第4.5章 第4節 『ししょー、遠くの神様より近くの姉さんですよ?』
「処刑人様、食事の用意ができておりますが」
「いや、すまないが食事はすでにとってきた。明日の朝も無用だ。隣人にでも分け与えてやると良い」
「承知しました」
宿の従業員と思わしき、虚な目をした女性は、そそくさと階段を降りていく。
ギシギシという鈍い音は、建物の老朽を感じさせる。
「ししょー、なんで嘘つくんですか! お腹空きましたよぉ……」
ベッドに腰掛けたアンヌは、お腹を押さえながら、シャンソンに上目遣いで訴えかける。
実際、最後に食事を取ったのは隣町を出る前、今からならおよそ7、8時間は前だろうか。すっかり日が落ち、窓から覗く村の風景は、薄ぼんやりとした灯りが点々としていた。
寂れた村の様子も相まって、余計に空腹を感じさせる。
「遅効性の毒や撹乱剤でも仕込まれていたら厄介だ。我のような立場ある人間を殺しはしないだろうが、奴らの神を崇めるように洗脳でもされたらたまらないからな」
「そう言われればそうかもしれないですけどぉ。あぁお腹すいたぁ」
ベッドに仰向けで倒れ込んだ彼女の腹に、シャンソンは無言で、質素な紙袋を置いた。
「っ! ししょー、これ!」
「パンだ。隣町で買っておいた。明日の朝の分もある」
「さすがししょーです! いただきまぁす!」
忙しなく紙袋を開けたアンヌは、がっつくようにプレーンなパンにかぶりついた。
「そなた、腹が痛いのではなかったのか……」
「今は落ち着いてきたので。というか、これとそれとは別問題ですよー」
「ふむ。そういうものか」
小さく溜息をついたシャンソンは、持ち込んだ鞄に手を伸ばす。
中から取り出したのは、燭台、蝋燭、金の杯。
窓の下にある古い机にそれらを並べる。
その後取り出した赤ワインを杯に注ぎ、最後に古ぼけた写真立てを最奥に設置した。
神への祈りの準備。
シャンソンの日課である。
「このような簡易的なもので申し訳ありません、ラパンテッド様……」
片膝をつき、目を伏せ、正面にある写真に向かって謝罪する。
「いやーししょー、やっぱそれ変ですよ。っていうか盗撮ですよねその写真。そんないたいけな少年を盗撮なんて、趣味が悪いですよーししょー」
「そなたに分かってもらおうとは思わぬ。だが、我にとっては重要なことだ。暫し、口を閉じていてくれ」
姿勢を崩さないまま、彼は穏やかに言う。しかしどこか強制力のあるその言葉に、アンヌはそれ以上の言葉を飲み込んだ。
写真立てに収まった写真は、金髪碧眼、色白の無垢な少年。その表情はどこか暗く、負のオーラ、という不可視の存在を立証するには充分すぎる程の雰囲気を纏っている。
ラパンテッド・ランカスター。彼女の住まう王国の元第三王子。
今は二十歳は超えているということだったから、この写真は相当前に撮ったものだろうと、アンヌは推測した。
目の前の師匠は、ぶつぶつと何かを呟いている。
正直、祈りを捧げている時の師匠は少し怖いと、アンヌは思う。
(ラパンテッド様、か)
師匠が祈りを捧げているのを見るたびに思い出すから、消えてくれない昔の記憶。
ラパンテッド王子を馬鹿にした、国のとある役人。
大したことは言っていなかったと思う。少し嫌な物言いだったけど、他人のことだし、当時の幼かった彼女でも笑って誤魔化そうと思った程度の些細な悪口。
だけどその人は、20回以上も死にかけた。
彼女は性格な数は覚えていない。途中で数えることをやめたから。
一度目は頸動脈から血を噴いて倒れた。
二度目は腹から。三度目は後頭部。
四度目は……、五度目はーー。
未だに鮮明に思い出せる、鮮血の飛沫。
その度に、治され、その度に、治され。
最後は、もうやめてくれと懇願する喉が引き裂かれた。
その人は、それから一度も私たちの前に姿を現していない。
(私は、たまにししょーが怖い。
けど。
それ以上にラパンテッド様のことが、羨ましい。
私もししょーに、そんなふうに想ってほしい。
私なんかに何か起きたって、ししょーはきっと……)
ベッドに体育座りをして、目を伏せる。
(……だめだ、これ以上は。またお腹痛くなってきた。……散歩でもしてこよう)
彼女は、祈りに集中しているシャンソンを邪魔しないよう、こっそりと部屋から抜け出した。
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宿から出ると、窓から見た以上に暗いことに気付く。
星も見えない。どうやら、空が曇ってきたようだ。
魔法で左手の人差し指に灯りを灯し、歩き出す。
暗い夜は好きだった。
自分くらいの若い女が、こんな薄暗い中、外を歩くなんて、あまり褒められたことではないだろうけど。
だけど、好きだった。
黒は、師匠の色だから。ぼんやりとした灯りが生み出す紫も、師匠の色だから。
全身余すところなく、守ってもらえているような気がして、彼女は暗い夜が好きだった。
少し、うきうき気分。
お腹の痛みも落ち着いて、いい感じ。
(もう少しだけ歩いたら、ししょーのとこに戻ろう)
寂れた街並みもなんだか愛おしく感じてきて。
(やっぱりもう少し。あ、あそこの角を曲がってみよう)
もう俯いてはいなかったから。
彼女は、地面に転がるそれに気付かなかった。
「きゃ……っ!?」
躓き、倒れる。
すぐに身体を起き上がらせて、それを見下ろす。
灯りを近づけ、そして、後悔した。
なぜ自分は、外に出てしまったのかと。
ここが危険だということは分かってたのに、隣町からの道中で処刑人の弟子だと視認されたから、安心しきっていたのかもしれない。
(いや、違う。私は単に、部屋から少し離れたかっただけ。少し我慢すれば、こんなことには……)
理由はどうあれ、自分はここにいる。
心臓が、全身に血液を力強く送る。
多分、ここにいるのはまずい。
全力で、走って宿に逃げ込みたい。
だけど、まずやるべきことはそうではないと分かっていた。
なぜなら、自分はシャンソン・ド・ロアの弟子だから。
地面に倒れるそれに、手を伸ばす。
「……デュバリーさん。大丈夫ですか……?」
その顔にそっと触れる。
灯りが小さくて、血色まではよくわからない。
少なくとも、アンヌの記憶の中にある、彼女の陽気な表情は失われていた。
「今、治癒魔法を……っ!?」
脳が揺さぶられる感覚。意識がぶれ、身体が崩れる。
おそらくは手刀。もしくは棒状の何かで首筋に一閃。だが、手口が分かったところでもう遅い。
ケタケタという下卑た笑い声だけが、倒れた彼女の意識にこだましていた。
ご覧いただきありがとうございます。
だめだと分かっていても、なんだか居心地が悪くてふらっと間違いだろうなって方向に行ってしまう。
私、よくあるんですよね……。
そのあと後悔するけど、やっぱり同じことしてしまう。とはいえ、理性で心を捻じ曲げてその場に居座ったとして、果たして良い結果になったのかはわからないわけですが……。
次回は1/17(日)18時頃の更新予定です。アンヌの運命やいかにーー




