第4章 終 節『男の娘には37.0℃の愛情を』
「まさか、君自ら懇願するとは……。私でも彼でもなく、結局君は孤独を選ぼうと言うんだね」
最高神マリーダは、予想外のオリエの言動に、目を瞬かせた。
「ああ。嘘はつきたくないんだ。それに、俺がいなくなっても大丈夫だって、確信もあるから」
「そんなわけないよぉ……。いなくなるなんて言わないで……」
ラパンは、すがる様にオリエにしがみつく。オリエにとって、彼の気持ちはとても嬉しいものだった。しかし、その感情すらも幻なのかもしれないことを思うと、やはりこれ以上、この状態を続けていてはいけないとも感じる。
ラパンを優しく抱きしめながらも、オリエは言う。
「さぁ。解いてくれ、マリーダ。覚悟はできてるから……」
「そうか。まぁ、君が望まずともそうするつもりだったけどね」
(どうせ、私のものにならないのなら、解こうが解かまいが同じことだ。だけど、目の前で私以外の男の娘といちゃつかれるのも目障りだからね)
マリーダは、再びオリエに近づくと、ラパンの肩を掴んだ。
「邪魔」
そのまま肩を掴む腕を振るうと、ラパンは質量が無いかのようにオリエから引き剥がされ、地面を転がっていった。
「おい、おま……」
「すぐにそんな感情は無くなるんだ。我慢しなよ、少しくらい」
静かに、厳かに、最高神は囁く。吐息が触れ合いそうな距離で。
「うう……うっ……うあぁぁぁぁっ…………」
奇麗に舗装されたレンガ造りの道に、押し殺したようなラパンの泣き声がこだました。それをBGMに、最高神はオリエのチャームを解除する。
「転換」
瞬間、自分を中心に、あらゆる音が収束していく感覚をオリエは覚えた。
静寂。次いで、視界の停止、暗転。
ただ、そこに立っているという感覚のみが、オリエの自我を支えていた。
(なんだ、これ……。……こわい……こわい、こわいこわいこわい……!!)
先の見えない暗闇に、何も聞こえない静寂。これまで感じたことのない恐怖が、足元から立ち昇る。
身体が震える。何も見えない、感じないのに、震えているということだけは分かる。
(あいつ……あいつ、だましたんだ。マリーダ、お前は俺を一体どうしたんだ……。答えろよマリーダ!!)
声が出ない。それが、オリエを更に焦らせる。
恐怖、焦燥、自分勝手な己への罪悪感。
全身から汗が吹き出し、過呼吸に陥る。
(もう無理だ。立っていられない……。けど、このまま倒れたら、立っているという感覚さえなくなったら俺は……)
しかしもう、感情の渦に抗えなかった。オリエはゆっくりと正面に倒れこんでいく、筈だったのだが。
(……………………ん?)
オリエは、立っていた。しっかりと脚を踏み出して、自身を支えていた。
(あれ……感情が……)
汗が引き、呼吸も正常に戻っている。
だが、身体的な変化よりも彼が戸惑ったのは、感情の渦がすっかりと掻き消えていたことだった。
「よぉ。すまねぇな、あんたの身体に勝手に住み着いてよ」
声が聞こえた。何も聞こえないはずのこの暗闇から。
ふと前を見ようと、意識をすると、白く、人影が浮かび上がった。
そして、どうやらその人影が、自分に話しかけているということが、オリエには分かった。
「……あんたは?」
「俺はあんたの感情さ。この世界にあんたが来てから生み出された、あんたの分身みたいなもんかな」
「マリーダがかけたチャームそのものってことか?」
「端的に言えばそうだな。お役御免みたいだから、俺は主様のところに帰るぜ」
その人影に表情はないはずなのに、オリエにはそいつが笑顔で話しているように感じられた。
「しっかしあんた、俺を抑え込むとは大したもんだよ。主導権握らせるつもりなんて、欠片もなかったのになぁ」
「……それは、どういう……?」
「さっきあんた言ったろ? ラパンを愛してるってよ。俺は当然、マリーダ様を愛してるって答えるつもりだったんだぜ。まさか、遮られちまうとは思わなかった」
「………………………………」
「お、これ以上、悠長には話してられんな。俺は行くぜ。まぁなんだ。俺はそれなりに楽しかったよ。あいつらにもよろしく言っといてくれ」
人影が眩く光を放つ。
「じゃあな」
暗闇が、晴れていくーー。
※※※※※※※※※※※※※※※※
「どうだい、オリエ君?」
マリーダがオリエに向かって、にたにたと気味の悪い笑顔を向けている。
マリーダに対しての好意が欠片もなくっていることが、彼にはすぐに分かった。
それに、
「ほんとにさっきまでの自分が夢みたいだよ。あんな燃え上がるような感情を持つ俺なんて、やっぱ俺じゃなかったみたいだ」
(やっぱり俺は、何事にも無気力無感動が基本じゃないとな……)
胸の内をチクリと刺すような痛みを覚えたが、オリエにはそれがなんだか分からない。
「オリエくん……」
彼は、小さな声の主を見る。道にペタンと座り込んだラパンは、目を真っ赤にしながら彼を見ていた。
涙は壊れた蛇口から噴き出すように止まる気配はなく、その華奢な身体は小刻みに震えている。
