外出(2)
当日はよく晴れた外出日和となった。
朝から屋敷の前には馬車が並び、飲み物や食事などを詰め込むと、供をする使用人達も一緒に乗り込む。
そうして出発した馬車は街の中を走り抜け、しばらくすると郊外へ出て目的地へと辿り着いた。
黄色く色づいた木々が並び、落ちた木の葉が根元を覆いまるで鮮やかな絨毯を広げたようだ。
馬車が停まると使用人達が次々と荷を下ろし始める。
「シャーロット」
シャーロットも馬車から降りようとした時、先に降りたレジナルドに手を掬い取られた。
貴族の教えを受けて育ったレジナルドは紳士らしく当然のように手を貸す。
貴族の女性は慣れたように手を借りているが、あんな風に堂々とはできないとシャーロットは思った。
商家に生まれて早くに侍女として働き始めたシャーロットは、故郷でもあまり異性と接することはなかったため、こういったやり取りには不慣れだ。
「申し訳ありません」
「いや」
長い指先から細く見えるレジナルドの手だが、触れてみると固くやはり男性の手だ。
こうしてレジナルドの手を取って感じるのは、噂話で聞いたような胸が高鳴る感情ではなく、緊張と申し訳なさで、シャーロットは地面に足をつけるとそっとその手から離れた。
「ぁーま!」
「今行くわ、クリストファー」
先に子守りと一緒に下りていたクリストファーが呼ぶ声に、シャーロットは少し歩みを速めて向かった。
初めて来た森にとてもはしゃいでいる様子で、それを見てシャーロットは良かったと思った。
実際のところ、喜んでいるのはクリストファーだけではなく、シャーロットもこの日を楽しみにしていた。
あまり外出をした経験はなく、初めての場所へ行くということに、気分が高揚してここ数日は落ち着かず、まるで子供のようだと恥ずかしくなった。
森とは言っても人の手で整備されていて自然が溢れる公園に近いらしく、周りを見渡せば他にも遊びに来ているらしい貴族たちの姿があった。
各々で敷物を敷いておしゃべりに興じたり遊んだりと、同じように楽しんでいる様子を見てシャーロットは少し安心した。
「奥様。お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
少し開けた場所に敷物を敷いて持ってきた軽食などを広げると、デボラが茶を差し出した。
吹き抜ける風は少し冷たいが、太陽が出ているおかげで陽射しが心地良い。
季節によっては貴族男性は狩りを楽しむのだが、レジナルドは行わないらしく敷物の上に腰を下ろして同じように茶を飲んでいた。
その側で、クリストファーが初めて見る植物や、小動物の姿に目を輝かせている。
「クリストファー。転ばないように気をつけて」
子守りに手を引かれているが、気持ちが急くのか時おり手を離そうとするクリストファーに、シャーロットは心配して声をかける。
小さな体が不安定に揺れるたびに転んでしまわないかと肝を冷やしていると、レジナルドが声をかけた。
「元気なくらいでちょうど良い」
シャーロットが振り返れば、レジナルドはクリストファーに視線を向けて落ち着いた表情をしていた。
シャーロットはもう一度クリストファーの方を振り返って見ると、足を左右に揺らしながらも転ばないように力強く踏ん張っていた。
自邸の庭も広かったとはいえ少し窮屈だったのか、楽しそうに伸び伸びとしている。
シャーロットは心配性でついついクリストファーを構いすぎるが、一歳も過ぎて日々成長しているのだと、そう思った。
「楽しそうだな。これからは、もう少し外へ連れて行くようにしよう」
「あの子も喜びます」
きっとクリストファーは大喜びするだろうと、シャーロットはその様子を思い浮かべた。
微笑むシャーロットに、レジナルドが視線を向ける。
「おまえも、もっと好きにして良い」
「え?」
「欲しいものでも、やりたいことでも、望みがあれば何でも言ってかまわない」
レジナルドの言葉を聞いて、その気持ちだけで嬉しいとシャーロットは感じた。
こうして外出したいという願いも聞いて貰えて、今日の服や靴もデボラが取り寄せるとすぐに準備された。
「十分すぎるほど良くして頂いています」
自分には身に余るほどの待遇に、シャーロットはそう思って伝えた。
しかし、レジナルドは視線をシャーロットに向けたままで、何か言葉を間違えただろうかと心配になった。
その時、シャーロットの背に何かがぶつかるような感触がして驚いて振り返ると、いつの間にかクリストファーが手を大きく広げてしがみついていた。
「まー、まー」
「クリストファー?」
クリストファーはシャーロットの手を握ると、小さな体のどこから出るのだろうかと思えるほど強く引っ張った。
座っていたシャーロットは急に腕を引かれて慌てて立ち上がろうとするが、普段のドレスよりは簡易的な外用の格好とはいえ膨らんだ裾ではすぐに立つことはできず体勢が傾く。
その背を後ろから伸びてきた手が支えたのと同時に、クリストファーの体が抱え上げられた。
「どうした、クリストファー」
レジナルドはクリストファーを抱えて立ち上がると、急に高くなったことが面白かったのかクリストファーは笑い声をあげ、小さな手で空を指さした。
その先に美しい羽を広げて舞っている姿を見て、シャーロットはあっと声を上げる。
「蝶が……」
「蝶?」
「あ……この前、庭で見かけたのです。きっと、それで……」
「そうか。教えてくれたのだな、クリストファー」
庭で一緒に見た蝶のことを覚えていて、きっとシャーロットにも見せようとして、呼びに来てくれたのだろう。
レジナルドの腕に抱え上げられたクリストファーの姿を見て、シャーロットの脳裏に懐かしい記憶が蘇った。
まだ家族がいたころ、こんな風に父に抱き上げられて弟が笑っていた。
そのもっと昔には、シャーロット自身もやはり同じように腕に抱きあげられた温もりを覚えている。
レジナルドとクリストファー、そしてシャーロットと、きっとはた目にはただの家族として映っているだろう。
シャーロットは、これが偽りでも良いと感じた。
この場にいるのは本当は姫君のはずで、自分ではないだろうけれど。
それでも、この瞬間はまるで家族のようにいられるのだから、それで十分だと感じた。
疎外感が完全になくなったわけではないが、この瞬間が幸せならそれで良い。
家族を失ったことのあるシャーロットだからこそ、今を大事にしたいと思った。
その時、レジナルドがクリストファーを腕に抱いたまま戻ってきた。
シャーロットの目の前で屈むと、クリストファーを抱いていない方の手を差し出す。
「美しい花だ」
シャーロットの視界に、一輪の真っ白な花が映る。
次の瞬間にはそれは手の内に握らされていて、シャーロットは自分の手元を見つめた。
珍しくはないよく見かける花だが、白く可憐な花。
シャーロットは目を瞬かせた。
「ありがとうございます……」
驚きすぎて一瞬お礼を言うのも遅れてしまったほどで、慌てて顔を上げてそう告げると、レジナルドが珍しく微かに微笑んだ。
シャーロットは思わず視線を手の中に戻して、再び白い花を見つめた。
薄い花弁は風に揺れていて、真っ白なその色はまるで心を無にするような気さえ起こさせた。
一輪の花。
誰かから花を貰ったことは、生まれて初めてだった。