第1話(AEKE!1)
神隠し──この世界のとある国には、そんな言葉がありますね。
現在では伝承の一つ、言い換えれば迷信めいた話として扱われてはいるようですが。
しかし、この世界には多くの国々があるにも関わらず、その多くの国で似たような言い伝えが残っていたりします。
尤も、この世界では科学と呼ばれる文化が主流であり、こうした伝承は"非科学的"とされ淘汰されているようです。
──科学的に証明されている
これはある意味で、この世界における最強のパワーワードになっています。
不思議ですよね。
事象や物事に対して根拠や証左を求める、或いはその証明そのものが科学である──にも関わらず、科学を信じる人々の大半が、その根拠や証左自体を知らないまま、妄信的に科学を信じているという事実。
一方で、"人智を超えた"とか"奇跡的なことが起きた"とか、とても非科学的な事象が起きても、それは例外と言わんばかりに受け止めたり。
見届けるものとしては、"全ての事象が科学的に証明できる"という見方ではなく、"全ての非科学的な事象は起こり得ない"ことの証明という観点からでなければ、科学が絶対的なものとは言えない気がするのですが。
まあ、この話は本筋からずれた話なのでこの辺にしましょうか。
何故こんな話をしたのか、勿論理由があります。
非科学的──それは別の表現をするなら、"この世界の常識からは逸脱した事象"ということになるのでしょうか。
この、"この世界の常識"というところが重要なのです。
度々お話ししている通り、私が見届ける世界はこの世界だけではありません。
幾つもの世界が存在すれば、その数だけ常識があるのです。
そう──この世界の"非常識"が、別の世界でも非常識とは限らないのです。
『たら・ればを言い出したらキリがない』
主にマイナスな表現として使われる言葉だ。
あの時、こうしていれば──
あそこで、そう言わなければ──
しかし、全てが悪いことばかりではない。
彼は普段なら、この神社は通らなかった。
たまたま見たいテレビ番組を録画予約していなかった。
いや、普段なら録画予約せずともその番組をリアルタイムで視聴できる時間に帰ることができた。
しかし、この日は仕事中にハードクレームが発生し、対応していたオペレーターのフォロー、そしてクレーム対応を終えた後も、その報告書を書かなければならなくなったのだ。
彼の自宅と最寄り駅の間には階段にして四十段程度ではあるが、小高くなった場所に建つ神社がある。
普段なら、彼はこの神社がある場所をぐるりと迂回して家路につく。
しかし、この日の彼は急いでいた。
階段を上る労力がかかるとはいえ、迂回するよりはこの小高い場所を真っ直ぐに突っ切った方が早い。
仕事が普段通りに終わっていたら──
彼が普段通りに神社を迂回するルートを選んでいれば──
彼らは出会わなかった。
いや、もう一つだけ──
彼が他人への関心が薄い人間であれば──
彼らは出会わなかった。
階段を駆け上り、すっかり暗くなった神社を小走りに通り過ぎようとする。
その時、その神社で唯一ぼんやりと灯りがついている賽銭箱の脇に、俯いて小さくなっている人影を見つけた。
彼は急いでいた。
しかし、それは見たいテレビ番組があるという些細な理由だ。
こんな暗くなった時間に神社で一人座っているなんて、普通に考えても異常なことだ。
ましてや、彼が薄灯りの中に見た人影は──女性、それも海外の人に見える。
肩くらいまでの髪の色は赤、もしくはオレンジ色をしているように見える。
彼は急いでいたことなどすっかり忘れていた。
こんな暗い場所で女性に声をかけるというのも、一歩間違えばあらぬ疑いを掛けられかねない行為ではあるのだが、彼の中にはそれでこの女性に声を掛けないという選択肢はなかった。
あまり不自然にならないように、駆け寄ったり必要以上にゆっくり歩み寄ったりはしない。
ごく自然に歩み寄る。
しかし彼女は、人が近付いてきていることにも気付いていないようだ。
彼は歩み寄りながらどう声を掛けるか思案していたが、少し離れた場所から声を掛けることを選んだ。
「May I help you?」
彼女はハッとした顔で彼を見上げる。
しかし──
どうやら言葉が通じているという気配はなかった。
勿論、外国人だからといって英語圏の人とは限らないのだから、英語が通じないことだってあり得る。
しかし、彼は外国語といえば英語を簡単な日常会話なら話せるという程度のスキルしか持たない。
言い方を変えれば、こういうことだ。
「英語が通じないんじゃ、正直お手上げだな──」
勿論、彼は彼女に向けて発したわけではない。
むしろ、独り言を呟いただけだ。
しかし──
「ガクギゴ?貴方はガクギゴがわかるのですか?」
これには彼が面食らった。
彼女がいう"ガクギゴ"が何なのかはわからないが、彼女が話したのは間違いなく日本語だ。
明らか外国人風の女性が、簡単な英語すらも通じないのに日本語が理解できているという事実。
それが彼には不思議だった。
勿論、生粋の日本育ちの外国人ならあり得なくもない話だが、それでも『May I help you?』程度の英語なら通じるはずだ。
いや、通じないまでも、彼が話したのが英語であることくらいはわかるはず。
しかし、彼女はそれが英語であることすらわかっている気配はなかった。
それが彼には不思議だったのだ。
そんなことを考えていると
「貴方はガクギゴが話せるのですか?」
彼女は改めてそう言った。
彼は自らの思考の中に閉じ籠っていた意識を彼女へと戻す。
「貴女の言う"ガクギゴ"というのはわかりませんが、今話している言葉が通じているのなら会話はできます。」
「ああ…神様…ありがとうございます…。」
彼女は感極まったように、言葉を途切れさせながら言った。
ほんの少しでも歯車が噛み合っていなければ出会わなかった。
彼──若宮 光と、彼女──ミアルージュ・ユースティアは、こうして出会った。
■人と人との相性、巡り合わせは不思議な縁によるものだということ。