第2話(AEKE!2)
よくよく見てみれば、彼女の出で立ちは風変わりなものだった。
顔立ちは普通の外国人女性、むしろ彼──若宮 光の好みである。
少女と呼ぶには大人びていて、淑女と呼ぶには幼い、そんな狭間の年頃に見える。
しかし、服装が奇抜だったのだ。
彼女くらいの年頃の女性が着ているのをよく見かけるような、そういう服装ではない。
まず、黒い。
正確には濃紺といった色合いなのだろうが、薄明かりの下だからとにかく黒く見える。
ゲームやアニメに登場するような、魔法使いが着ているローブのイメージだ。
実際はそれより洗練されているし、小洒落たデザインになっているようだが、それでも普段着としてこれを着る人はそうはいないだろうことくらいは彼にもわかる。
ともあれ考えていても始まらない。
彼は会話のきっかけとして、根本的な質問をしてみることにした。
「君はこんなところで何をしているの?」
「わかりません…。そもそもここが何処なのかも私にはわからないんです。」
不思議なことを言うものだ。
彼の頭に真っ先に浮かんだのは、そんな感想だった。
もしくは記憶喪失の類いの話なのだろうか。
「私はエルコーラルの魔法師で、ミアルージュ・ユースティアといいます。貴方の名前を聞いてもいいですか?」
魔法師?エルコーラル?この子は所謂"中二病"の患者なのか?
そんなことを考えながらも彼は『若宮 光』と名乗った。
「ワカミヤ ヒカルさんですか。ワカミヤさんと呼べばいいですか?」
「ワカミヤはファミリーネーム…家名だから、ヒカルでいいよ。」
「名前が逆なんですね。わかりました。私のことはミアと呼んでください。ミアルージュって長いですから。」
受け答えは普通だ。
こう言っては中二病患者に失礼かも知れないが、彼女が中二病患者なのだとしたらもっと違う会話になるような気がしていた。
普通過ぎて拍子抜けする。
「ヒカルさん、教えてください。ここは何という場所なんですか?」
彼はどう答えるのが正解なのかと思案したが、聞かれたことにそのまま答えるという選択をした。
「ここは日本という国だよ。」
「ニホン…聞いたことのない国…」
彼女はそう呟いて少し押し黙った。
彼女の思いは彼も同じだった。
彼も地球上の全ての国名を記憶しているわけではないが、エルコーラルなんて国は聞いたことがない。
「エルコーラルってのはどの辺りにあるんだい?」
彼はそう質問してみたが、『デアンドルとミストリアークという国の間にある』という、彼にとっては要領を得ない回答だった。
デアンドルなどという国も、ミストリアークなんて国も、彼は聞いたことがないからだ。
「とりあえず、こんな場所で話していても仕方がないし、こんな時間だ。お腹は空いてないか?」
「いえ、大丈夫…いや、少し空いています…」
「そうか。じゃあ何か食べながら話そうか。空腹じゃ纏まる考えも纏まりづらいだろう。」
彼はそう言うと彼女を連れて、まずは自宅に向かった。
自宅で食事をしようというのではない。
このまま連れだって飲食店に行くには、彼女の姿が目立ち過ぎると思ったのだ。
独り暮らし且つ、彼女もいない彼の自宅にも女性物の衣服があるわけはないのだが、彼の服で彼女でも着られそうなものに着替えさせようということだ。
正直、彼は着替えさせることにも一悶着あるかも知れないと考えていたが、案外そうはならなかった。
下は七分丈のパンツを履いてもらい、ウエストはベルトで詰めて対応。
上はローブの下に着ていたクリーム色のシャツはそのままにして、上にカーディガンを羽織らせた。
ちぐはぐ感は否めないが、あの服装のままでいるよりはマシだろう。
彼女を着替えさせた後、彼らは駅方面に戻った。
食事をするために電車に乗ろうということではなく、単にこの辺りで飲食店となると駅付近が最も選択肢が多いというだけのことだ。
「何か食べたいものはある?」
彼はそう訊ねたが『どんな食事でも構わない』というので、個室のある居酒屋を選んだ。
彼女は未成年かも知れないと一瞬頭を過ったが、お酒を飲みに行くわけじゃないから構わないだろうと考えることにした。
ここを選んだのは色んなメニューを少しずつ頼むのに丁度いいし、なんとなく周囲に会話の内容を聞かれない方がいい気がしただけのことだ。
