聖なる夜の天使と淫魔は何を話さんや?
サボりにサボったので初投稿です(迫真)
知り合いのクリスマスデートに喀血しつつ書きました、どうぞお納めください。
「クリスマスって忙しいの」
「やっぱり主の降誕祭だから色々と忙しいですよ」
彼女はそう言って薄く笑った。冬の朝のように冴えていて、それでいて爽やかな微笑みだ。
季節は冬、一年の終わりが見える時期の微妙に手前。もっと具体的に言うならばクリスマスというやつだ。
世間は浮き足立った雰囲気に飲まれ、その空気を表すように街はクリスマスの飾りつけで盛大に豪奢に煌びやかに輝いている。電気料金なんて知らないと言わんばかりの電飾の光は、今この瞬間に朽ち果てたって後悔はないだろうと思うくらいに輝いていた。輝きまくっていた。
その光景を空から眺めながらアタシと彼女は曇り空の下で談笑する。曇っていると言っても、この気温なら降るものは雨ではなくて雪となるだろう。雪、そう雪だ。
聖なる夜を飾り立てるのは何も人間たちの作ったものだけではない。真っ白な雪がひらひらと舞い、ホワイトクリスマスとして人間たちをより一層楽しませることだろう。普段は疎まれる雪も、クリスマスと子供にとっては嬉しいものだ。
「あと一時間もしないうちに降りそうですね」
「そういうのって分かるもんなの?」
「今朝ニュースで言ってました」
「はあ、なるほどね……」
人間の文明にどっぷりと浸かっている天使様である。
しかし、こうしてのんびり和やかに談笑しているけれども、彼女は天使である。そしてなんだかんだと忙しいと言っている彼女であるが、一体全体どうやってこうして駄弁るだけの時間を捻出したのだろうか。
アタシといえば、この時期は特に彼女もいないような男連中相手に営業しているわけだけれども、今年に限って何故か世の男という男は女を作って浮かれているご様子。
聖なる夜が性なる夜に変わることは周知の事実であるけれども、ここまで男女が一組になっていることはない。まずない、そうそうないとかそういう次元ではなくて有り得ない。まあたまに男と女の比率がおかしい時もあるけど、それはそれとして、こうも女日照りの男がいない日は珍しい。
「いいの? アタシとおしゃべりしてて。忙しいんじゃなくて?」
「例年通りなら、忙しいんですけどね。今年は張り切りまくってこの日までにくっつきそうなところもくっつかなさそうなところも全部引っ付けてきました。主の降誕祭も、大天使連中に押し付けてきたので実はフリーです」
「ブラックな上司だね、あんた……」
ひどい話もあったものである。流石に同情する。まあ普段散々追い回されているからいい気味だと思わなくもない。
クリスマスといえば、やっぱり降誕祭だから天使連中は忙しそうにしているものだ。この日ばかりは天使の悪魔連中への嫌がらせもお休み。神様だの人間だので方方を飛び回っている。
なんなら魔界のお偉方からもお祝いの花が届くらしい。普段からいがみ合っているわりに、やっぱり元を辿れば生みの親みたいなもの、お祝いくらいはするらしい。
アタシにとってはもう遠すぎてよくわからないくらいの遠縁だけど、やっぱり神の威光を受ける天使連中を見るとなんとなく懐かしいものを感じる。天使連中はサディスティックな笑顔で追っかけ回してくるから、向こうはそうでもないのかもしれないけれど。
そんなことを思いながら彼女の顔を見ていると、彼女は何を思ったのか急に顔を赤らめて口を開いた。
「嫌だわ、そんな熱っぽい視線を向けられても。私とあなたは天使と淫魔、クリスマスの夜にそんな……」
「なんだ急に」
「いえこんな日にじっと見つめられていたので誘われているのかと」
「いやブラック天使の顔も作りだけは芸術品だなと」
思いっきり殴られた。それも拳で。
「嫌だわ、そんな熱っぽい視線を」
「正解を教えてくれたらその通りに返すけど」
思いっきり蹴られた。それもつま先で。
頭をさすりながら脛を労わる。全く冴えないクリスマスだ。呻きながら災難を憂う。男はおらず、暇つぶしに魂の回収でも手伝おうとしたら生暖かい目でいいからと追い返されるし。暇だからと地上に降りてみればこいつが笑顔で待っているし。挙句に暴行を受けるし。
「なんなんだよもう……」
「貴女がつれない態度をとるからです」
「つれない態度ってなんだよ……」