「ラパン……」
(泣くなよ、ラパン。お前はいつも泣いて……初めてお前の親父に会った時から、ずっと、ずっとお前は泣いてきた……。どうしてだ。どうして、ラパンばっかりいつもこんなに苦しまなくちゃならないんだ)
沸々と、暗い感情がオリエの心を満たしていく。眉間に刻まれた深い皺。噛み締める奥歯の圧力。握る拳、手のひらに食い込む爪の痛み。
(これは……)
オリエは、気づく。
「怒り……か? なぁ、最高神、俺は怒っているのか?」
「何を……」
「ふふ……はは……ははははははははははははははははははっ!!」
「君、いったい……」
マリーダは目を丸くする。
怒っているかと聞いた相手が次は笑い出したのだ、"チャームの解除に失敗したのだろうか"と、一瞬頭によぎった。
「いや……そんなはずはない。私の魔法が失敗することなど……」
顔を引きつらせたマリーダを放置し、オリエはラパンのもとに歩いていく。
「ラパン!」
名前を呼び、抱きしめる。そして再び、身体を離すと、真っ直ぐに彼の顔を見た。
「オリエ……くん……?」
「俺、覚えてたんだよ。ラパンに出会えた喜び、ラパンを苦しめる全てのものへの怒り、そんなラパンの過去を思った時の哀しみ、ラパンやみんなと旅した楽しさ……。ちゃんと、ちゃんと覚えてる。もう、あんなに強い感情じゃないけれど、だけどちゃんと心の中にある。喜怒哀楽が、感情が、心の中に」
オリエは、確信を持っていた。自身の中に、かつて妹を失った時に完全に無くしたと思っていた、あらゆる感情が再び芽生えているということに。
優しい気持ち。穏やかな気持ち。晴れやかな気持ち。
これまでとは違う、激しくなく、熱くなく、緩やかな、爽やかな気持ち。
「なぁ、ラパン。やっぱり俺は、お前のことが好きみたいだ。前みたいな、沸騰するような愛情ではないけれど、それでもいいか?」
「あ゛だりま゛え゛だよ゛ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
ラパンはオリエに抱き着き、顔をその胸に埋める。壊れた蛇口から漏れ出る涙は、更に勢いを増していた。
相思相愛を改めて確認しあった2人は、お互いを強く強く抱きしめあう。
「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
そんな2人の時間を切り裂くように、怒号が鳴り響く。空気が波立ち、建物が軋む。あらゆる物音は砕けちり、耳に痛いほどの静寂が街を包む。
憤怒の表情を浮かべたマリーダが、2人を見ていた。
「私を……私をコケにしやがって……許さない、許さないぞお前らぁぁぁぁ!!」
「マリーダ様!」
最高神の怒声を聞いたヒュドラが、戦闘を中断し、すぐそばに駆け寄る。
「いけませんマリーダ様、ここで力を解放されては、この街にいる味方もろとも……」
「うるさい! 君は私に指図できる立場か!? この街ごと、地上から消し去ってやる……!」
「「マリーダ様!」」
同じく怒声を耳にしたグレンデル、癘鬼の2柱が到着した。
「……騒ぐな。もう私が決めたことだ、君たちが何を言おうが覆らない」
「……じゃあその殺戮は、神の国で行うのはどう?」
「……シルフィード」
遅れて現れたシルフィードは、マリーダに恭しく一礼する。
彼女は他の神がいる前では、マリーダに対する礼儀を強める。
「貴方様の力を拝めるなんて中々ないことですから、神の国の全国民を観客として招いてみる、というのはいかがでしょうか。きっと素晴らしいショーになるかと」
マリーダは、昂ぶりを抑えるように大きく息を1つ吐くと、神の国へ続くゲートを開いた。
「……オリエ君、ラパンテッド・ランカスター。我が配下の提案に感謝するがいい。私は君たちを神の国で待つことにしたよ。……7人だ。7人集めて、モンテオールの頂に来い。君たちの当初の望み通り、我々は君たちとの決闘に応じよう。期限は2週間後までだ。逃げたときは……分かってるね?」
オリエとラパンは頷くと、震えるお互いの身体を抱き、去り行く最高神を見つめる。
最高神がゲートを潜ると、ヒュドラ、癘鬼、グレンデルがそれに続く。
最後にゲートに向かったシルフィードは、2人に振り返り、ウインクを1つ飛ばすと、暗闇の中に消えていった。
「ラパン、怖いか?」
「オリエくんだって、震えてるよ?」
互いの身を案じながら、2人は顔を近づける。
唇と唇を重ね、お互いの体温を感じ合う。
2人の心は同じ。
ーー今だけは、他の全てを忘却の彼方に追いやってでも、自分たちの関係性を確かめ合いたかった。
ご覧いただきありがとうございます。
長らくお待たせてしまいました。
申し訳ございません。
ご覧いただいている皆さんに支えられ、どうにか第4章終節まで書いてこれました。
これからもよろしくお願いします。
次回は第4章のエピローグを挟みます。
来週は日曜日の投稿になります。11/22の18時頃に更新予定です。




