未来へ(2)
シャーロットは春に娘を出産した。
生まれた子供はアメリアと名づけられた。
「お母様。アメリアを抱っこさせてください」
揺りかごの中を見つめていたクリストファーは、きらきらと目を輝かせてお願いをする。
シャーロットは頷くと、揺りかごの中で笑っている小さな体を抱き上げた。
クリストファーは妹のことがとても可愛いらしく、いつも一緒にいる。
「首を支えてあげるのですよ」
「はい!」
クリストファーは安定している椅子に行儀よく腰かけてから、慎重な手つきで小さな妹を受け取る。
そうして自分の腕の中を覗き込めば、同じ緑色の瞳が嬉しそうに笑い返した。
その二人の姿を見て、シャーロットは昔の自分と重なり懐かしく感じた。
同じように弟を抱っこして、両親が温かいまなざしを向けていた、幸せな思い出だ。
「ここにいたのか」
子供部屋の扉が開く音がして、聞き慣れた声が届いた。
「お父様、お帰りなさい!」
「旦那様。お帰りなさいませ」
「ああ。何もなかったか?」
「はい」
レジナルドはシャーロットとクリストファー、そして腕の中に抱かれた娘を見て表情を和らげる。
子供部屋にレジナルドが訪れると、控えていた子守りや侍女たちは静かに退室して四人だけになった。
シャーロットがクリストファーの時と同じように自分の手で子育てを望むので、子守りたちもあまり介入しすぎないようにしている。
そのため子供部屋で見られる光景といえば、シャーロットがアメリアをあやしている側にクリストファーがくっつき、その周りで子守りたちが見守っているというものだ。
「今日もアメリアと一緒に遊んでいたのか?」
「うん! でもアメリアはいつも眠ってばかりなんだよ。お庭でも一緒に遊びたいのに」
「赤ちゃんはたくさん眠って大きくなるのよ」
クリストファーは妹と一緒に早く庭を駆け回りたいらしい。
あと数年はかかりそうな言葉にシャーロットが微笑みながら言うと、クリストファーは腕の中の妹を見てから視線を上げた。
「ぼくも? ぼくも赤ちゃんのとき、こんなだったの?」
「ええ。たくさん眠って、たくさん泣いて大きくなったのよ」
シャーロットはクリストファーがもっと幼かったころを思い出した。
ついこの間までは小さな足で一生懸命歩こうとして、舌足らずな言葉を何度も繰り返していたのに、子供の成長はあっという間に過ぎてその早さを感じる。
「じゃあ、たくさん眠って早く大きくなって、一緒に遊ぼうね」
クリストファーは妹の丸い頬に頬ずりをした。
二人が庭で遊ぶ姿が想像できて、シャーロットはレジナルドと顔を合わせて微笑んだ。
しばらくそうして過ごしながら、レジナルドがクリストファーの就寝時間が近いことに気づいた。
「クリストファー。そろそろ眠る時間ではないのか?」
「でもまだ抱っこしていたいです……」
「また明日、一緒に過ごせば良い」
「はい……」
言葉とは反対に明らかに残念そうな顔をしているクリストファーに、アメリアを受け取りながらシャーロットは声をかけた。
「明日、お庭を散歩しましょう」
「はい! ぼく早起きするね。お休みなさい、お母様」
「ええ、お休みなさい」
「お父様、お休みなさい」
「ああ。お休み」
シャーロットの提案に機嫌を良くしたクリストファーは、二人に就寝の挨拶をして子守りと一緒に自分の部屋へ戻った。
おそらく明日はいつも以上に早く起きるだろう。
「クリストファーはアメリアに構ってばかりだな」
「良いお兄様をしています」
レジナルドはシャーロットの腕の中に抱かれたアメリアを見つめ、小さな頭をそっと撫でた。
その表情はとても柔らかく、シャーロットは頬を緩ませた。
子を宿したと分かった時、シャーロットは少し不安になった。
自分が生む子をレジナルドが愛してくれるだろうかと。
けれど、アメリアが生まれた日、レジナルドもクリストファーもとても喜んでいた。
何よりもクリストファーは妹ができたことが嬉しいらしく、毎日のようにアメリアの元へ訪れては可愛がっている。
ただ、本家の侯爵夫妻にもアメリアが生まれたことは報告したのだが、事務的な手紙が返ってきただけだった。
いまだ本家とは隔たりがあるが、それでも返事があっただけまだ良かったというべきか、シャーロットはそう思うしかできなかった。
レジナルドが気にするなと言ってくれたことだけは、シャーロットを安心させた。
その時、シャーロットの腕の中でアメリアが瞳を揺らして泣き始めた。
震えるような泣き声が上がる。
「どうしたの、アメリア。お兄様と離れて寂しいの?」
ぐずるように泣くアメリアに、シャーロットは背を撫でてあやした。
小さな手が力いっぱいシャーロットの服を握りしめている。
「良い子ね、可愛いアメリア」
手で包み込むように背を撫でる。
シャーロットの腕の中で温もりに安心したのか、泣き声は次第に小さくなっていった。
それを見つめていたレジナルドは、懐かしい過去の光景が脳裏に蘇り、目の前の姿に重ねた。
「……昔、まだクリストファーがこのくらいの時にもあったな」
「え……?」
「夜中に泣いていたクリストファーをあやしているところを見た」
夜中にシャーロットがいないことに気づいて、子供部屋で幼かったクリストファーを抱いてあやしていた姿を偶然見た夜。
きっとあの夜からレジナルドの心にシャーロットの存在が焼き付いた。
「気づきませんでした……。その時にお声をかけてくだされば良かったですのに……」
覚えがなかったことにシャーロットは気恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いた。
そんな仕草も、あの頃と同じ穏やかさも、変わらないことの安心感というものをレジナルドは初めて知った。
あの時、声をかけられなかった理由が今になって分かる。
幼かった頃に両親にあやされた思い出のなかったレジナルドには、あまりに自分の知らない光景で立ち入ることができなかったのだ。
それが今はこうして隣に並び、家族で過ごすことが日常になっている。
この日々を表す感情をレジナルドは知った。
「愛している」
突然告げられたその言葉に、シャーロットの頬に朱が走る。
多弁でないレジナルドはあまり気持ちを口にすることはない。
それでも、その声は草花が水を吸収するようにすっと浸透していった。
「旦那様、私は幸せです……。とても、幸せです……」
前にレジナルドが幸せにすると約束した言葉は、もう大分前に叶えられているとシャーロットは思った。
肩を抱く優しい手に、この温かさがきっと幸せだというのだろうと、そう感じながら身を預けた。
これにて本編、番外編共にとりあえず完結です。
お付き合いくださりありがとうございました!