一体何をご所望なんだこの女は。自慢ではないが、アタシは感情の機微とか相手が望むものとかには聡くない。
以前デスクで書類相手にデスマーチしていた同僚を励まそうとイケメンの写真を送ったら、後日アッツアツのコーヒーをぶっかけられたものだ。なんでも死にかけている最中にいい笑顔のアタシとイケメンのツーショットで殺意が湧いたとか。まあ言われてみればそうなるなという気がしなくもない。
兎にも角にも、アタシは相手の思うことなんてわからない。仕事のノルマが達成できるように営業トークは磨いているけど、それは一種マニュアル化されているので相手の反応や言葉に合わせて機械的に返すだけ。まあこの仕事を始めて長いから、たくさん蓄積されたデータのおかげで失敗はほぼない。あと男は単純だから楽っていうのもある。
でも女相手だとそうもいかない。クリスマスの街中で時折微妙な雰囲気のカップルを見かけても、正直なんで女が怒っているのかが分からない時は多々ある。それは店の雰囲気がちょっと思ってたのと違うとか、プレゼントの返しの言葉が気に食わないとか、なんで手を握ってくれないんだとか。
だから、アタシは‘つれない態度’なんて言われても困るしかない。しかし、控えめに見てもお相手は魔界の役職で見れば見上げるような天使である。そうとは知らずタメ口で、何故か今もこうして会えば話をするしタメ口のままだが、このまま怒った雰囲気のままで居られると居心地が悪い。何より美人だ、少し不機嫌そうな顔をしているだけでも威圧感が半端ないのだ。
「そうだ、どうせだから地上に降りよう! このまま浮かんでるだけじゃ味気ないだろ」
「んえ? ええ、まあいいですけど……」
突然の申し出に、天使様は困惑しながらもアタシについて降りてくる。フワフワと地上に降り立ったアタシたちのスペースに、不自然に空間ができる。もちろん、人間たちはアタシたちが見えないし、声も聞こえないし気配さえ感じていない。でも、アタシたちがいる場所を不自然に避けて歩く。人の本能として避けているのだろう。まあ詳しくは知らない。知ってても別に何か役に立つわけでもないし。
本人たちも避けているという感覚さえなく、アタシたちを避けて歩いているだろうう。こちらとしては気楽なもんだ。たまに天使とおっかけっこしているときに、撒くために地面すれすれを飛んだりするけれども、人間の体をすり抜けるときには嫌な感覚がするものだ。誰だって生き物のハラワタに率先して手を突っ込みたがろうとは思わないだろうし。家に帰ってから速攻で風呂を浴びる程度には嫌な感触だ。別に実際に汚れるわけではないけど。気分の問題だ。
天使様と二人、クリスマスの街を歩く。なんとなく不思議な気持ちだ。普段なら一人寂しい男の家で仕事中だというのに、今年はなんの因果か天上人(というか天上天使? なんと言えばいいのだろう)と二人でクリスマスに仕事関係なくブラブラ。
隣を見れば、天使様はアタシの顔を見ていたようでバッチリ目があった。首を傾げて「なんかあった?」と声をかけたけれどもフイッとそっぽを向かれてしまう。
「なんだよ、アタシの顔になんかついてた?」
「いいえ。そんなことはないですけど……」
「じゃあ何よ」
「ちょっとそっちの景色が見たかっただけです!」
「人並みしかないけど」
角を引っ張られた。その上ガックガクと揺さぶられた。
「アウアウ……ちょっとは加減しろよ」
「貴女、鈍いって言われません?」
「よく言われるよ」
「でしょうね」
そんなことを話しながら、クリスマスに彩られた街の中を練り歩く。時折派手に着飾って角をつけているような奴らがいるけれど、悪魔のコスプレだろうか。それハロウィンにやれよ。
そう思いつつ視線を逆方向に向ければ、今度は赤に白の縁取りの服装で、口周りにヒゲを蓄えたじーさんの衣装の人間を見つけた。
「あは、サンタクロースじゃないですか」
「だな。そういえばサンタのじーさん元気してんの?」
「最近は半隠居しているそうですよ。一応クリスチャンの中で信心深い方の家には行かれているそうですけど。まあ大分一部で、かつよほど聖人に近いような人の所位なもんですね」
「それでも元気だなー」
「そろそろ世代交代だろうなって仰ってました。まあ、最近は私たちのことを見れる人も減りましたし」
「そっちが姿を隠しているくせに」
「貴女たちは開けっぴろげすぎるんですよ」
「たしかに」
