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身代わりの花  作者: 細井雪
本編
6/24

レジナルド(2)





 フレデリックと別れてレジナルドが中庭に戻った時、シャーロットの姿はどこにもなかった。

 周囲にいた使用人に問えば、クリストファーは子守りと一緒らしいが、シャーロットがどこへ行ったかは誰も分からないと答える。

 しばらくすれば見つかるかもしれないが、先ほどのフレデリックとの会話のこともあり、レジナルドは人の輪から抜けて屋敷の周りを捜し歩いた。

 屋敷内へ足を向けなかったのは、シャーロットが自分から中へ入るとは思えなかったからだ。

 徐々に人だかりから離れ、中庭から屋敷の裏手へ進む。

 中庭は贅を凝らした造りをしているが、それに比べれば裏庭は綺麗に整えられてはいるが特に見ごたえがあるわけではなく、刈り揃えられた芝生が広がるだけで賑わっている中庭とは対照的に静かだ。


 そよ風が吹く裏庭の端に、レジナルドはその姿を見つけた。

 シャーロットは細い背を少し丸めて、膝を抱くようにして座っていた。

 視線は庭を眺めているというわけではなく、癖のない髪が時折り風に吹かれて顔にかかりながらも身動きせず、ただ前を向いているだけのようだった。

 レジナルドはその姿を見て思った。

 大人しい性格だ。

 姫君と同じ髪と目の色ながら、華やかだった姫君とは全てが異なる。

 控えめで、自己主張をあまりせず、どんなときも静かに佇んでいる。

 普通の娘だというのが、レジナルドが感じた印象だ。


 子ができたことを姫君の侍女頭から聞かされた日、二人が一緒になることは認められないと伝えられた。

 その代わりに、髪と目の色が同じ侍女を預けるので、生まれてくる子供の母親代わりにするように言われた。

 あの時のレジナルドは姫君と引き離されたことで精神的に沈んでいたこともあって、考えることを放棄していた。

 子供にとって母親は必要でもあるから、決められたことなら受け入れるしかないと、何も考えずその話を承諾した。

 その時にはどんな相手かも知らず、姫君でなければ誰でも良かった。


 シャーロットのことを厭っているわけではない。

 大人しいが、騒がしいことは嫌いなので静かなところは好ましいし、人を惹きつける美貌ではないが柔らかい顔立ちを愛らしいとは思っている。

 けれど、それだけだ。

 それ以上の感情を持つことはなかった。

 フレデリックに言われたように、何の関係もなかった彼女を縛りつけたことを悪く思っている。

 だからこそ何一つ不自由のない生活を用意した。

 それが、シャーロットへの罪滅ぼしだと思っていた。


 レジナルドは視線を落として目を一瞬伏せてから、静かに足を踏み出した。

 芝生を踏む音に気づいたのか、シャーロットが振り返って視線を上げる。


「旦那様……」


 姫君と同じ緑色の瞳に見つめられ、一瞬懐かしさを感じる。

 それを振り払うように視線を反らして、帰ることを伝えた。


「今日は泊まるのでは……?」

「……仕事が残っている」


 本当は本家に泊まるよう言われているのだが、ここではシャーロットはひと時も休まらないだろうと思い、レジナルドはそのまま自邸へ戻ることにした。

 シャーロットは短い返事をして後ろをついてくる。

 大人しく従順で、レジナルドに異を唱えたことは一度もない。

 けれど、縋ることも一度もなかった。

 一人でここにいたのも、居場所がなくて人の輪から抜けてきたのだろう。

 決してレジナルドに甘えることはない。

 もしかすると、縋ることのないそれこそが拒絶の意味だろうかと、レジナルドはそんな風に思った。

 突然周囲から決められたこの婚姻は、彼女にとっても不本意だったはずだ。

 けれど、シャーロットから憎しみや嫌悪といった感情を感じたことはなかった。

 向けられるのは、控えめにほんの少し伺うような視線だ。

 少し後ろを遠慮がちについてくる様子に、レジナルドは足を止めて振り返った。


「……手を」


 細い手を引き寄せて腕に回させる。

 そうすると、どこか安堵したような表情を浮かべるシャーロットを、レジナルドは不思議に思っていた。

 自ら一歩引いて距離感を持ちながら、手を引けば安心したようにする。

 意に沿わない婚姻だっただろうに、そうするシャーロットの心の内が分からなかった。







 帰宅した自邸で眠っていると、レジナルドは不意に目を覚ました。

 静寂さから目覚めるにはまだ早い頃だと分かる。

 寝返りを打とうとして、寝台の中にシャーロットの姿がないことに気づいた。

 しばらくは眠気も戻らず起きていたが、シャーロットが戻ってくる様子はなく、レジナルドは寝台から下りるとガウンを羽織って部屋を出た。

 廊下には見回りをしていたらしい使用人がいて、主の姿に驚いて足を止めた。


「あれはどこにいる」

「奥様ですか? 奥様でしたら……」


 返事を聞いて、レジナルドはその場所へ足を向けた。

 こんな時間なので人の気配はなく静まり返っており、灯りを持った使用人を伴って暗い廊下を進む。

 少し離れた先に着くと、音を立てず微かに扉を開いた。

 その隙間から、柔らかい声が漏れてくる。


「――よしよし、よしよし……良い子ね」


 部屋の中にはシャーロットの姿があった。

 その腕にはクリストファーが抱かれていて、ゆっくりと揺れながら小さな背を撫でている。

 クリストファーは少し泣くような声を漏らしていたが、しばらくすると穏やかに落ち着いてきた。


「お休みなさい、可愛い坊や……。いい夢を……」


 シャーロットがクリストファーの額にそっと唇を落とす。

 そんな光景を、レジナルドはわずかに開いた扉の外から、少し驚いた気持ちで見ていた。

 通常、貴族の子どもは子守りが面倒を見る。

 当然この屋敷にも子守りがいる。

 親は子どもが泣いたからと呼ばれることも、ましてや腕の中であやすこともしない。

 レジナルドの記憶の中にも、両親の腕にあやされた思い出はなかった。

 音を立てないように静かに部屋の扉を閉めて、レジナルドは使用人に尋ねた。


「……こういう事は、よくあるのか?」

「毎晩ではございませんが、坊ちゃまの具合が良くないときや、夜泣きした時などはご様子を見にいらっしゃいます」


 屋敷のことは家令が把握しているが、問題がなければ彼の判断で対処する権限を与えている。

 シャーロットが夜中にクリストファーをあやしに子供部屋へ行くことは、きっと家令の判断で報告はしなかったのだろう。

 シャーロットが自由にすることの許可を出したのもレジナルド自身だ。


「今日は昼間に大勢の人と会って緊張していたようで、寝つきが良くないかもしれないと奥様がおっしゃっていたのです。それで様子を見にいらして……」


 その言葉を聞いて、レジナルドはクリストファーが昼間に出かけたことで緊張していたことを初めて知った。

 クリストファーはどちらかといえば大人しい子供で、馬車の中でも泣いたりすることはなかった。

 だが、普段から接しているシャーロットはそれに気づいていたのだ。


「あ、あの、旦那様……」


 やや不安がった声がかけられる。

 その意味を感じ取り、レジナルドは首を横に振った。


「私が来たことは伝えなくていい」


 子守りに任せないシャーロットのことを咎めるかもしれないと案じていたのか、主の言葉を聞いて使用人は安堵した表情を浮かべた。






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