プロローグ(KSBK!)
「さすがに飽きてきましたね──」
私は"見届けるもの"
そう──
無数に存在する世界線を"ただ見届ける"ためだけの存在。
私は神なのかって?
困りますね、そんな一つの世界線の中だけで信仰されている程度のものと同じように扱われては。
それに私は見届けるもの。
神のように世界への介入はしません。
尤も、私は神が介入しない世界線の方が好みではあるのですが。
たまにであれば悪くはないと思いますが、あまり過度に介入する世界だと興醒めです。
とある世界線では、私のようなスタンスを"拱手傍観"なんて言ったりするようです。
しかしながら、それを何億年も続けていると──
そこで最初の台詞に繋がるわけです。
え?
何故『何億年』なんて分かるのかって?
そもそも何億年も前には、数字の概念なんて無いだろうって?
いや、それは今これを見ている貴方達の世界線での話でしょう?
世界は無数に広がっています。
貴方達の世界線の他にも多くの世界がありますし、既に滅んでしまった世界も無数にあるのです。
知的生物だって、これまで数多くの世界線に存在してきたのですから、それを見届けてきた私にだってその概念はありますよ。
──話が逸れましたね。
ともあれ、ただ見届けることに飽きてきたわけですが、私が"見届けるもの"という存在である以上、神々のように世界に介入して退屈を凌ぐ、なんてことはできません。
ですが、私や神々が介入などしなくても、今の"とある世界線"には面白いことをしてくれる者達もいるのです。
そこで私はその面白い者達を記録に残してみることを思い付きました。
今までは私の記憶の中だけにしか残らなかったものを、記憶以外の場所にも残してみようと思ったわけです。
この"面白い者達"は、数多の世界線を見ている私からすれば不可思議な思考や行動をすることがあります。
この者達は不思議と"ベタ"とか"お約束"とか"テンプレ"などというものを忌避したりします。
"ベタ"や"お約束"や"テンプレ"というのは、幾つもの物語などで似通った展開になることを指し示すようですが、その"ベタ"とか"お約束"とか"テンプレ"といった物事に対し、具体例を挙げろと言われても、存外出てこなかったりします。
時折出てくることもありますが、ごく表面をなぞっただけで示すことが殆どで、あまり説得力があるものとは言えません。
──にも関わらず、この者達の世界線は多数決の世界ということもあってか、その"数"が説得力を"持たせてしまう"ようです。
この辺も、この世界の面白いところでもあるわけですが。
さて、私の話はこれくらいにしましょう。
私は見届けるもの。
これから、見届けたことを記していくことにしましょう。
■拱手傍観
手出しをせず、ただかたわらで見ていること。