まあ仕方ないじゃないか。アタシたちはどうしても人に惹かれちゃうんだから。一夜だけの関係でも、添い遂げようとしても、どちらにせよ彼らにとってはアタシたちは夢でしかない。なら後腐れなく、さっぱりとしている方がお互いのためってもんだ。一瞬の交じり合いなら、姿を晒したところでどうってことない。
天使や神々は、そこら辺どう考えているんだろうか。さっきは天気予報なんて聞いて雪が降りそうだなんて言っていたけれど、文化が進んで、人間たちから信仰が失われて、次第に信心がなくなって、それでいつの日か実在しないと言われてしまうかもしれないのに。それでも頑なに姿を隠して生きていくのだろうか。人間を守っていくのだろうか。
「なあ」
「なんです」
「ずっと姿隠して、それで居ないって言われて。寂しくない?」
「あー……寂しくないといえば、嘘になりますね」
「じゃあ、なんでいつまでも姿隠して生きてるのさ」
「別に完全に見えないわけではないですし。見える人には見えますよ。時たま居ますよ、人間界に奇跡を降ろしに人間に転生する子も」
「大変だねえ」
「やりがいはありますよ」
そう言って彼女は微笑む。アタシの質問に意図して答えなかったのかは知らないけれど、まあいいや。別に知らなくても困らないし。困らないけど、なんとなくモヤモヤ。
とりとめもないことを話しながら歩いていると、何やらいい匂いがしてくる。クリスマスといえば、チキンか。
「ああー、美味しそうな匂いぃぃ」
「天界では新鮮なコカトリスが焼きあがってる頃ですよ」
「石になりそうだな」
「絶品ですよ?」
「なんかイヤだ」
でもでっかいから食べ応えあるだろうなあ。好き嫌いせずに食べてみるべきかなあ。魔界ならこの時期はオークを丸焼きにしているだろうか。あれはあれで旨いけれども。
「っていうか、やっぱりチキンとか食うんだな」
「コカトリスです」
「いいから。贅沢の為の殺生な気がするけどいいの?」
「それはイヤな聞き方の質問ですね。命に対する感謝の確認ですから。無駄な殺生とは違いますよ」
「物は言いようだな」
「まあぶっちゃけ美味しいものは美味しいので」
「ぶっちゃけすぎでしょ」
さすが人の姿をした存在、割と俗物的である。まあアタシたちも欲望のままに生きているのだから、おあいこというか相手のことばかり言えたものではない。それにやはり息抜きは必要な物だろう。苦楽を共にするという文句があるくらいだ。苦だけではどうにもなるまい。叶う物なら、楽だけがいいとあたしは思うけど。
「魔界だとこの日って割とただの宴会だけど、そっちは厳粛に祝うのかい?」
「多分思ったより羽目を外してますよ。去年は大天使長が野球拳でひん剥かれてましたね」
「何やってんのさ」
「彼女弱すぎるんです。手の内が全部読めました」
「あんたが剥いたのかよ……」
思ったよりはっちゃけてた。
野球拳とか、もはや人間と天界、どっちが俗物なのか分かったものではない。魔界ですら上品にチェスやらカードやらで魂のトレードなのに。
とにかく、何かあっても彼女とじゃんけんはするまい。
「一年間厳粛に過ごしていますし、クリスマスは忙しいとは言え、復活祭の前祝い的な空気が強いですからね。それに主も割とハジけてますから、むしろクリスマスにハジけてないと、ハジけるタイミングがないです」
「なんとなく天使連中を見る目が変わるよ」
まあ、それはそれでいいのか。溜め込むだけの生活なんて楽しくないし。まあアタシらは溜め込んだ端から垂れ流すけど。生きていれば、同にしたって楽しいことと同じくらいには嫌なこともある。アタシらなんかはそれが顕著だ。いや、もしかしたら相対的に苦楽の比率が多いだけかもしれないけど。その点、彼女たちは普段は清貧を旨として暮らし、救済をするために身を粉にする。アタシらと違って、普段は人間に対していつも働きかけ、手本となるように暮らしている。それが決して目に触れることが無くても。だからこそ、一年に一度くらいは羽目を大いに外すのかもしれない。
……それにしてもずいぶん歩いた。人通りの多い箇所を過ぎ、いつしか色とりどりの電飾が飾り立てられた大通りから、暖色の街灯が優しく照らす、一本裏の通りにまで来てしまった。というか、
「ここホテル街じゃん」
「ホテル街?」
「男と女が交わる方のな」
「それは……随分とそれてきましたね」
