引き出しの中身
シャーロットは隣国で裕福な商家に生まれた。
しかし事故で両親と弟を亡くし、侍女として働くようになった。
たまたま隣国へ遊学に行く姫君の侍女の一人に選ばれ、姫君とレジナルドが深い仲になっていたことなど知らなかった。
いつもと同じように侍女の仕事を終え、部屋へ戻ろうとした時に侍女頭に呼ばれて、重い空気に胸がざわついた。
そこで姫君が身ごもっていることを初めて聞かされた。
そして、同じ髪と目の色をしているからと、この国に留まる姫君の代役を言いつけられた。
王族である姫君は好きな相手と結婚が許される立場ではなく、ましてや異国の貴族の妻など認められるはずがなかった。
それでも、例え自分の手で育てることが叶わなくても、愛した男の子供を生みたいという切なる願いに、周囲の者たちが折れて秘密裏に子供を生むこととなった。
いずれ嫁ぐときに、純潔でないことや子供を生んだことの事実はどうするのだろうかという懸念は、シャーロットが杞憂することではなかった。
実際、シャーロットには詳しいことは何も教えられないまま、身代わりという役目だけを与えられた。
国に家族がいるわけではないから、他の子がこの国に残るよりは自分の方が後ろ髪を引かれずにすむので良かったのかもしれないと思おうとした。
けれど時々故郷の夢を見て寂しくなることもあり、言葉も習慣も似ている隣国同士とはいえ些細な違いに苦労もした。
何よりも、決して漏らしてはいけない秘密を抱えているという重責から、知らない土地で誰にも心を開けなかった。
本来ならば一番に頼るのは夫だろうが、それは叶わない。
レジナルドが愛しているのは、シャーロットではなく姫君だ。
シャーロットは姫君の侍女の内の一人ではあったけれど、お側近くに仕えていたわけではないので、個人的な話をしたこともなかった。
それでも、美しく聡明で、決して身分に驕るような性格ではないことはよく知られていた。
子供と引き離されるときの姫君の泣く声はあまりに悲痛だった。
奪われた姫君。
失ったレジナルド。
身代わりという立場を命じられたシャーロット。
誰もが何かを犠牲にして、ただ望み通りにできなかった立場が、三人の歯車を変えてしまったようだった。
その三つが再び合わさることは一生ない。
なぜならば、国に戻った姫君はあの後しばらくしてから、政略結婚で遠く離れた国へと嫁いだ。
おそらくレジナルドも話は聞いているだろう。
レジナルドの口から姫君のことが出ることは一度もなかった。
シャーロットに気を使っているのか、忘れようとしているのかは分からない。
当然シャーロットから話を聞くことなどできない。
だから、二人の間に姫君の話題が上がることは一度もなかった。
シャーロットは部屋の隅にあるチェストの前に立つと、静かに引き出しを開けた。
引き出しの奥に、目立たない小さな箱がある。
それをそっと取り出して蓋を取ると、中身が残り少なくなっていた。
「デボラさん」
シャーロットがその名を呼ぶと、すぐに侍女がやってきた。
この屋敷で唯一、事実を知る侍女だ。
彼女はあまり表情を変えず、優秀だが淡々と仕事をこなす。
世話をするためというよりは、万が一にでも姫君のことが知られないように監視するために残されたのだろうかと、シャーロットには思えた。
「……いつもの物を、また取り寄せてください」
「かしこまりました」
シャーロットの言葉にデボラは深く頭を下げて退室した。
一人になった部屋の中で、シャーロットは箱の中に目を向ける。
その中身は決して知られてはいけないものだ。
避妊薬。
シャーロットはレジナルドに内緒でそれを飲み続けていた。
体に害をなすこともあると噂で聞くが、それでもシャーロットは避妊薬を飲むことを止めなかった。
理由は一つだ。
レジナルドの子を妊娠しないように。
そのためにシャーロットはかかさずこれを飲み続けている。
レジナルドのことを憎んでいるわけではない。
ここでの生活は恵まれていると思っている。
レジナルドは貴族らしく常に冷静で感情を露わにすることはなく、無表情を浮かべている様子は少し冷ややかな印象を与える。
それでも、共に生活していく中で冷たい人となりでないことを、シャーロットは少しずつ知ってきた。
けれど、愛されていない妻である自分が生んだ子供では、レジナルドに愛されないかもしれないと思った。
ただ髪と目の色が姫君と同じだったというだけの理由で選ばれ、形だけの妻でしかない身だ。
自分は愛されなくても、恵まれた暮らしに感謝して生きていける。
けど、自分が生む子供には愛されない思いをさせたくなかった。
そんな不安から、シャーロットはレジナルドとの子を妊娠することを避けた。
あれから、何度もレジナルドと肌を重ねている。
最初の時はあれほど怖かった行為も、だんだんと体は慣れてきた。
丁寧に扱われている実感はある。
だが、レジナルドが向けるものが夫婦の愛でないことは分かっていた。
寝室以外でレジナルドがシャーロットに触れることはほとんどない。
一緒に夜を過ごすことは、夫婦の務めでしかなかった。
それでも、同じ寝台で一緒に眠ることは許されている。
そのことはシャーロットに大きな安心をもたらした。
行為の後にすぐ自室に戻されれば、自分は何だろうと考えただろう。
もちろん、姫君の代わりだ。
けれど、そう分かっていてもどこかで自分の存在を認めて欲しかった。
愛されなくても、居場所が欲しい。
そんな願いを持ってしまった。
そう思えば思うほど、心が苦しくなりながらも。
そっと小箱の蓋を戻す。
まるで、心にも蓋をするように。
箱を元の場所に置き、静かに引き出しを閉じた。