二時間目 トリンカファイブ
とにかくお金がない。多くの人が抱える悩みだとは思うが、現代日本の基準で考えると特に僕はお金に縁のない生活を送ってきたのではないか、と思えてくる。
trinka fiveという魔法の呪文がある。詠唱するとお金が入ってくると言われているのだが、実感としては全く効果がないので僕の人生に於いてはまだ未実装かもしくはバグだと思われる。
まだ若い頃、初めて自分で税金を払おうとした時のことを思い出す。書類仕事は苦手だが、大人への階段のような気持ちで僕宛に届いた封筒を開ける。内容を確認してみると
『非課税対象となる低所得者』
と書かれていた。税金を払って一人前の大人気取りになろうとしていた僕に対してこの仕打ち。たしかに社会の不条理を垣間見ることは大人への一歩だろうが、当初想定していたものとは明らかに違う形での経験だった。
そんな僕は当然学生時代にはもっと悲惨な貧乏生活を送っていた。テレビから流れてくる貧乏番組を観て、なんだその程度かと冷めた目でマウンティングするような間違った価値観。補足しておくとこの時はテレビがついているので電気が止まっていない、まだ余裕の段階だがそうでないこともしばしばあった。
当時僕はとあるバンドサークルに所属していたのだが、そこの後輩の家でふたりで飲んでいた時のことだ。何故か酒だけは常にあるような生活だったがもちろん食料はほぼ無い。
翌日起きて二日酔いが回復した頃には当然腹が減っている。だがのそのそと冷蔵庫の中を確認すると、そこには脱臭剤だけが佇んでいる。他にあるものといえばファストフードで貰えるナゲット用バーベキューソースだけ、もちろん賞味期限は切れている。さらに冷凍庫には氷のみだ。
当然のことながら二人とも現金など持ち合わせていない。その時は二人合わせて合計3円だった。何十年も前から僕らは既にキャッシュレスだった。
ここで後輩が世紀のの大発明をする。
「氷に砂糖をかけて食べましょう!」
この後輩は何に於いても秀でている凄い奴だとは思っていたが、瞬時にこんな発明を思いつくのか。天才を目の当たりにした気分だった。
といった具合で、僕だけではなくこのサークルでは何故か男子は軒並み貧乏だった。バンドマンは貧乏であるという定説があるが、その好例とも言える。ではもうひとつこのサークルで編み出された発明を紹介しよう。
これは同級生のギタリストの家でのことだ。やはりふたりで飲んだ翌日の空腹で、この時はそのギタリストの実家から送られてきた米だけがあった。
とりあえず米を炊くものの、おかずが全くない、塩すらない。どうしたものかと部屋を見回す。
彼はギタリストなのでギターに必要なものはある。そこで僕らが目をつけたのはコンパクトエフェクターだった。エフェクターというのはエレキギターの音を加工するための電子機器で、コンパクトと付くものは大抵電池で動く。
おもむろにエフェクターの蓋を開け、中の電池を取り出す。この電池は9Vの006Pと呼ばれるものだ。四角い電池、と言えば知っている方も多いのではなかろうか。
この電池の電極は+も−も同じ面に付いている。これだ、と思いついた僕らは炊きたてのご飯を用意するとその電池の電極を舐める。
電極が触れると舌がビリビリと感電する。これをおかずにご飯を食べる、というものだ。今まで見てきた貧乏食の中でも最もエポックメイキングなものだと思っている。
さて、時は流れスマホ普及率がだいぶ上がってきた時代。スマホは持っているものの基本料金が払えずだいたいいつも繋がらない、なんてこともよくある。染み付いた貧乏はそう簡単には拭えるものではないのだ。
そんな僕らの強い味方が無料Wi-Fiだ。無料Wi-Fiがありそうな建物の壁際に陣取り建物から漏れ出た電波を利用する。今のところ問題になったことはないが、これは厳密には電波泥棒になるのだろうか?
かろうじてスマホからネットに繋がったらなんとか生き延びるための第一歩は踏み出せたと言っていいだろう。これでアルバイトを探すことができるのだ。
探す、応募する、相手先からの連絡を受け取る。ここまで全てスマホで完結できる。だが応募から最初の連絡が届くまでには数日かかる。おっさんが毎日同じ場所にいると不審者として通報されてしまうので連絡を待つ間は毎日無料Wi-Fiを探しながらゾンビのように街を徘徊する。
ファーストコンタクトで不採用だった場合は最初からやり直しだ。だが不採用ではないからといって即合格というわけでもない。次は面接だ。
今どきならオンラインでの面接なんていうのもあるが、あったとしてもそれは全力でアウトだ。無料Wi-Fiのあるところ、すなわち屋外で人通りも普通にあるようなところでスマホでオンライン面接は厳しすぎる。その場合はこちらから丁重に辞退するしかない。全く貧乏人にとって優しくない社会だ。
消去法的に面接会場、本社会議室、現場等、場所は様々だが面接のために移動するという工程が必要になる。
だが貧乏人は交通費などというブルジョアなものは持ち合わせていないのだ。交通系ICカードを持っていたとしても、スマホでの支払いができるように設定してあったとしても、チャージされていないしクレジットカードも止められていたりするのだ。
念の為一縷の望みをかけて銀行に向かう。万が一自分が忘れている何かがあってお金が振り込まれているかもしれない、と期待しながら。ちなみにこの気持ちで銀行に行って想定外のお金が振り込まれていた経験は一度もない。
残高照会をしてみるものの、完全に予想通り現金はない。ならば面接には徒歩で向かうしかない。また無料Wi-Fiポイントを見つけて地図アプリで徒歩での移動時間を検索する。面接当日は何時間も前に家を出て冒険の末に人事や面接官というラスボスに辿り着く。
面接終了後もその合否を確認するためにまた無料Wi-Fiソンビになる。合格通知なら晴れてアルバイトが決まる、という流れだ。しばらくは毎日徒歩での出勤生活が確定する。
不採用の場合はまた最初からやり直し。せめてセーブポイントが欲しいとは思うものの、人生はクソゲーなのでセーブポイントがあっても課金しないと使えない、とかそんな仕様だろう。僕には関係ないな。
こういった日々を送りながらなんとか毎日を生き延びてきた。文明社会に生きているはずなのにサバイバル気分を味わえるという不思議なダブルスタンダード、それが貧乏というものなんだと思う。
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