見れば仲睦まじそうなカップルがまた一組、豪華な建物の中に消えていく。休憩という名の運動会が始まるまで、十分もないだろう。
「どうする? そろそろ上がるか」
「え、ええと……その、あの」
「? どうしたの。妙にモジモジして」
「ちょっと、その、ホテルの中が、気になったり、ならなかったり……」
顔を伏せている天使様であるけれども、どうやら顔を真っ赤にしているご様子。耳まで赤いのが何よりの証拠だ。大胆な告白だ。ラブなホテルの中が気になるなんて。なかなかどうして、天使としてははっちゃけている。
そこでアタシはピーンと閃いた。天才的に天災的に、それこそ雷神の雷に打たれたかの如く。
――これめっちゃからかうチャンスじゃん、と。
思えば彼女と初めて出会ってから早いモノで数百年。馬鹿話をしたり追いかけっこしたりお悩み相談会したり。なんだかんだあったけど、基本的にからかわれたりしばかれたり、振り回されるのは常にアタシだった。ひどい時は仕事をこなした直後に会った時、「不潔です!」とか言われて追いかけられた時だ。仕方ないだろ淫魔なんだしと言っても聞く耳持たず。
そんなことを閃きつつ思い出して思い出して、はたと思う。よおもや彼女の口からホテルが気になるというワードが出てこようモノとは。丸くなったものだ。成長したのかただのスケベ心か、いやもしかしたらクリスマスに限りやはり天使も気が緩むのかもしれない。人間界の教義でも決して交じり合いを否定しているわけでも無し、いわば快楽におぼれることなかれというそれ。彼女もやはり人の形を持つ存在、そういったことに関心がないわけではないのだろう。
思えば天使を篭絡して飼ってる同僚もいたなあ。堕ちればいっそ清々しいらしいし。もちろん逆もしかりだが。
「あの……」
「ああ。うん、何でもない。何なら折角の機会だし入ってみる? 現界すれば困らないし」
「そこまでしなくても、入るだけならこのままでも」
「適当なところに入って、おっぱじめてたら気まずいんじゃなくて?」
「た、たしかに」
「ほらほら、服は適当にさっき見たのを見繕って、っと」
アタシはさっさと人間界に姿を晒す。途端に冬の人間界の寒さが襲い掛かってきた。この季節はいつも、文字通り身を切るような冷気が漂っている。先程ショーウィンドで見た好みの服装を再現して普段着の上から纏い、寒さを和らげる。
「ああ~、思ったより三倍くらい寒い。なるべく厚着になるようにしても寒い。ほら、アタシだけ寒いの不公平じゃん、さっさと出てきなよ」
「わ、分かりました」
そう言って、彼女は人間界に姿を現した。まあアタシと彼女は最初っから姿が見えてるから、別段変化はないけど。周囲の人間から見たら、突然アタシらが湧いて出てきたように見えることだろう。まあこの時期のカップルはお互いの姿とホテルしか見えてないから、アタシらが現われたことも気に留めていないだろう。
いくら天使様と言えども、冬の寒さは堪えるらしい。「寒い?!」小声で叫ぶなり、先ほどまでの肩出し背中だしの天使のくせに女性の魅力がないと着こなせないような薄着から、これまた先ほどのショーウィンドに飾ってあった冬の装いに変化した。どうせホテルに入ればあったかいもんだけど、普段寒暖なんて無縁の世界に生きていると、一瞬でも適温でないところに放り出されると参ってしまう。天使も悪魔も温室育ちという訳だ。なんか面白い。
「へえ、似合ってるじゃん」
彼女は思ったより寒いことに驚いたのか、一番あったかそうなファーコートを纏っていた。アタシは適当に見えた革ジャンと、ついでにタイツを履いている。普段から露出度が高いからある程度の寒さはいいとしても、少々ものぐさだったかなと思ったり思わなかったり。
彼女はもこもこのファーに首をうずめて幸せそうな顔をしていた。毛布の上で寝る猫みたいな顔しやがって。いつもそういう可愛い顔してりゃ、部下の天使にもビビられないだろうに。
「あったかぁ」
「さ、それじゃさっさと入ろうか」
「あ、はい」
さてさて、滑らかに彼女をエスコートしてホテルの入り口をくぐる。彼女はコートの暖かさに頭をやられて、何故現界したかをすっかり忘れていたようだ。どことなく淫靡な雰囲気のフロントを見て、一瞬で表情が固まる。ここからはアタシのホームだ、存分に弄り倒させてもらおう。
後ろの方で氷像のように固まっている天使様を尻目に、手早く受付を済ませてキーを貰う。部屋番号は十三番、なんとも背徳的。