「どれも不思議な食べ物ばかりです…でもとても美味しいです。飲み物も美味しいです。凄いお店ですね。でもこんなに美味しいものを沢山食べさせてもらって…大丈夫ですか?」
いや、むしろチェーンの安居酒屋でそんなに喜ばれると、かえって心苦しいと彼は思った。
しかし、そんな態度は微塵も見せず「全然心配ないから好きなだけ食べていいよ」と伝えた。
食事を堪能し、今は食後のデザートに舌鼓を打っているところ。
ただのミニパフェなのだが、彼女はこれにも感激している様子だ。
明るさが戻ったのはいいことだ。
食事中はあまり当たり障りのない会話をするよう努めていたが、これなら話を戻しても大丈夫かな?と彼は話を切り出した。
「そう言えばさっきの話に戻るけど、ミアの言っていた"ガクギゴ"ってのは何だい?」
「そう言えば、ヒカルさんは"ガクギゴがわからない"って言ってましたよね。ガクギゴというのは、まさに今私が話している言葉なのですが…」
これが"ガクギゴ"だと言う。
でもこれは"日本語"だ。
「"ガクギゴ"というのは、ミアの国の言葉なのかい?」
「いえ、私の国の言葉とはまた別です。」
そう言うと彼女は、彼が聞いたことがない言葉を話し始める。
当然、彼にとってそれは全く耳馴染みのない言葉だった。
彼女は改めて"ガクギゴ"で話し始める。
「もう随分昔の話ですが、私の国で大きな革新が起きた時期があったんです。」
「革新?」
「はい。それまでは魔法というものが"なんとなく使える"ような状況だったんですけど、それをある一人の学者が論理的、学術的に解明するという偉業が成されたんです。」
魔法…いやいや、この期に及んで魔法かぁ…
やっぱり中二病設定が生きているんだろうか。
そんなことを思いつつも、無用なツッコミはせず、続きを促す。
「ですが、その研究成果を纏めたとされる文献は、見たこともない言葉で綴られていたんです。」
「その、見たこともない言葉っていうのが…」
「はい。"ガクギゴ"です。勿論、その当時は"ガクギゴ"とは呼ばれていなかったそうですが。」
ガクギゴ…語呂と話のニュアンスからすると、"学義語"な気がする。
「研究は魔法に限った話ではなくて、ガクギゴで纏められた研究成果は他にも多岐に渡りました。そんな経緯もあって、魔法師をはじめとした学術に携わる者は"ガクギゴを学ぶこと"から始めるのが基本になったと言われています。」
何だか、どう受け止めたらいいのかわからないというのが彼の抱いた感想だった。
魔法だ何だと『あり得ない作り話』をしている割に、彼女は至って真剣に訴え掛けているようにしか見えない。
少なくとも、そんな荒唐無稽な話をしてからかおうとしているようには見えなかった。
矛盾しているようだが、この作り話を信じる気にはならないが、彼女を否定しようとも思わないというのが本音だった。
彼女の話しているのが"ガクギゴ"であろうと、会話が通じている以上に重要なことはない。
現状の問題は、もっと別のことだ。
あまり深く考えていなかった結果でもあるのだが、この後どうしようというのが大きな問題だった。
何か縁があって声を掛けてしまった。
話を聞いてしまった。
食事を食べさせて、『それじゃ、頑張ってね』なんて放り出すのは気が引けた。
警察に連れていくのも放り出すという意味では同じだ。
面倒に首を突っ込んだ自分しか呪えない。
そして、呪ったところで結果は変わらない。
そんな無駄な思考をため息と共に脳裏から削除した。
「…とりあえず、今日はウチに泊まるか?幸い、部屋はあるから俺と一緒に寝るなんてことにはならないから。明日以降のことはそこで考えればいい。」
一歩間違えば、ナンパだ。
だが、彼にはそんな下心は微塵もない。
──少なくとも今は。
「そんな…そこまでお世話になってしまっては、ご迷惑ではないですか?」
「こんなことで迷惑だと思うくらいなら、最初から声なんて掛けていないよ。」
彼女はそう言われると、心苦しさは残るものの、彼以外に頼れる人間もいない現状を鑑みて、その提案を受けることにした。
お店からの帰り道、二人はあえて迂回せず神社を通り抜けるルートを選んでいた。