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初恋  作者: 史音
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終わりのはじまり 2

優さんがいなくなった。



弟の明はそれを告げた後、私に彼の居場所を知らないかと尋ねた。

「し、知らない…」

「何か変わったところなかった?」

私は首を振った。頭が混乱して、言うべき言葉が見つからない。そんな私の様子ををじっと見つめて、彼はため息をついた。

「その様子だと、本当に何も知らないんだね」

私はやっとの思いで首を縦に振った。気がつけば、口の中は乾いていて、そして手が震えていた。


どうしてとか、なぜ、とか。浮かぶのはそんなことばかりだった。


「じゃあ。ひとまずこっちもバタバタしていて忙しいから。また連絡する」

事務的に話をして、離れていこうとした明を咄嗟に腕を掴むことで止めた。

彼は振り返った。

「あの……優さんはどこに」

ようやくそう口にすると、彼は私を見た。

「まだ、わからない。だけど警察からは何の連絡もない。会社や自宅に怪しい連絡もない。だから事故とか事件とかそう言ったことはないと思うし、それらしい身元不明の死体の報告もない。あるとしたら失踪だ」

その返事を聞いて、また息を呑んだ。


可能性の一つに、死があることなんて、思いたくない。

でも、それが現実だった。

人がいなくなった場合、失踪以外に考えるのは事件や、事故だ。

私は俯いた。


頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えがまとまらなかった。

震えが止まらなくて、そのうちに涙が浮かんで、私は頭を振った。


「春奈」


その声とともに、両肩に手が載った。


顔を上げると、静かな、だけど綺麗な顔が私を見つめていた。

「まだ、何もわからない。だから思い詰めるな」

ようやくの思いで頷くと、彼は笑った。片方の口角を上げた、皮肉げな顔だった。

「意外と携帯を忘れて仕事に出ているだけなのかもしれない」

釣られて私も笑った。


そんなことはないってわかっている。

忘れ物をして仕事に行くなんて。ましてやそれに気がついて秘書にも会社にも連絡しないなんてありえない。

たくさんの社員を抱える会社の重役で、もうすぐ社長になるような人なのだから。

きっと、その可能性が低いことはこの人だってわかっている。


「わかった」

「じゃあ。必ず連絡するから、待ってて」

そう言って離れていく彼を、私は黙って見送った。




その言葉に嘘はなくて、明はそれから毎日私に連絡をくれる。会社のこと、家のこと、いろんな話をしてくれる。

だけど、優さんが戻ってきた報告はなかった。


私は彼と暮らすはずだった新居に何度も足を運んだ。

新築のマンションには、少しずつ入居者が入ってきていた。

今もがらんとしたこの部屋には、予定ではもう私が選んだ家具が並べられているはずで、本当なら、もう私たちはここで一緒に暮らすはずだった。


あの人はいないまま、二ヶ月が過ぎようとしていた。

初恋を実らせたはずの私は、婚約者に捨てられた人間になってしまった。


彼を失って、私はできる限り平静を装うようにした。


いつも通り仕事をして、いつも通り実家で暮らした。大泣きすることも、暗く落ち込むことも、周りの人に八つ当たりすることもなかった。

そんなことをしたら、自分が惨めになると思っていたから、というのもある。


そんな私に周りの人は腫れ物を扱うようだった。

私の両親も、彼の両親も。


いなくなって一ヶ月経って、彼の失踪に事件性はないと判断された。

そうなると、失踪した原因を考えるようになる。彼と私の関係が原因ではないかと、みんなが疑っていた。

私との結婚に、不満があるとみんなが疑っていた。

そのせいか、みんなが私に少し距離を置いていた。

それを何とも思えなかった。私は感情を失ってしまったかのように、空虚だった。


時間が経つごとに、彼のいない生活をみんなが歩もうとしていた。


だけど私だけが、今も歩き出せずにいた。



***



私は重い足を引き摺るようにして、そのお店の前にたった。

お店の前のドアに立っているドアマンが、さっと扉を開けてくれる。引き返せなくなって私はその中に入った。

中の店員に要件を告げると、私は奥の個室に案内された。



「お待たせしました」

黒いスーツを着た女性の店員がトレイに商品を載せてやってきた。完璧にメイクされていて、その赤い口紅が目に鮮やかだった。

「こちらですね」

目の前に置かれた白い箱を見て、私は心の中でため息をついた。


それは私たちの結婚指輪だった。



結婚を申し込まれて、しばらくした時だった。

向こうの両親と食事をして私の家まで送ってくれる途中だった。

「そういえば、春奈は指輪、いるの?」

そう彼に聞かれた。

ついさっき、彼の実家で食事しながら向こうのお母様が聞いてきたのだ。

「指輪は間に合うの?」と。


それを聞いて優さんはとても驚いていた。

そう、初めてそんなものがあると気がついたみたいだった。


「あ、それは…」

それはもちろん、欲しいに決まっている。だけど彼の言い方や雰囲気からは『いらないだろう?』と言われているようで、思わず口籠もった。式をする予定が決まっていないから、考えていなかったのはある。だけど、やっぱり欲しいと思ってしまう。

