枯れた赤木
ハーニー町は"ピンクビードル"によって集められた蜜の名産地として有名な町である。
ここでの"ピンクビードル"について説明しよう。
"ピンクビードル"は3cmくらいの小型の蜂で名前の通り色はピンク色だ。針が退化し、刺すと自分の内臓ごと抜けてしまうほど脆く、そして毒性も弱い。その為、蜜蜂の一種であるというのが分類的に正しい。ただし、ここで変わった生態として"ピンクビードル"は花の蜜よりも"赤蜜木"の樹液を好んで集める。それを集め、自らの|蜜を一時的に貯める場所《蜜胃》に送り、巣に帰って集めた蜜を吐き出す。
"ピンクビードル"の内部で特殊な成分により、樹液からは水分が抜かれ、凝縮された樹液のみが巣に溜め込まれる。そこに少量ながら様々な花の蜜を集め、混ぜ合わせることでハーニー町名物の"ピンクビードル"の蜂蜜が出来上がるのだ。
さてこの"ピンクビードル"だが、非常に臆病で近くに大勢の人が居ると直ぐに巣を放棄してしまうという。その為町から少しばかり離れた場所に養蜂場を作ってあり、そこに行くにはちょっとした丘を超える必要があるという事で今現在ピカソ達はそこに向かって歩いていた。
「町から離れてしまうという事は柵とかで養蜂場は囲っているんですよね?」
「えぇ、蜂蜜を狙う魔獣もいますのでその辺りの設備を備えてありますわ。柵の外回りには空堀を、更に魔獣は嫌いですが"ピンクビードル"に取っては無害の花も植えてあるので近付きにくい構造になってますわ。唯一空からには弱いですが、魔鳥にしても巣箱を壊すほどの大きなのは付近には生息していませんし正に"ピンクビードル"にとって最高の場所です」
ピカソとクレアは歩きながら、"ピンクビードル"についての説明を受けていた。クレアが語る内容はわかりやすく要点がまとめられている。更に予め疑問点についても先に答えてくれる。
普通なら話の内容が右から左へ流れるベオルフも、ちゃんと頭に残るほどだ。
そんな風に歩いてる途中、ベオルフの頭に何かが留まる感触があった。
「ん?」
思わず手に取る。
手で摘むと小さな二対の顎がある小さな甲虫がウゴウゴと蠢いている。
「なんだ、ただの虫か」
「ベオルフー! 置いていきますよー!」
「あぁ、今行く!」
ぽいっと虫を投げ捨て、先に行ったピカソ達を追いかける。
少し小高い場所を越えると、養蜂場が見えて来た。
そこはかつての養蜂が盛んだったいう場所。しかし、その姿を見たベオルフは顔をしかめる。
「こりゃひでぇな」
案内された場所では多くの木が枯れ果てていた。降りて近くで見てみると来る時に見た鮮やかな赤色は赤黒く変色し、葉も枯れ落ちたもので根元が覆われている。
町の花の煌びやかな光景と比べてみると余りにも対称的な悲惨な光景である。
枯れている"赤蜜木"の元へ三人は近づいて行く。
ピカソは枯れている一本の"赤蜜木"に近付き、枯れた葉の一枚を取る。
「落ちてる葉が新しい……。それにまだ葉には栄養はあるのに木だけがボロボロに朽ちている……明らかに何らかの原因によって木が枯れてますね」
「何故そう思うんだお嬢?」
「"赤蜜木"は落葉樹の一種ですが今の時期冬の乾燥や寿命といった理由ではありません。若い木から古い木まで見境なく枯れています。更には落ちた葉の状態は同一で栄養があります。これらは明らかに急激に葉が抜け落ちています」
「その通りですわ。枯れている"赤蜜木"は殆どが同じ症状で枯れ果てています。ある日突然木本体が枯れ始め、葉はそのせいで一気に落ちるのです。あたかも先程までは元気だったのに突然老衰したように」
朽木となった"赤蜜木"からは、やはり樹液を採取することは出来ない。
結果、"ピンクビードル"は樹液を集めるのが困難になってしまった。
「ハーニー町ではこの"赤蜜木"に巣を作る"ピンクビードル"を養蜂として古くから栄えた地ですわ。その甘く蕩ける味わいの蜜は貴族や王族すらも魅了すると言われ、こぞって商人達が買い取るため訪れました。ですが、その"ピンクビードル"が巣を作る"赤蜜木"が突如として枯れ始め巣を作ることの出来ない"ピンクビードル"が死に絶えるか何処かに去って行きました。町の養蜂場の木も約2割が枯れ、更に枯れると思わしき木も含めて3割が駄目になりました。これは、山の中にある木も多数枯れていますわ」