「ほら、行こうよ」
「あの私やっぱりこういうの良くないような気がして」
「いいからいいから、さっさと歩いてね~」
いよいよ余裕のなくなってきた彼女。既に面白い。普段はこういった施設は使わないけど、時折降りてきて仕事後のお口直しをするときなんかは、活きがいいのを見繕って入ったりする。相手もアタシもその気で入るわけだから、こうやって逃げ腰の相手の腕を引っ張って部屋まで行くというのは何とも新鮮だった。それも相手は極上だ。別に手を出そうとは思っていないけど、からかう相手としてはこれ以上面白い相手もいないだろう。というか、手を出そうものならそれこそ滅されそうだし怖くてできない。こんなアタシでも命は惜しい。
人の姿で人の姿の天使の腕を握るというのも、新鮮味にあふれている。ほんのりと暖かいその手は細くて、神の傍で腕を振るっているとはとても考えられない。きっと彼女も同じことを考えていたのだろう、アタシの指に自分の指を絡めてくる。
「あったかい?」
「ええ、とても」
「指使い、ヤラしいんだ」
「ちょっ、そんなつもりじゃ」
「分かってますよ天使様」
やっぱり面白い。さっきから顔は染まりっぱなし、手も心なしか熱くなっている気がする。
ホテルの中を見るために、手を引きながらもゆっくり歩いて部屋の前につく。十三番、裏切りの部屋だ。
「ここだよ」
「なんというか、出来すぎてますね」
「そう? アタシなら金貨で払うけど」
「怒りますよ」
「こりゃ失礼」
少しむっとしたような顔になったけど、耳まで真っ赤で、弱弱しく手を握られていては迫力も出ない。今日の彼女は、アタシの掌の上だ。上下関係が逆転していることになんとなく満足。男のいないクリスマスだけれども、これはこれで悪くない。
部屋の扉にキーを差し込み、ゆっくりと回す。カチャッッと音がして、アタシと彼女だけの部屋が開いた。扉を開け、中に入るように促す。しかし、自分の意思で入るにはまだ抵抗感があるのか、なかなか足が進まない。そんな彼女の手を引いて、一緒に部屋に入る。そして彼女を前に行かせて、アタシは後ろ手に部屋の鍵を閉めた。
「さて、感想は?」
「まだ、分かりません。入ったばかりで、何も見てないようなものですし」
「もっと奥に行きなよ」
「ええ」
自棄か、はたまた開き直ったか、彼女は恐る恐るではあるけれども部屋の奥に進んで行く。
と言っても、別に中でヤッている人間がいるわけじゃない。居るのは一人の天使と一人の淫魔だけ。だから部屋はいわゆる宿泊施設そのままといった体だ。もちろん、多少ラブな雰囲気ではあるけれども。
アタシにとっては見慣れた景色。それどころか、普段使わないから懐かしいと思う程だ。普段は家でくすぶっている連中の所に遊びに行くから、生活感があふれている部屋の方がホテルの部屋よりもなじみやすいというモノ。でもそんな経験がないであろう天使様は興味深そうに周囲を見回している。どうやらここは浴室がガラス張りで、一層そういった用途の施設だと主張しているようだ。部屋にはデンと一つ、大きなベッドが鎮座しており、何なら二人と言わず四人くらいカモンと威厳ある姿で主張している。ちなみにアタシは狭いベッドで引っ付いている方が好きだ。
少し暗めの照明に、赤系統の暖色で構成された調度。ベッドのわきにはこれまた大きなテレビが控えているけど、まあ番組内容なんてお察しだ。
「あら、大きなテレビ」
しかし世間知らずな天使様、アタシがニヤニヤしているのも知らずにテレビの電源を入れてしまった。予想通り、大音量で流れるあえぎ声。画面の中で繰り広げられる運動会、固まる天使様。正直ここまで完璧にはまると思わず、あっけなく噴き出してしまう。コントか。
「あはははは!! やーいスケベ!」
「あ、あ、あ」
「いひひひ、あはは! ものの見事に引っかかったね、ラブホでテレビつけたらまあそうなるよ」
「あ、あ、あ」
「あれ、おーい」
いかん、固まった。回り込んで顔を見てみれば、完全にテレビに釘付けなのにもかかわらずどこを見ているかが分からないという、正直実物を見て初めて知る怖い顔になっていた。
