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身代わりの花  作者: 細井雪
本編
8/24

外出(1)






「ぁーう」


 ひらひらと舞う様子を目で追いかけ、小さな指先を広げて空に手を伸ばす。

 その姿を見てシャーロットは微笑んだ。


「蝶々よ、クリストファー」

「うー」


 芝生の上に座り、手を高く伸ばすけれどその上を飛んで行く蝶に、クリストファーは不満そうに唇を尖らせた。

 そんな仕草にシャーロットも、周りにいた子守りたちも笑みを零した。


「今日は風が気持ち良いわね」


 少しずつ空が高くなり、薄雲が空を流れるように浮かんでいる。

 シャーロットは天気が良い日は、ほぼ毎日クリストファーを庭へ連れて遊ばせた。

 屋敷内の庭は主であるレジナルドの意向なのか華美な造りはしていないが、庭師が丁寧に手入れをしており、中庭の芝生でボールを持ってきて遊ぶこともできる。

 クリストファーはもう蝶のことから興味は他に移ったのか、子守りたちと笑っていた。


 シャーロットはその姿を見つめて、遠い記憶の中にある弟の姿を重ねた。

 まだシャーロット自身も幼かったころ、細い腕で抱き上げてよく遊びに連れて行った。

 子供とは無邪気なもので、弟を腕に抱きながら町中を駆けまわっていたものだ。

 仕事をしていた両親に代わって、一日中子守りをするのがシャーロットの役目だった。

 でも、今目の前にいるクリストファーは、記憶の中の弟よりも少し大きい。

 クリストファーは先日一歳になった。

 誕生日には屋敷でお祝いをして、本人はまだその意味も分からないだろうが、楽しそうにはしゃいでいた。

 クリストファーの成長を喜ばしく思いながら、シャーロットは人知れず心の奥底が重くなっていくような苦しみを感じた。

 本当ならば、隣で祝っているのは姫君のはずだ。

 自分ではないという真実が、目の前の幸せな光景を見ながらも背後で疎外感を払うことができず、重石のように心に沈んでいった。

 時がたてばこの引っ掛かりは消えるのだろうか、そんな希望にも似たようなことを抱く。


「ぁーま!」

「どうしたの、クリストファー」


 クリストファーの呼ぶ声にシャーロットは視線を向けると、その側に先ほどの蝶なのか再びひらひらと舞っていた。


「戻ってきてくれたのかしら?」


 一歳を過ぎて徐々に歩くようにもなってきたクリストファーは、立ち上がって体を左右に揺らしながら進みだすが、二歩進もうとしたところで蝶の方が先に行ってしまった。

 蝶は高く昇っていくと、気紛れに舞っては屋敷の塀を越えて消えていく。

 クリストファーはシャーロットの袖を引っ張るとその方向へと示した。


「クリストファー、どうしたの? あなたも外へ行きたいの?」

「あーぅ」


 そうだと言わんばかりに頷くクリストファーに、シャーロットは困り果てる。

 シャーロットはこれまでクリストファーを外へ連れて行ったことがなかった。

 元々この国の出身でないため、連れて行く先がなかったのだ。

 そんなシャーロットに子守りが声をかける。


「奥様。近くには公園もあります。お散歩だけでも、坊ちゃまは喜ぶのではないでしょうか?」

「公園ですか……。危なくはないでしょうか?」

「治安は悪くありませんので、警護の騎士をつければ大丈夫でございます」


 貴族の屋敷には私設の騎士もおり、家族が出かける際には護衛として同行する。

 シャーロットは、蝶の飛んで行った先を見つめるクリストファーを見て、レジナルドに願い出てみようかと考えた。







 いつからだったか確かな日にちは覚えていないが、夫婦の寝室でレジナルドの帰りを待つようになった。

 貴族は夫婦別の部屋を持っており、最初の頃はレジナルドが早く帰宅して夕食を共にした後などに声をかけていたのだが、帰宅が遅いことも多いために寝室で休んでいるように促された。