「ひでぇなそりゃ。だがよ、これだけ急に土地に問題か疫病である可能性はねぇのか?」
「それくらいワタクシ達でも考えましたわ。けど、土地に問題があるのならば他の草花に影響が出ていないとおかしいですが、枯れたのは木だけで草花にはそういった影響は見受けられていません。疫病も同様ですわ。過去の記録を遡っても今回みたいな事は記載されていませんでした。ですからその線は極めて薄いですわ。それくらい分かるでしょう?」
「うるせぇな、聞いてみただけだろうがよ」
そんなことも分からないのという目線にぐっと奥歯を噛み締める。
ベオルフとしてはそんな細かな情報を吟味して理論立てて考える知識人ではなく、戦いを生業としていている冒険者なのだ。学については余りよろしくなかった。
戦うであろう魔獣についての知識ならある程度自らも集めるも、それ以外の土地柄や風習については余り調べない。基本ピカソに丸投げである。
交渉はピカソが行い、ベオルフはピカソを守る。それが二人の役割だ。
「それでクレアさんが発見した突如として"赤蜜木"が枯れた理由は何なのですか?」
「ふふん、それはですね。……あぁ、丁度よろしいですわ。あれをご覧になって下さい」
隠れるようにハンドサインしたクレアに習って、三人は"赤蜜木"の背後に隠れる。
とっ、と足音を鳴らし外にある空堀と軽やかに乗り越えて一頭の鹿が現れた。鹿は橙色の毛皮に、腹のまわりが白い毛に覆われている。鹿は柵を強引に、器用に脚をかけて登り超えてくる。
そのまま大きく地面に落ちるも養蜂場内部に侵入することに成功した。鹿はすぐに体勢を直して、一本の元気な"赤蜜木"に近付く。
ベロン、と。
30cmはある舌が鹿口の中から這い出て、"赤蜜木"の幹にまとわりつく。そして一気に舌を引くとその部分だけの"赤蜜木"の皮が削られなくなっていた。
「まさか、たったひと舐めであれ程の木の皮を食すだなんて」
「あの舌、まるで鑢みたいだな」
「貴方達はそこに居て下さい。ワタクシが仕留めますわ」
一連の流れを見ていたピカソ達が驚く中、見せるものは見せたとクレアは腰に帯刀していた豪華で短い杖を取り出す。
「『炎の精霊よ、我が魔力をもってして契約し、愚かなる輩を貫け』」
クレアが唱え、炎精霊に指示を与えると同時に魔力を与える。空中に、五本の炎の矢が具現化される。
そのまま杖を鹿に向ける。
五本の炎の矢の内4本がそれぞれ鹿の四脚に突き刺さり、最期に頭を貫いた。
ピカソはおぉっと拍手をし、ベオルフはひゅうっと口笛を吹く。
「やるな、今のは中級の炎精霊魔法か?」
「えぇ、精霊教本では『炎射矢』とも呼ばれていますわね。これでも魔法に関しては《4欠月》程度の実力は持っていますわ。このくらい造作もありません。それにこの杖のおかげで炎精霊には意思を伝えやすくなっています」
物にもよるが内部にそれぞれの属性の魔石をはめ込んだ杖は精霊に意思を伝えやすくなると言われている。
精霊教本では1つの精霊に魔力を与え現象を起こすのを初級魔法、10以上の精霊に魔力を与えて現象を起こすのを中級魔法と区別している。当然、精霊の数が増えれば繊細なコントロールや魔力の消費も大きくなる。
その中で鹿の脚を正確に撃ち抜くのは、精霊法士としても中々の腕前だった。
三人はクレアによって倒された鹿に近付く。
炎で倒されたにも関わらず鹿の毛皮の焦げは最小限に抑えられている。
ピカソはキチンと絶命しているのを確認し、絵を描くと同時に語り始める。
「橙色の毛皮に、短い尾。そして何よりこの特徴的な舌、間違いありませんこれは"長舌鹿"です。確かこの地方ではよく見られる魔鹿ですね」
「さすが『魔獣調査部門』の誇る特殊調査官。既に知っておりましたのね」
クレアは馬鹿にするようにでもなくただ淡々と賞賛する。
「はい。この辺りに生息する、その名の通り舌の長さが特徴的な鹿です。それでクレアさん。もしかして今回の"赤蜜木"の枯れた理由って」
「えぇ、この鹿が今回の"赤蜜木"の大量枯木の原因ですわ」
「ですが、"長舌鹿"は木ノ実や苗木を食料としていて木を食べることなんて殆どなかったはずですが……」