ちょうど車が家の前に着く。

「そうだよな。普通は欲しいよな」

黙ったままの私から答えを察して、彼は苦笑いすると、胸ポケットから財布を出して、一枚のカードを取り出した。

「じゃあ、これで好きなものを買ってきたら?」


私は思わず固まってしまった。

このやり方は、正しいやり方ではないと思う。

クレジットカードの使い方の事ではない。

婚約者に指輪を贈る方法としては、少なくても、女性側からしたら最悪なやり方だと思う。


そんな私を見て、彼はそのおかしさに気がついたのだろう。

「ごめん、ごめん。冗談だよ」

全く冗談なんていう雰囲気ではなかったし、冗談なんて言う人ではないことはわかっている。本気だったこともなんとなくわかった。

「じゃあ。今度の休みに買いに行こうか」

それまでにお店を探しておいて。そう言って、別れた。


さよならのキスも、ハグも、頭を撫でられることもない。

ある意味いつも通りの別れだった。




その次の日曜日、彼と二人でお店に来て指輪を選んだ。彼は私が色々試すのをただじっと見ていた。

「優さんはいいの?」

その問いに、首を振った。

「僕はいいや。アクセサリーは好きではないから指輪をつけるつもりもないしね」

本当に興味のなさそうな顔で笑った。


その顔色が悪かった。

確かに最近は休日も予定がぎっしり詰まっていた。もしかしたらせっかくの休みに、指輪を買うことに付き合わされて呆れているのかもしれない。早く帰りたいのかもしれないから、これを決めたら食事する予定だったけど、早めに帰るようにしようと考える。


私の選んだお店で、私が選んだ指輪を買った。そこは女性の憧れのお店だけど、値段も高い。だけど、何の文句も言われなかった。

ただ、それからしばらくして

「春奈の指輪を買ったあのお店、とても有名で女性に人気なお店なんだね」

たまたま調べてようやくわかったよ、彼がそう言った時、何だか拍子抜けしてしまった。

今更何を言っているのだろうと思ってしまった。



この間お店から電話がかかってきた。

完成した指輪を取りに来て欲しい、と。


作ったままサイズ合わせに出した指輪を、取りにいっていなかった。彼がいなくなって混乱していたのが原因だと思う。指輪のことをすっかり忘れていた。


もうその指輪はいらないものになってしまった。

相手もいない婚約指輪って、何だと言うのだろう。

世の中で一番必要とされないものだと思う。


そう言いたいけれど、言えない。しかも代金は既に払っている。お店だって困るのだろう。

それがわかっているから、私は一人で取りに来た。


「サイズ確認をいいですか?」

そう言われて試してみると、意外にも指輪は緩くなっている。気にならないようにしていたけれど、痩せたのを実感する。

「大丈夫です」

私はあっという間にそれを外して、トレイに戻した。店員はそれをさっと箱にしまうと綺麗にリボンをかけた。

そのリボンが解かれることはあるのだろうかと、想いながら、私はそれをぼんやりと見ていた。


「あと、これもご一緒しておきますね」

彼女はそう言ってもう一つの箱を手にした。

「それは……?」

私は声をかけた。私はここではこの指輪しか買っていない。彼の分もないのだ。だからもう一つと言うのはおかしい。

店員はあら?と言う顔をした。


「あの後、旦那様がもう一度お店にいらして注文されたんですよ」

「え?」

そんな話は聞いていなくて、驚いた。

「その時はお店にご希望のサイズのものがなくて、だからオーダーしたんです。すぐに取りに来るとのことだったんですが、来られなかったので」

そんな話は聞いていない。

私が欲しいと言ったことはないし、まさか彼が自分でお店に来るなんて。

私が黙っているのを肯定と考えたのか、彼女は箱を開けた。

「じゃあ、中身をお見せしますね」


目の前で開けられた箱の中にあったのは、ダイヤのピアスだった。

シンプルなデザインだけどダイヤも大きくて、指輪ほどでないけれどきっと高い。

「石も大きくてキレイですよね」

店員は自慢げに笑った。

「この大きさだとお店にいつも置いていないので、本当はその場で持ち帰りたかったようなんですけど。申し訳ないですが、オーダーにしました。その分石に拘りましたので」

彼女は箱をしまうと同じようにリボンをかけた。

「きっとサプライズのつもりだったんですね。ごめんなさい。勝手にお見せしてしまって」

「いえ、連絡していないこっちの不手際ですので」

私の顔が硬っているのがわかる。だけど、どうしてもうまく笑えなかった。少しでも早くここから出たかった。


彼女は箱を紙袋に詰めながら、笑顔で私を見る。

「そんなことをしてくださるなんて、素敵な旦那様ですね」


だけど、その笑顔は私を見て固まった。

その視線の先を見て、私は慌てて立ち上がった。

「これも私のです」

その返事に明らかに店員は不審な顔をした。

「私が頼んだんです。どうしたのかなと思っていたから、今日一緒に受け取れて良かったです」

「よろしいのですか?」

私は笑った。

「ええ」


店員はそれを同じ紙袋に入れると私に差し出した。

「ありがとうございました」

そう言って差し出された紙袋を手にすると、店を出た。


店を出ると、そこから走りさった。

逃げるように。


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