ちょっと申し訳ない気持ちになった。純粋な子供に最近サンタはお偉いさんの所にしか顔出してないよと教えた気分だ。思いっきりからかおうと思ったけど、これはやりすぎたらアタシが滅せられるか、彼女が堕天してしまうかもしれない。そこまでする気もないし、そもそも彼女を害する気で来たわけではないので(からかうのは一種親愛の表現だ)すぐにテレビを消して、彼女をベッドに座らせる。
なんだか関節の堅い人形みたいになっているけれども、ともかく落ち着いてもらいたい一心で声を掛けた。
「あのぉ」
「……」
「大丈夫?」
「ナイデス」
「デスヨネ」
茹蛸のように真っ赤とは、まさにこのことだろうと言わんばかりに顔を赤らめて彼女は一言口にした。その後に何を言う訳でもないのに、なぜかろくろを巻いている。完全に思考がショートしてしまっているのだろう。アタシはいそいそとベッドを立つと、フロント前まで走って水を買った。そしてこれまた急いで部屋に戻り、彼女にその水を差しだした。
「ほら、これ飲んで落ち着いて」
そういってボトルを手渡すと、彼女はソレを固い動きのまま飲み、そしてまた固まった。
流石に刺激が強すぎたかあ。生娘じゃあるまいしとは、この際言えなかった。生娘どころか、生娘の偶像ともいえる存在なのをすっかり忘れていた。淫魔の流儀は、相手を選ぶことを学んだ。
仕方ない、彼女が落ち着くまでゆっくりしようと、そのまま虚空を見つめる天使様を寝かせてやる。肩を押さえて、押し倒すような形でベッドに倒す。コートの上からだというのに、触れた瞬間に身体が固まったのが分かった。なんとなくイケナイことをしているような気分だ。……その通りか。
しかし先ほども彼女に伝えたが、やはり綺麗な顔をしている。少しウェーブのかかった、透き通るような白金色の髪の毛に、少し釣り目がちな青色の目。すっと通った鼻筋に、瑞々しい唇。まさに美しいという存在そのもの。ある種魔性ともとれるような美貌が、目の前でフリーズしている。
……いや、だから何だと。アタシは淫魔で、彼女は天使。まかり間違っても、何かが起こるなんてありえない。
「ごめんね。ちょっとやりすぎちゃった。普段振り回されてるから悪戯してやろうって思ったんだけど……正直、ここまで免疫ないと思ってなくて。ゆっくりして、落ち着いたら帰んな。アタシは先に上に戻ってるからさ」
アタシは彼女にそれだけ言うと、部屋の入口に足を進める。しばらくは会わない方がいいのかもしれない、いやそもそもだ。ここまで仲良くしていたことが間違いだったのかもしれない。確かに、天界と魔界は時折戦争をしたり、凄惨な争いを引き起こしたりもしている。でも、アタシはそういうのには参加したくないし、天使のことを殺したり、辱めたりしたいとは思ったことはない。アタシは淫魔であって、求めるのは享楽。でも、何かを壊して喜びを感じることはない。それを否定はしない。でも、アタシは御免だった。扉の前まで来て、ノブに手をかけたタイミングで背後から音がした。ちらりと振り返ってみれば、彼女がごそごそと起き上がって、アタシの方に歩いてきて……!
「ちょ、ゆっくりしてなよ! あんた一瞬頭の輪っか濁って――ンッ」
顔が、近い。いいにおいがする。唇が合わさっている感触。どういう、状況?
キスされている。
一瞬ではない、何秒か、何分か、思考がフリーズして分からないけど、少なくとも一瞬よりは長く、キスをしていた。柔らかく、包み込むような感触。普段するような、絡みつくようなモノとは違う。それでも、アタシはとろけるような、快楽を……。
そして、彼女の柔らかな唇がアタシから離れると、いきなり抱き着かれて、耳元で大声を出された。
「――何一人で完結してるんですか!」
「耳元で叫ばないでよ、聞こえてるよ」
「叫ぶくらいじゃないと、分かってくれないじゃないですか!」
「なにが!」
「私、貴女のことが好きです!」
「はぁぁああ!?」
根耳に水、とはこのことだ。
「好きって」
「好きです」
「それはその、どういう意味で?」
「好きなんです、愛しているんです」
「なんで、」
「知りません、でも! 気が付いたら……もう、貴女のことを考えるばかりになっていました」
熱い告白。頭が真っ白になる。今度はアタシがフリーズする番だった。
頭が混乱して、思考を正しく行ってくれない。
愛の告白なんて、それこそ腐るほど受けてきた。陳腐なモノから情熱的なモノまで一通り。そして、決まってアタシはこう返してきた。
『ありがとう、でもさようなら。縁があれば、また夢で逢いましょう』