「そうですわね。普段であれば、"長舌鹿"は木を食べるなんてことはありません。ですが、今回は少々事情が異なりますわ。先ず始めに去年の秋にこの町では領主主導の元、魔熊の討伐に勤しみましたわ。東に広がる森から"ピンクビードル"の巣を狙い、森の浅所にも出没するようになったので、蜜を生産するこの町にとって大問題になりました。それなりに高額な懸賞金もかけられ冒険者ギルドにも依頼が持ち込まれました。当然、魔熊を狩る技術を持つ冒険者達はこぞって魔熊を討伐し、事態は収集することが出来ましたわ。しかし……」
若干眉を顰め、クレアは言葉を詰まる。ピカソは大体の理由がその表情で予想出来た。
「その、予想よりも冒険者達は魔熊を狩りすぎてしまいましたわ。報酬が良い事から意気込み過ぎて森の浅所に出る魔熊だけでなく、森の奥に行ってまで。しかも厄介なことにこの魔熊は子どもがいる時庇ってその場から動かない生態があります。秋に出産する事の多い魔熊は出産で体力を使っていまして、今は比較的容易に駆られてしまいました。結果、持ち込まれる魔熊の量に驚き、ワタクシ達が止めた時には魔熊の数がこれまで確認された中で3分の一にまで落ち込みました」
「3分の1!? おいおい、そりゃ大問題じゃねぇか。一歩待ち構えたらこの辺りの魔熊が絶滅手前にまで行っていたぞ」
「えぇ、その通りですわ。これは領主様にその手の知識がなかったのと、我々も事態を把握するのに遅れたのが原因ですわ。とにかく、そのせいで今回のことが起きたのですから本当に大問題ですわよ」
頭が痛いとばかりにクレアは手で頭で覆う。
生態系とは多くの目に見えない糸が絡み合い複雑奇怪に出来ている。確かに魔熊は木々を薙ぎ倒し、"ピンクビードル"の巣を狙い一頭現れただけで養蜂場は莫大な損害を受けた。
だがだからといって一方的に駆逐すればどうなるか。想像出来ないはずがなかった。
「中でも天敵のいなくなった"長舌鹿"は冬の間に多くの子鹿を出産しましたわ。ですがそれだけならば本来ならばまだ、 問題にはならないはずでした」
「でした? つーことは何か問題が起きたんだな? 理由は何なんだ?」
「まずこの町では冬に多くの雪が降ります。それにより本来であれば寒さに耐え切れない子鹿がある程度間引きされるはずでしたが、残念ながら今年は雪が降りませんでしたの。それですくすくと"長舌鹿"は大半が大人になり森の中の木ノ実や若葉を食べ尽くしたようです。これは、冒険者と共に調査した結果事実でしたわ。今見えないだけであの辺りの森の若木は全滅ですわ。恐らく数年は元に戻らないだろうとの見解です」
今年は雪が降らなかった事、天敵がいなくなった事、この2点が重なってしまった事で"長舌鹿"は爆発的にまで繁殖してしまったのだ。
「さて、そうなると当然彼らは食料を賄うことが出来なくなってしまいます。ベオルフ・ヴァンデルンク。貴女は自分が餌にしていたものがなくなった時どうしますか?」
「そりゃなんか食えるもんがないかうろつき回るな」
「そうですわ。餌の無くなった長舌鹿達は苦肉の策として木々の皮を食すようになりました。特に味が良かったのが"赤蜜木"でしたわ。恐らく、少しですが"赤蜜木"に含まれる蜜の成分が嗜好にあったのでしょうね。堀があるとはいえ垂直の崖すら登れ、ジャンプ力もある鹿が相手では役に立たず、柵も寧ろ餌として食べられてしまいます。かといって対策しようにも、鉄製の柵すら越えてしまいますので……」
「あー、魔法具の柵とかだとこの膨大な敷地を囲むこともできないだろうな」
「そうですわ。増えた"長舌鹿"も数が数だけに食される"赤蜜木"の数もまた膨大ですわ。それにより丸裸になった幹が風に晒され、枯れ果てる。それが今回の事件の詳細ですわ」
「ほぉー」
淀みなくスラスラと喋る様は何処か気品すら感じられ
話の内容は筋を通していた。やはり優秀なのだろう。
感心した様子にふふんとクレアの機嫌が良くなる。
「ワタクシの知識は魔獣の方へ僅かばかりに偏っていますからそれくらい造作もありません」
「そういや、さっきなんちゃらも学会に発表しているとかいってたな」
「『魔を持つ全ての生物についての見解』ですわ。きちんと覚えてくださいまし!」
「悪りぃな、お嬢と違って俺はあんまそういうのに興味ねぇんだ」
「まぁ、冒険者ともあろう方が情報の重要性を理解してなくって?」
