、さっきからユスターシュは落ち着かない気分になっていた。
「ユス? どうした? 具合が悪いならお前だけ戻っても・・・」
「・・・っ、だめです」
「・・・ユス?」
何故か分からない、けれどユスターシュは、そこに行かなければいけない気がした。
「なぁ、ユス。本当にさっきから様子がおかしいぞ? 何か気になる事でもあったのか?」
「・・・なにか、きこえるんです」
「ん? 聞こえるって、何が聞こえるんだ?」
「ええと、なにか、ひとのこえみたいなのが、たくさん・・・」
「・・・そうか」
(ユスはどうしたんだ? さっきから様子がおかしい。ずっとキョロキョロして落ち着きがないし、それに)
兄の独り言のような呟きが聞こえ、ユスターシュは顔を上げる。
(何か聞こえるって言ってたけど・・・別に何も聞こえないよな。誰も話なんかしてないし)
そう話す兄の唇は動いていない。
「・・・にいさま?」
「どうした、ユス? 顔色が良くない様だが」
(本当に様子が変だな。レアさまのご招待を断るのはあまり良くないけど、休ませた方が良いかもしれない・・・それに)
じっと兄の顔を見つめる。
やはり口の動きと合わない言葉がある。
(レアさまは、あまり俺たちのことを良く思ってないからな。ユスが嫌な思いをするかもしれないし)
「やっぱり一度戻ろう。ユスは部屋で休んでいると良い」
そう言うと、レクターは今来た方向に顔を向ける。だがユスターシュは腕の裾を掴んで引き留めた。
「にいさま、あの、ぼく・・・」
そう言いかけて、でもそこで言葉が途切れた。
もう一つの声が聞こえたからだ。
それは少し遠くから。でもはっきりと大きくユスの耳に届いた。
(やはり駄目だ。いくら妹が人質に取られているからって、こんなことーーー)
・・・なに?
途切れた言葉の続きを待つ兄から目を逸らし、ユスターシュは周囲を見回した。
(茶葉の出処を調べられたら、父にまで咎が科せられるかもしれない。いや、王族を害そうと言うんだ。一族にまで類が及ぶかも・・・)
「・・・っ」
ーーー 王族を害する・・・?
「ユスターシュ?」
誰もいない回廊の向こう側を呆然と見つめる弟に、レクターの気遣わしげな声がかけられる。
「・・・にいさま」
自分の身に何が起きているのか分からない。
なぜ突然に声が聞こえてくるようになったのかも。
でも。
「とうさま・・・ううん、ローハンにいさまのところにいきます」
「え?」
「レクターにいさま。ぼくをローハンにいさまのところにつれてって・・・っ」
「ちょっ、ユス・・・ッ?」
レクターは何かを言いかけ、だがある事に気づき口を噤む。
ユスターシュの瞳が、一瞬、灰色に光ったように見えたからだ。
(灰色・・・? いや、まさかな)
そんな兄の呟きが聞こえたが、その時のユスターシュに、まだそこまで考える余裕はなかった。