定型句だ。一夜の夢、それがアタシと彼らの関係。添い遂げようだなんて、アタシはまだ一度も思ったことはない。だって、アタシたちは男に惹かれて、精を吸う。それが仕事で、本能で、仕事で、魂だから。愛なんてない。だからお別れを言う。正しい距離間での付き合い。それに、彼らの命が尽きるまで添い遂げるほど肩入れしても、こちらに特にメリットはない。彼らも、精をささげて、後に魂までむさぼられて終わり。アタシは、そこまでしたいとは思ったことはない。
でも、彼女の言葉は。愛の言葉だけど。定型句で返せない。口が動かない。
代わりの言葉も、拙いものだ。
「でも、アタシは淫魔だよ」
「知ってます」
「あんたは天使だよ」
「そうです」
「無理、だよ」
「何故?」
「なぜって、」
「……この日に、貴女に思いを告げようと思っていました。その為に、貴女が人間の所に行かないように、貴女の行動する場所の男女は全員くっつけました。魔界の方にも手を伸ばして、貴女がこの日にフリーになるようにしました。上にも掛け合って、私もクリスマスに無理言って、スケジュールを開けました」
なんかすごいことを言っている。
でも、それですべてが分かった。彼女が言った、くっつきそうなところもくっつきそうじゃないところもくっつけてきたとは、まさに言葉の通りだった。アタシが、男の所に行かないように。そして、同僚連中がアタシに仕事を回さないのも、彼女の計画。アタシをフリーにして、自ら出向いて、クリスマスを二人で過ごす。
とんでもない天使様だった。
「職権乱用もいいとこだね」
「何とでも」
「でも、なんで?」
「何がですか?」
「なんで、アタシなんか――淫魔なんか好きになっちゃったの?」
「……最初は、単純に面白い子程度でした。でも、一緒に過ごすうちに、なんか寂しそうな顔するなって思って」
「ああ、まあ、寂しい気持ちはあったかも。アタシらは所詮淫魔、久遠を生きて、男に媚びる哀れな女。アタシはまだ、経験したことないけど……添い遂げたいって、思った男がいても、そいつは必ず死んでしまう。愛を知っても、その愛は必ず失われる。いや、経験したことないんじゃないかな、自分から見切りつけてたんだろうね、添い遂げられないのなら、愛する必要もないって」
女。それがアタシだ。いたずらに精をむさぼる性の悪魔のように思われていても、本質的に女だ。男を求めているんじゃない。愛を求めている。それが叶わないから、一夜の恋人を求めて飛び回る。儚い存在。夜の闇と共に愛を探して、朝日と共に夢に溶ける。それがサキュバスの性だ。
「それが放っておけなかった。私たちは、困った人を救済する存在。私の横で、あんな顔をされて、ソレを放っておくことができません。それでちょっかいをかけているうちに、いつしか……」
「そうなんだ……アリガト」
なんとも照れ臭くも、素直に感謝を表す、そしてだからこそ、こういわなくちゃいけなかった
「でも、やっぱり駄目だよ」
「え……」
「アタシは、汚れた女だよ。あんたみたいに、飛び切りの女が愛を注ぐ相手じゃない。だから、さっきのキスでおしまい」
「なんで、そうやって勝手に」
「勝手じゃないよ。アタシも、あんたが好き。言われなきゃ気が付かないくらいで、鈍感だけど。はっきりと言える、あんたの事愛してる。あのキスを思い出しただけで、心が満たされる。だからこそだよ。アタシはもう満たされた。あんたの愛を、それこそあふれるほど受け止めた。だから、あんたはほかの人間たちにソレを分けてやって」
そこまで言って、アタシは現界を解く。彼女は何か言いたげだけど、それを聞いたら今度こそ引き返せなくなってしまう。だから、アタシは魔界に戻って、そしてもう、地上にはいかない。あふれるほどの愛を受けて、なお愛を探しに飛び回るほど、贅沢な女じゃない。
「ありがとう、でもさようなら」
いつか会おうなんて、もう言わない。本当の愛を知ったのだから。
――そして、アタシは魔界へと帰るために門を開けた。
――そして、アタシは魔界へと帰るために門を開けた
……もんがあかない。
「あ、れ? おかしいな」
「うふふ、どうしたんですか?」
「いや、おかしいな。魔界に繋がる門が、開かないんです、け、ど……何か、知ってらっしゃるんです、か?」
あれぇ? なんかすごい妖しい顔で天使様が笑ってらっしゃるんですけどぉ?