「そりゃ討伐する魔獣について調べる事はあるが殆どは直感だな。知らねぇ魔獣と出くわす事があっても直感で大体何とかなる」
「まるで獣ですわ」
「獣人だからな」
皮肉を返すと気に入らないのかふんっとクレアはそっぽを向いた。
「まぁ、とりあえず今回俺たちの出番はもうないな。な、お嬢」
「………」
「お嬢?」
返事がないことにベオルフは疑問に思いピカソの顔を屈んで覗く。
ピカソは何か考え込む様子でジッと長舌鹿と"赤蜜木"を見比べている。ふむと頷いた後、ぐいっと柔らかいほっぺを引っ張る。
「い、いひゃいです!」
「人が質問してる時はきちっと答えるべきじゃねぇのかな〜?」
「ご、ごめんなひゃいっ。考え事をしてたのでふっ」
「考え事?」
「ひゃ、ひゃいっ。だからもう離してくだひゃいっ」
パッと引っ張るのをやめる。ピカソは赤くなったほっぺを撫り、若干涙目になりながら説明を始める。
「もう、ベオルフはすぐに私にいぢわるするんですから」
「お嬢はいじりやすい顔をしているからな。それで何を考えていたんだ」
「……一致しない所があるのですよ。確かにクレアさんの話は筋が通っています。現に枯れた木には殆ど長舌鹿の捕食の跡が見受けられますし。でもそれならば枯れ果てた全ての木が何処かしらに皮を食べられた形跡がないとおかしいんです。でも……」
ピカソは一本の木に触れる。
「皮があるのに枯れている木もある。それも一本や二本じゃなく大量に。それが私には気にかかるんです。違う理由ならば枯れ方に違いがあったならば何も思わなかったのですが葉を見る限り枯れ方も同じ。何らかの共通点を感じられずにいられません」
「なら他の理由があるってことか?」
「そう思うんですけど……、その理由が分からないんです。クレアさんの仮説も間違いとは言い切れないので屁理屈だって言われたらそれでおしまいですけど……。それに、"長舌鹿"自体が大繁殖してるのも事実です。ならば因果関係があるのもきっと間違いありません。でも私は今回の事件、そんな簡単なことで解決できることじゃないと思うのです」
それは謂わば何度も経験を積んできた特殊調査官としての勘であった。
ピカソがこれを言った事は一度や二度ではない。必然的にベオルフも顔を引き締める。
しかし対照的に不機嫌になる人が一人。
クレアである。
「何を言い出すと思えば……態々ワタクシの業績にケチをつけにきたのですか?」
「違います! そうじゃなくってですね。確かに鹿による食害は私も何度も見てきましたし今回も経緯から、その可能性はあると思いますがそれだけに鹿が原因だと先入観を抱くのではなく別の理由も考えた方が良いのじゃないかと。それで、あの、決してクレアさんを蔑ろにも、馬鹿にしている訳では……」
うまい言葉が出ないのかしどろもどろになる。その様子に更にクレアが不機嫌になる。
「ならば、好きに調査して下さいませ。ですが言っておきますーーワタクシは間違ってなどいませんわ」
そう言ってスタスタと去って行った。
「あーあ、ありゃ完全にご立腹だな」
「うぅ、私の言い方が悪かったんでしょうか……」
「あぁいうのは何いっても怒る時は怒るぜ。プライド高そうだしな」
「そうでしょうか……」
「お嬢は考え過ぎなんだよ。それでこれからどうするよ?」
「とりあえず、調査をしてみようと思います。確かに今回の事は魔熊の乱獲から始まり様々な事が絡み合った事には間違いありません。でも、私達はもっと単純なことを見逃している気がします」
奥の柵の外側では"赤蜜木"の皮を食す"長舌鹿"の子鹿が見えた。
「……ん?」
「あれ?」
気付くと先ほど戻っていったはずのクレアが何故か此方に戻って来ていた。どうしたのだろうとピカソとベオルフは顔を見合わせる。
クレアは何処と無く気まずそうにしながら何度もチラチラと此方を窺っている。
「どうしたんですか?」
「……………し」
「「し?」」
「鹿を持って帰るのを忘れたのですわ……」
かぁぁと顔から火が出るほど顔を赤らめながらぼそりと呟いた。
実際に鹿による食害は実在します。酷い時は禿山寸前まで木を食い荒らすらしいですね。
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