子供部屋の私たち
子供の頃の私は4歳年上の優さんと1つ年下の明と、長い時間を一緒に過ごした。
子供の頃はよく川村家を訪れて、3人で遊んでいた。優さんは、川村家の初めての子供だから、父親からの期待と愛情を一身に受けていた。そんな優さんは1番年上だから頑張って後をついて歩く私と明を優しく見守ってくれた。だから、私たちは、いや私にとって優さんは兄のような存在で、それから憧れの人だった。
「大人になったら優くんのお嫁さんになるの」
それは子供の時の私の口癖だった。
川村家の子供部屋はすごかった。
おもちゃはなんでもあって、本もたくさんあって、最高の子供の遊び部屋だった。
自分たちの子供は男の子なのに、女の子用のおもちゃや本がたくさんあったのは、全部私のために揃えてくれたものだ。優さんと明の両親は女の子供がいないから、私のことをとても可愛がってくれた。子供の欲しがるものが全部揃った子供部屋で、私たちは長い長い時間を過ごした。
だけどいち早く大人になったのは優さんだった。
小学校高学年になった頃に、誰よりも早く子供部屋から出た。私たちと遊ぶのをやめて、一人で勉強したり同級生と出かけたりするようになった。
それを明と二人、見送った。
背が伸びて声変わりをして、どんどん大人びた顔をしていく優さんを遠くから見つめていた。
「優くんのお嫁さんになる」
その言葉を言わなくなったのは、この頃だったと思う。
私と優さんと明は同じ小学校から大学まで続くエスカレーター式の共学校に通っていた。偏差値もよく、学内の生徒の大半が良家の子女という学校だ。
優さんは私が中学の頃は高校生。高校生になった時には大学生。私が大学に入った時には、大学4年生。親の仕事を継ぐために、見習いとして父親の会社に出入りしていた。
彼はいつも私の前を歩いていた。
いつも違う制服を着ている彼を、制服を脱いだ後は、先にスーツを着て働き出した彼を、私はどこか眩しく見つめていた。
多分最初は純粋な憧れだったのだ。
彼のことを年齢以上に大人に感じたのは、隣を歩きたいと思う私の焦りなのか、それとも本当に私が子供だったのか。
そして私は彼を追いかけるように大人になろうとした。早く大人になるから、待っていて欲しいと思っていた。
そう思い始めた時にはもう、彼に恋をしていたのだ。
だけどそれに気がついた時には彼は中学校の同級生とお付き合いをしていた。
特別に美人では無いけれど、優しい眼差しのどちらかというとお姉さんのような人だった。
初めてそれを知ったのは、日曜日に彼の家に遊びに行った時。
彼女を招いて家で過ごしていた優さんを見て、私はショックを受けた。
笑顔で挨拶をしたけれど、うまく笑顔になれなかった記憶がある。
その時から、私は彼の家に遊びに行くのをやめてしまった。
遊びに行って仲良さそうにしている二人を見るのが嫌だったのだ。
あの子供部屋を出た時が、私が子供ではなくなった瞬間なのかもしれない。
私があの部屋を出たのと同じ頃に、明もあの部屋を出た。
あの部屋には昔のおもちゃと、子供の頃のアルバムや思い出だけが残された。
そのうちに彼らと会うのは、家族の集まりだけになってしまった。
「春奈、兄貴のこと好きなの?」
高等部の校舎で、すれ違った明に呼び止められたのは、子供部屋を出て長い時間が経った後だった。子供部屋を出て、それから優さんに失恋して、それなりの時間が経っていた。
私は高校1年生で明は中等部3年生だった。
私はあからさまに嫌な顔をした。
明を睨むようにみて、あたりをそっと見渡した。誰かに聞かれたりしたら、本当に困る。
「急に何よ」
「別に。まだ好きなのかと思って」
そう言って近寄ってきた明は私の目の前で立ち止まった。
その時ようやく気がついた。
明の背が伸びて私を追い抜かしたこと、声変わりしていたこと、可愛くて天使みたいだった顔は顎のラインがシャープになって男らしくなっていた。
優さんは母親似で柔和な顔立ちなのだけれど、明は父親似で、そして人目を引くほど端正な顔をして、スタイルも良かった。
そういえば、明がかっこいいと中等部では人気で、密かに明のファンクラブめいたものもあると聞いたことを思い出した。
こんなに格好いいなら、それも本当なのかもしれないな、と思った。
家族みたいに思っていたから、そんな目で見たことがなかった。
「黙っているってことは、そうなんだ」
「明には関係ないし」
「一応確認しただけ」
私は顔を逸らせた。
「別になんでもないよ。優さんに恋人がいることは知ってるし」
明は私の肩を掴んだ。
「春奈、またうちに遊びに来なよ」
え、と私はあからさまに嫌な顔をした。
「いいよ、別に」
そう言ったら、明は笑った。
「兄さん、勉強も落ち着いたし」
そして私を見て意味ありげに笑った。
「あの彼女とは……別れたみたい。もう会ってないよ」
家に来ても、あの二人とは会わないよ。そう言い添えて笑う。
心の中を見透かされたようで、私は気まずくなって目を逸らせた。
「別にそんなんじゃない」
「みんな会いたがってたよ、水野さんとか、それから…」
そう言って川村家の人たちの名前をあげる。子供の頃の私を可愛がってくれた人ばかりで、みんなの顔が浮かんで、懐かしくなる。
「ほら、懐かしくなっただろ」
目の前の明の顔が綻んだ。考えが読まれていることに恥ずかしくなって私はわざとらしくため息をついた。
「高校生だし、ちゃんと勉強しないといけないから」
「春奈は内部進学だろう?春奈の成績なら問題ないよ」
私は苦笑いした。
明はずっと成績一番だ。
おまけに中等部全体で行われる英語の単語テストでは全学年合わせて一番だ。しかも明は入学してからずっと、全体の成績でも一番だ。
そんな学生、見たことがない。
私はこのまま付属の大学に行くつもりだけど、優さんのお父さんは自分の出身校でもある東京の日本を代表する大学に、自分の息子を進ませたいと思っている。だから優さんも必死になって勉強して、その大学に進んだ。
多分、明も数年後には受験だけど、優さんが一生懸命勉強して入った大学に、きっと明はすんなりと入ってしまうのだろう。
だってこんなに成績がいいのだから。
そんな人に受験は大丈夫なんて言われても、ちょっとどうだろうと思ってしまう。
しかも、後輩なのに。
返事に困っていると、明の声がした。
「あんまりいろいろ考えずに、来なよ」
明はそう言って口端を上げて笑った。その笑顔は大人っぽく見えて、私よりもずっと明を年上に見せる。
そんな笑顔を見て、思わず、胸が大きく鳴ってしまった。
「俺もまた春奈とゆっくり話したいし」
私が何か言うより前に、明は歩いて行ってしまった。
「何よ。一体」
私はその後ろ姿に顔を顰めた。
最後に会ったのがいつだったのか忘れてしまったけれど、年下で子供みたいだったのに、気がついたら、私のまるで兄のような態度だった。
「年下のくせに」
明の言葉にあんなに反抗していたのに、親のススメもあって久しぶりに訪れた川村家で私は熱烈な歓迎を受けた。
それ以降、以前ほどではないけれど、それなりに頻繁に川村家を訪れるようになった。
心配していた優さんのお付き合いしていた人の姿は、明のいう通り、もうその家で見ることはなかった。それも安心して顔を出せる理由だったかもしれない。
そしてまた、いつの間にか優さんに恋をしてしまった。
眠っていた初恋が目覚めてしまったのだ。