それによくよく考えれば、現界を解いたはずなのに、未だに彼女の人肌を感じる。ということは……そもそも、まだ人の身のままと言うことだ。
というか、力が出ない。まるで、これじゃあただの女みたいだ。別に現界したからと言って膂力まで落ちると言うことはないはずなのに。力を絞って接することはあっても、そもそも出せないと言うことはない、明らかにおかしい。
「忘れましたか? アタシはこれでも主の傍に在る者。言い方はアレですけど、貴女とは殻が違うんですよ」
「いえいえ、しっかり覚えておりますとも」
「そんな私が結界を張れば、悪魔の力位くらい容易に封じることも出来ますよね?」
「でも、そんな張った気配なんて」
「その程度感づかれるくらいなら、セラフの階級を背負うことなんてできません」
「……さいですか」
言うなり彼女はアタシの両手を掴んで引きずり、そのままベッドの方へと連れていかれる。
そして、そのまま押し倒されるがままに、もつれるようにベッドに横になった。組み敷かれるというのが、これほど怖い事で――すこし、興奮すると言うことを知らなかった。両手をまとめられて片手で頭の上に縫い付けられ、馬乗りの形で組み敷かれる。お腹の上に感じる彼女の重さは、そのままアタシの今の非力さも相まって逃げることはできないと言うことをこれでもかと思い知らせてくれた。うなじのあたりがピリピリとする。呼吸が早まり、体温が上がる感じ。
そして彼女は、天使というにはあまりにも淫靡な、艶めかしい表情でアタシに顔を寄せてくる。その顔は獲物を確実に、逃げられないように捕らえた時の獣そのものであった。アタシだってあんな顔で男に迫ることもないだろう。
「さあ、楽しみましょう? 夜はまだ、これからですから」
この後? アタシは天井のシミを数えることにしたはずだけれども、途中からは彼女への愛の言葉と嬌声を上げていた以外に記憶がない。
――――――――
――――
――
「天使様、お加減いかがですか?」
「ううう、まだ、本調子とは」
ベッドの上でうなる彼女に、アタシは静かにため息をついた。あの夜、アタシはいいとして、さすがに彼女はやりすぎだったとして神様にしばかれたらしい。いい気味だ。
しかし困ったことに、なぜかアタシは熾天使を誑し込んだ淫魔として無駄に称えられているし、天界でも神の右腕を抱き込んだ淫魔として恐れられているとでてんやわんやだった。結果、しばかれたあげくしばらく謹慎していろと言われた彼女の世話係として、彼女の家に詰める羽目になっていた。天界と魔界の交流の一環と言うことらしい。よくもまあと思ったけれど、これも多分彼女の手の内なのだろう。
あの夜の淫魔を啼かせた天使の姿は、今や見る影もない。そこにいるのは神のお折檻で弱った一人の女しかいなかった。いや、今腰を押さえてうめいているのは神の責任ではないのだけれど。
「経験もないくせに張り切りすぎなんだよ。まあ、初めてのわりによかったけど」
「余裕こいちゃって。あんなに喘いでたくせに」
「あえいでない」
「……録音もありますよ」
「あんた本当に天使か?! 悪魔なんじゃねーの?!」
「うふふ、まあ抜け道を使う程度には悪い子なんですよ」
全く、とんでもない天使だった。
しかし今の生活に満足していないかと言われれば、そんなことはない。
成り行きとはいえ、愛する女性のもとにいることが許されたのだ。無論、彼女はアタシにだけ目を向けられるわけではない。仕方のないことだ。あまねく世界を照らす存在の右腕だ、彼女の役割は千の腕でもってしても余りないだろう。でも、アタシは違う。もう迷わず、彼女のことを愛し続ける。いつか、彼女にも役目を終え、久遠をただ漂う時が来るかもしれない。そしたら、今度こそ彼女を独り占めにすることだって叶う。淫魔冥利に尽きるというモノだ。
それにしばらくは(アタシとしては嬉しいことに)彼女は謹慎だ。少しの間だけでも二人きりでいられるなら、悪くない。
「アタシのことを堕としたんだ、しっかり愛してくれよ、天使様」
「勿論です。たとえ堕天してでも、貴女を手放すつもりはありません」
そして、自然とアタシと彼女の顔が近づき……。
「あ、そうだ」
「おう……なんだよ急に、ちょっといい雰囲気だったのに」
「最近天使もシフト制になりまして」
「は?」
「実は今までより格段にホワイトな職場になるんです」
「は?」
「熾天使も忙しすぎるってことで持ち回り制になりまして、権力の分散も兼ねて。それで三人シフトで休日の日曜日を抜いて六日を三分割なので、週休五日になりましたの」
「は?」
「だから、これからはたくさん愛して愛して愛してあげますね」
「……Jesus」
思ったより、ハードな生活になりそうだった。