 先に眠っていて良いと言われているがやはりそんなことは出来ず、シャーロットは起きて待ちながらも時にはうつらうつらとしてしまい、扉の開く音で目を覚ますときもある。

 毎夜、肌を合わすわけではないが、その日にあったことやクリストファーのことを少し話したりして、一緒に寝台で眠るということがもう習慣のようになった。


 その夜、寝室にレジナルドが訪れると、シャーロットは昼間に考えていたことを切り出した。


「あの、旦那様。お願いがあるのですが……」

「願い?」


 レジナルドはその言葉を聞いて、少し驚いたような表情をした。

 それはシャーロットが今まで何かを望んだことが一度もなかったためで、珍しいともいえるほどだった。

 レジナルドはシャーロットを椅子に促すと、自身もその向かいに腰を下ろした。


「クリストファーを連れて、屋敷の外へ外出してもよろしいでしょうか?」


 シャーロットの言葉を聞いて、レジナルドはわずかに眉根を寄せた。

 女性のねだるものといえば、服や宝飾品などというものが一般的で、その類ではなかったため驚いた様子だ。


「外出?」

「はい。天気が良いときは庭で遊ばせているのですが、他のところへも連れて行きたいと思いまして……」


 シャーロットは控えめな声でそう願い出た。

 だが、レジナルドが手を口元に当てて何かを考えるように無言になったため、良くなかったのだろうかと不安が込み上げてくる。

 クリストファーを外でも遊ばせたいと思ったが、差し出がましい真似だっただろうかと心配になり、発言を撤回した方が良いだろうかと考えていた時、レジナルドが口を開いた。


「分かった。休みを調整しよう」


 しかし、レジナルドからの返答がシャーロットの予想もしていないものだったことに、思わず目を瞬かせて凝視した。


「旦那様もご一緒されるのですか……?」

「おまえたちだけでは危ない」


 もちろんシャーロットとクリストファーだけで外出するわけではなく、侍女や子守りも付き添うので実際に二人だけという意味ではない。

 それに警護の騎士をつけて貰えれば大丈夫だと、昼間の子守りの言葉で思っていたシャーロットは、レジナルドが自ら同行するということに恐れ多さすら感じた。


「けれど、お忙しいのでは……」


 忙しい身であることはシャーロットもよく知っており、手を煩わせることを心配したが、レジナルドは首を横に振った。


「いや、思えば一度も外へ連れて行ったことがなかったな。おまえに任せきりにしてすまない」

「そんな……、勿体ないお言葉です」


 労わるような言葉に、シャーロットはむしろ申し訳なさを感じる。

 最近のレジナルドは時間があるときには子供部屋にも訪れ、クリストファーと接する時間を作るようにしており、何も子供のことに無関心だったわけではない。

 子守り任せにせずクリストファーの面倒を見ているシャーロットが、まだこの国に慣れているとはいえず、外に出る機会に気づかなかったことは、多少思慮が不足してはいただろうが。

 レジナルドは日程を決めてまた伝えるとシャーロットに告げた。

 少し予定とは違ったが、無事にレジナルドから外出の許可を得られたことにシャーロットは安堵し、目の前に差し出された手を取って寝台へと移動した。







 数日後、シャーロットは家令から外出の件について聞かされた。


「来週末に、郊外の森へ行くご予定とのことでございます」


 けれどその報告を受けて、自分が考えていたよりも大きなものになったことに驚いた。

 クリストファーを連れて少し違う景色を見せたいくらいに考えていたものが、レジナルドも同行して森まで行くということに、もはや散歩とは言えない外出になった。


「あの、旦那様はお忙しかったのでは……」

「調整は問題なくできております」


 有能な家令は丁寧な口調でそう告げるが、シャーロットが尋ねたかった意味まではくみ取ってくれなかったらしい。

 レジナルドに無理をさせてしまったのではないかと不安になるが、もう日まで決まっているので、今夜レジナルドが帰ってきたときに改めてお礼を言おうと思う。


 自室に戻ると、一緒に家令からの報告を聞いていた侍女のデボラが慌てて衣裳部屋を確認し始めた。


「急いで服や靴などを用意しませんと」

「ですが、良いのでしょうか……?」


 デボラは衣装棚の前で、あれがない、これがないと言いながら足りないものを一つひとつ調べている。

 森へ行くには外用の靴などは必要になるが、そんなにたくさんの物を購入しては出費も大きいだろうと心配するシャーロットに、デボラが少し神経質な声音のまま返事をする。


「旦那様からは、困ることがないように必要なものは全てそろえて良いと、初めに言われております」


 そんな話をシャーロットは今まで知らなかった。

 シャーロットが何も望まなくても、この部屋には服も装飾品も用意されていたから、これまでは足りていたのだ。

 けれどデボラから見ればそうではなかったらしい。


「奥様が何も言わないので、衣裳部屋はいつまでたってもがらがらだったのですから」


 デボラは独り言を零しながらもテキパキと動いた。

 愛想が良いとは言えないが、仕事は抜かりがない彼女に任せれば大丈夫だろうと、シャーロットは笑顔を浮かべて全てを頼んだ。





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