四時間目 ら抜き言葉
ものを教える仕事をしていると、なるべく誤解が発生しない言い回しを考えることがよくある。誤解を生まない言い回しの正解として、かなり高頻度で正しい日本語を使うだけでいい、ということもわかってきた。
そんなこともあってか、僕は正しい日本語と明らかに間違っているけどほぼ全ての人に通じる日本語が好きだ。おおまかに言うと前者は教科書的な日本語、後者は某巨大掲示板で流行るような言葉だと思っていただければいいンゴ。
正しくない上に笑えない日本語が本当に苦手なのだ。よろしかったでしょうか、と聞かれたらついついアンニュイな表情で、
「ああ、あの頃はな」
とか言ってやりたくなるぐらいだ。思ってるだけで実行したことはないが。
その中でも特にら抜き言葉に馴染めない。ら抜き表現なんていう言い方をしたりもするが、ではら抜きによって何を表現しているのだろうか。頭悪そうな感じを表現しているのかな。
ら抜きしないように気をつけているけどイマイチどうすればいいかわからない、という場合は「よう」と「ろう」で判断するといいだろう。
「食べよう」「起きよう」といった言葉が語尾が「よう」だ。この場合「ら」が入り「食べられる」「起きられる」となる。
「守ろう」「帰ろう」という言葉を見てみると語尾が「ろう」になっている。こちらは「守れる」「帰れる」が正しい。わかってしまえばそんなに難しくないと思うのだがいかがだろうか。
通じりゃいいじゃん、という若者たちに言いたい。たしかに通じる。だが履歴書を見る人事の方が志望動機を読み、ら抜きを見つけたら内容に関わらず不採用にすることだってありうるだろう。
それは理不尽なことだろうか。正しい日本語が使えないということも伝わっている上に、冒頭にあるように頭悪そうというイメージまでもが伝わっている。となるとそれを理由に不採用にすることは必ずしも理不尽ではないかもしれない。
そして日本には一言主という言葉の神様がいるらしい。通じりゃいいじゃん、と言葉の神様に対しても言えるだろうか。それは随分失礼な言い草なのではないだろうか。
大好きな異性に告白する時、I love you とカタカナ英語で言おうとしてうっかりら抜きが発動してしまったらそれはもう「愛撫you」だ。僕ならいきなりそんな告白をしてくるヤツとは付き合いたいとは思わないだろう。……いやむしろ思うか?
前回にひきつづき音楽ネタで恐縮だが、音階でラが抜けると途端に作曲が難しくなるのだ。それどころか音楽記号である#や♭、この♭はフラットと読むのだが、ら抜きだとフットになってしまう。それじゃ足だ。もっと簡単なところでは「ラララ……」といった歌詞の歌だって何も歌えなくなる。
やはり一言主という偉大なる言葉の神様の前でだらしない日本語を使うべきではないのだ。いつか神の怒りに触れる時が来るだろう。いや、既にその片鱗はここ日本でもよく見られる現象となっている。
この神の力によって引き起こされる現象はいくつかあるが、まずは天を覆う不吉な黒い雲、そこから降り注ぐ閃光だ。古来より稲光という名前で恐れられているのでみなさんもよくご存知だと思う。
また、大地を揺るがすようなゴロゴロという神の怒りの咆吼が聞こえるだろう。雷=神鳴と考えるとこれも古来より言い伝えられている現象だ。
そして不浄の民を浄化させるために強制的に沐浴させる。地上の民から見るとこれは雨だ。
これらの現象を総合的に判断すると、それはただの雷雨もしくは夕立ではないかと思われるかもしれない。たしかに現象としてはよく似ているのだが、神の怒りによるものかどうかで激しさと効果範囲が違ってくる。
ひとつの特徴として、神の怒りであるため不浄な対象地域以外には極力被害が及ばないように配慮されているのだ。ピンポイントで強烈な雷雨が襲ってきたらそれは神の怒りかもしれないので自分が普段使っている日本語について改めて考えてみるのもいいだろう。
そして、ほんの数十年前にはこんな気象現象はなかったのでやはり最近になって神の怒りの片鱗が現出してきたと見ていいだろう。
民はこれを雷雨や夕立と区別してゲリラ豪雨と名付けることにした。実はこれも神が民の無意識下の部分を誘導してこの名称になった。ではなぜゲリラ豪雨という名前なのか。
これこそが一言主が言葉の神様である証ともなるのだが、ら抜き言葉が世に蔓延った時、ゲリラ豪雨はゲリ豪雨になってしまうのだ。普段何気なくら抜き言葉を使っている民たちもさすがにこれなら気づくだろう、という一言主の最後の慈悲なのだ。
真実を知る者として、嘘つきが閻魔様に舌を抜かれたりするのと同様こちらも子供達のしつけ等で広く根深く浸透させていきたい。
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