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初恋  作者: 史音
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初恋

初恋は叶わないものと言われている。

だとしたら、ずっと大好きだった人と恋をして結婚する私は、とても幸せな人間だという事になるだろう。


そう、ほんの二ヶ月前までは、私はとても幸せな人間だったのだ。




私はごく平凡な会社員の父と専業主婦の母の間に生まれた。私は取り立てて美人でもないし、取り柄もないけれど優しい両親のもとで可愛がられて育った。

父の大学の同級生に、大きな会社の一人息子がいた。父はその人と学生時代からとても仲が良くて、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。二人は会うたびにいつも、冗談みたいに言っていた。

「もしお互いに男の子と女の子が生まれたら、結婚させよう」

そんな漫画か小説かドラマみたいなことを夢見ていた。


私は一人っ子だった。

そしてその友人には息子が二人いた。

二人の希望通り、父は女の子、その友人は男の子を授かったのだ。


その男の子の一人が私の初恋の人で、もう少しで私の夫になるはずだった

川村(まさる)だった。




川村優という人は、私より4つ年上だった。

そのせいか子供の頃から兄のような存在だった。明るくて大企業の御曹司ということを感じさせないくらい気さくで、そしてとびきり優しかった。

正確には私にも、他の人にもとびきり優しかった。

あの人ほど優しい人は、いない。それが彼の最大の長所だったのだ。


彼は小学校の頃からみんなに好かれていた。

特別に顔が綺麗とか、成績が良い訳ではない。でもいつも誰にでも優しい彼は人に好かれる。だから彼の周りにはたくさんの人がいた。


目の前にいる優しいお兄ちゃんに、私はいつしか恋をしていた。

自覚したのは中学生くらいだったと思う。当たり前のように、恋に落ちていたのだ。


私が恋をしている間に、彼にも恋人がいた時期があった。とびきりの美人ではない。だけど大人びた優しい笑顔の持ち主だった。

彼より年下で、顔も性格も幼い私とは正反対の人。

並んで登下校する二人を、なんとも言えない気持ちで見ていた。


好きだけど、彼は私のものではない。

遠い、憧れの存在だった。

だから遠くから見ていることしかできなかった。




大学を卒業して3年後のお正月。いつものようにお互いの家族で食事会をした。場所は都内のホテルで、これは私の家族と彼の家族で行う毎年の恒例行事だった。その時には私が秘書検定に合格して秘書課に転属することが決まって、それをみんなが祝ってくれた。


ふと二人になった瞬間に、私は前を歩く彼のシャツの袖を摘んだ。

彼が立ち止まって振り返る。驚いて私を見る顔を、恥ずかしくて見られなかった。

「話があるの」

彼は驚いたように目を丸くして、それからいつもの様に笑った。

「なに?春奈ちゃんのお願いなら、聞くよ」

私は顔を上げた。

「今度、二人で会って欲しいの」

「ああ、何?仕事の話?そうだね、相談にのろうか。秘書の仕事について教えるよ」

優さんは父親の会社に勤めている。後継だからすでに重役で、秘書ももちろんついている。おどけたようにそう言って笑った。


だから、私は次の言葉を言いにくくなってしまう。

「あ、ええと。そういうわけではないんだけど」

「でも部署が変わると不安もあるよね。一度ゆっくり時間を取ろうか。相談にのるよ」

どうしようか、と予定を確認し始めた彼に、私は勇気を出した。

「海を見に行きたい」

「海?」

整った眉をあからさまに寄せた。意味がわからないという顔だった。

「うん。海を見に行きたいの」

「そうか…。じゃあ、休みの日にしようか」

私は頷いた。


彼はもうすぐ30歳になる。おそらく親の会社を継ぐだろうし、多分、もう結婚の話が出てくると思う。

大学の時に付き合っていた女性とはいつの間にか別れていた。結婚するかと思っていたから意外だったけど、その後から今まで、特定の人がいないようだった。だからこのままいけば、誰かの紹介でお見合いをして結婚するだろう。


