ものづくり〜あの人の工房〜
見知らぬ土地のバスに乗るというのは本当に不安だったが、なんとか約束の時間通りに到着することができた。工房の玄関戸に掛けられた暖簾が、穏やかな風にはためいている。
インターホンを押すことに向けて気持ちを整えていると、ガラガラと音を立てて戸が開いた。その人は戸に頭をぶつけないよう、少し屈んで現れた。私の鼓動は跳ね上がる。
「あ、あぁぁ!お忙しいところすみません!」
白いシャツにえんじ色のカーディガン、今日は眼鏡を掛けている。
(やっぱりスマートで、かっこいいなぁ)
「驚かせてしまってすみません、いらっしゃるのが見えたもので…。どうぞ」
「あ、失礼します…」
私は玄関のシューズボックスや姿見を見回しながら、靴を脱いだ。
「土曜はやってるときもあるんですが、今日は休みなので静かですよ」
案内された部屋は、ヒノキのにおいがして気持ちがよかった。
「…移転前の工房も、すぐ近くなんですね。来るときに見えました」
「ああ…ええ、古くなったんでね、思い切って建て替えたんですよ」
「シューズボックスとか、こういうテーブルもお作りになったんですよね?」
「ええ、まぁ、ショールームみたいな感じで。」
「外の壁もきれいでした。なんか、質感がすごいよかったです」
ああ、とその人ははにかむように笑った。
「僕が塗ったんですよ。趣味みたいなもんでね」
「へぇ~~~!」
素っ頓狂な声が出てしまい、恥ずかしかった。
「あ、えーっと、すみません、今日はわざわざお時間をくださいまして…」
「いや、展示を熱心に見てくださってたし、レセプションでもお話できたし、訪ねてきてくださってうれしいですよ。それで、早速作品を見せていただけませんか。」
「あ、ありがとうございます!」
私は慌てて鞄の中から自分の作品を取り出した。
「期間中はありがたいことにお客さんが多くて、他の人のブースをほとんど回れなかったんですよ。だから、持ってきていただけてありがたいですね。わざわざすみません。」
「いえ!そんな、こちらこそ、ありがたいです」
無造作にビニール袋に入れてあるのが恥ずかしい。素敵なポーチか何かに入れてくればよかったと悔やむ。その人は、サクラから作ったスプーンを手に取ってくれた。様々な角度からじっくり見つめる。手首を返す仕草が、なんだか色っぽい。
「…すごいなぁ。」
「あ…ありがとうございます…」
「僕はこんな細かい仕事、とてもできませんよ。真似できないなぁ…」
「はぁ…」
こんなにすごい人が、自分をほめてくれるのが信じられなくて、不思議な感覚だ。その人は他にも箸や、ブローチなど、並べたものをすべてをじっくり見てくれた。
「…うん、どこか、いいセレクトショップとか、ホテルのラウンジとかに置いてもらったらいいんじゃないですかね。ひとつ思い当たるところがあるから、紹介しますよ」
「えぇー!!い、いいんですか…ふ、不安だな…顔に泥を塗らないか…」
「自信を持っていいですよ。お客さんのことを考えた細やかなデザイン、本当にいいですよ」
「あ、ありがとうございます…」
実感もなく、お礼を言う。ふわふわとした、奇妙な気持ちだ。
「あのう…それで、もしよろしければなんですが…作業場を見せていただけたらうれしいんですが…」
「ああ、いいですよ。ちょっと散らかってるけど…」
作業場はコンクリート打ちっぱなしで、空気がひんやりとしている。木くずが落ちているのは、木を扱うところならどこも一緒のようだ。
「足元気を付けて。大きな道具もあるから、転ばないでね」
「あ、はい」
(なんかもう紳士でまじかっこいいな。いかん、不純だ。いや、思うだけはタダ。)
「今作ってらっしゃるのは…」
「ああ、これ。机です。あの展示会でオーダーしていただいてね。」
「…きれい…」
「木ってきれいだよね。生きた証が刻まれていて。優しいですね、なんて言う人もいるけど、優しいだけじゃないんだよね。怒りとか、悲しみとかも内包しつつ、乗り越えてきた強さもあるというか」
「はい…年輪の線一本いっぽんに、感情がつまってるっていうか…命をいただいてるんだなぁって思います。」
「うん。」
その人の低くて穏やかな声が響く、静かな部屋。急に気恥ずかしくなる。
「あ、これ、ケヤキですか。素敵な色…」
「うん。あの…」
その人は少し間を開けて言った。
「端材が出るんだ、どうしても。よかったら、使ってくれないかな…?」
「え!う、うれしいです!」
実は、それをお願いするつもりで来たのだ。
「君に使ってもらえれば、木たちも喜ぶと思うから…」
「そんな、光栄です…ありがとうございます!大切に、大切に使わせていただきます!」
「ありがとう」
その人の表情はほんの少し動いただけだったが、その笑顔はとても真摯で、あたたかかった。
「今日はお時間をくださいまして、本当にありがとうございました。作品も見てくださって、端材もいただけて、本当にうれしいです、ありがとうございました!」
「いえいえ、こちらこそ勉強になりました。何で帰りますか?車?」
「あ、いや、バスと電車で。バス停は…あっちですよね」
「送りますよ、駅まで。バスそうそう来ないもん」
「え!い、いや、…すみません、ありがとうございます…!」
(なんだこの展開!最高すぎる!)
「ちょっと待ってて、片付けるから」
私はその間、工房を見つめた。暖簾は穏やかにはためき、壁は趣があって美しい。だが来たときより、すべてがやわらかい印象に思えた。
「どうぞ」
私は、失礼します、と後部座席に乗り込んだ。座高の低いその人の後頭部を見つつ世間話をするが、なんだか緊張しすぎて集中できない。しかし、笑いながら世間話をができた、ということが異様にうれしい。左折するときに見える横顔が、たまらない。
私たちを乗せた車は、あっという間に駅に到着した。もっと遠ければいいのに、と心の中でつぶやく。
「あ、ありがとうございました!」
と大きめに言い、私は車を降りた。助手席の窓が開き、その人の運転姿が見える。
「ありがとうございました、また是非お気軽にお越しください」
「あ、はい!ありがとうございます!失礼します!」
私がそう言うと、その人は長い指をした左手を軽く上げて車を出した。私は遠ざかるその人の車に向かって、しばらく頭を下げていた。
さあ、尊敬するあの人からもらった命のかけらたちを、お客さんに喜んでもらえるかたちに削り出し、磨き上げよう。
次は、もっと胸を張って会えるように。