でもそれを簡単に受け入れられなかった。

まだこの恋を終わらせることができないと思った。



彼は私に合うような人では無いと思っている。

だけど一度でいい。

恋人の真似事がしたかった。

そうしたら、叶わない恋に諦めもついて忘れられると思った。


だけど、思い切って声をかけた私への彼の話し方や仕草には、特別なものを感じなかった。

ああこの人は私のことなんとも思っていないんだな、と改めて思った。


例えば妹とか、それに近い親戚の子。もしくは学校の後輩。

ごく軽い好意以上のものがない、特別な感情のない存在なのだと思った。


優しくも親切にもできる。


だけど、それは恋ではない。

愛でもない。



彼は約束通りちゃんと私を誘ってくれた。

私の望み通りに車に乗って海を見て、それから二人でその街を歩いて夜は夜景の見えるレストランで食事をした。

とてもとても楽しかった。


私は彼と一緒にいることも、彼と話していることも、彼が笑ってくれることも嬉しかった。

これがずっと続けばいいのに、って思った。

だけどついに彼の白いスポーツカーがうちのマンションの前に着いた時、私はとても悲しくなった。

楽しい時間が終わることも、彼と別れることも、彼を独り占めしていた時間が終わってしまうことも、全部受け入れ難くて、私はとても寂しくなった。

この車を降りたら、私の初恋は終わるのだ。それが寂しかったのだ。

だからつい、いうはずのない言葉を言ってしまった。


「好きです」


彼は私の告白を聞いて、とても驚いた顔をした。

そう、そんなことを私がするなんて考えたこともなかったって顔だった。


彼が何か言う前に、私は急いで次の言葉を口にした。

「私を恋人にしてください」

私は俯いた。両手を膝の上でぎゅうと握りしめた。



答えなんてわかっている。この人には私に恋情はない。

あるのは家族みたいな愛情だけだ。だから、当然断られるはずだった。

わかっていたけれど、私は言わずにはいられなかったのだ。



「いいよ」



だけど俯いた私にかけられたのは、予想外の言葉だった。


驚いて顔を上げると、笑顔のあの人がいた。

輝くような笑顔で、私を見た。


「春奈ちゃんに、そう言ってもらえて嬉しいよ」

「え……じゃあ」

優さんは笑った。

「じゃあ、これからよろしくね」

そう言って、片手をあげた。


そしてその手を挙げてどこに置くか悩んだように上下させて、だけど最終的に私の頭の上に着地させた。


「ね。春奈ちゃん」

恥ずかしくて私は小さく頷くと、車のドアを開けて外に出た。

車の窓が開いて、優さんが顔を覗かせた。

「じゃあね。春奈ちゃん」

「あ、はい」

少しぼうっとした私に、笑いかける。

「さっきのは本当だからね。春奈ちゃん」

驚いて顔を上げた私にもう一度笑いかけると、片手をあげてから車を発進させた。


私はそれを信じられない思いを抱えながら、見送った。


本当に恋人にしてくれるのかな?そんな思いが浮かんできた。でも、彼はそう言ってくれたのだ。

「恋人に、なるんだ」

言葉にしたら、実感が湧いてきた。


そうしたら、とても嬉しくて、嬉しくて、涙が浮かんだ。



こうして私は彼の恋人になった。

長い長い片想いが、叶った瞬間だった。




だけど、今にして思えば、この時にすでに不穏な空気は漂っていたと思う。


私たちは、まるで仕事のパートナーのように、向かい合って話した。

それだけだった。

恋をしている二人の空気とは、違ったと思う。


あの時、彼は私の頭の上に手を置いた。

狭い車の中に二人きりで、その気があれば抱きしめることも、キスすることもできた。

だけど、彼はそうしなかった。

迷った後で手を乗せたのは頭の上だった。



その気がなかったってことだ。



キスして欲しいわけでも、抱きしめて欲しかったわけでもない。

だけど言葉にも、態度にも、彼からはなんの熱も感じられなかった。


好きだという熱情も、離れたくないという苦しいほどの気持ちも、何も伝わらなかった。



そう、私にはわかっていた。

最初からきっと、彼は私に恋愛感情はなかったのだ。


最初から、最後まで。


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