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身代わりの花  作者: 細井雪(雪)
番外編
22/24

未来へ(1)





 空には雲一つない快晴が広がっている。

 咲いている花を何本か切って屋敷の中へ運び、花瓶に生けて日当たりの良い窓際に飾った。


「奥様、お茶のご用意ができました」

「はい」


 花の位置を直しているとデボラの声がかかり、シャーロットは返事をして使っていた鋏を片づけた。

 デボラが気を利かして椅子を窓の方向に向かい合わせ、生けたばかりの花を見ながら座る。


「今年も綺麗に咲いてくれました」


 差し込む太陽の光を受けて白く輝く花を見つめて微笑んだ。

 シャーロットの好きなこの白い花が庭に植えられて、毎年徐々に増えて今では庭中が白く彩られている。


「来たばかりの頃に比べて、だいぶ変わりましたね」

「そうですね」


 デボラの言葉に頷きながら、シャーロットは懐かしい記憶を思い起こした。

 この屋敷に来て、もう五年がたつ。

 姫君の代わりとして、一日中気を使い人目を気にしてばかりいたあの頃。

 全てが用意されていた恵まれた環境ではあったけれど、自分の好みや望むものを申し出ることはできず、自室であっても落ち着くことはできなかった。

 それが今ではこうして好きな花が周囲に溢れ、毎日が穏やかに過ぎていく。

 そんな今の暮らしをシャーロットは心から感謝した。


「奥様、お茶をどうぞ」

「ありがとうございます」


 デボラが入れてくれたお茶を口元に運ぶ。

 いつも飲んでいる甘い香りが漂う。


「……っ……」


 けれど、いつもと同じ香りのはずなのに、なぜか違和感を感じて眉をひそめた。

 カップを急いでテーブルに戻そうとして食器の当たる音が響く。


「奥様っ? いかがされましたか!?」


 その様子にデボラが驚いて声を上げる。

 シャーロットは吐き気を感じて口元を抑えた。







 診察が終わるのを待っていたレジナルドは、出てきた医師の診断を聞いて頷いた。

 家令に医師の見送りを託し、少し急ぎ足で部屋の中へ入ると、シャーロットは寝台の上で身を起こしていた。

 付き添っていたデボラは主に一礼して部屋を出ていき、二人っきりになる。

 レジナルドは寝台の側に近づき、シャーロットに声をかけた。


「あまり無理をせず、体を大事にしろ」

「はい」


 レジナルドの声はとても穏やかで、シャーロットは小さく頷くと、そっと自分の腹部に手を添えた。


「私と旦那様の子が……」


 服の上からゆっくりと撫でる。

 見た目には何も変わらないように思えるが、医師に子を身ごもっていることを告げられて、不思議な感じがした。

 視線を落とすシャーロットを、レジナルドは側で見つめる。


「不安か?」


 レジナルドが尋ねると、シャーロットは少しだけ息を止めた。

 一瞬戸惑ったように揺れた瞳は、心の奥底の小さな気持ちを表しているようだった。


「申し訳ございません……。旦那様を疑っているわけではないのです……」


 シャーロットは謝罪の言葉を口にした。

 その声が少し震えている。


 レジナルドはシャーロットを大事にしている。

 それはシャーロット自身でも実感できるくらいに、今では男女の愛情を向けてくれている。

 けれど、自分から生まれては愛されないかもしれないと何年も思っていた不安は、シャーロットを簡単にその呪縛から解放せず、ほんの微かだがしこりのように残っていた。

 そんな風に抱いている小さな猜疑心が、これほどにも良くしてくれているレジナルドを信用していないようで、ますますシャーロットの心をさいなむ。


「大丈夫だ、分かっている。不安を隠そうとするな」


 シャーロットが何年も一人で不安を抱え込んでいたことを知っているレジナルドは、そう思ってしまうシャーロットを優しく抱き寄せた。

 温もりにシャーロットの顔の強張りが微かにやわらぐが、レジナルドのそんな優しさに余計に申し訳なさも感じた。

 それでも、不安だけではないということを伝えたくて、シャーロットはレジナルドを見上げた。


「あの……。けれど、喜びもあるんです……」


 シャーロットを抱き寄せたまま、レジナルドは言葉に耳を寄せた。


「ここに、旦那様との子がいると知って、とても嬉しいんです……。本当に、とても……」


 シャーロットはまだ目に見える変化はないお腹をゆっくりと撫でた。

 不安もあるが、嬉しいのも事実だ。

 この喜びと幸せをどうすれば伝えられるのだろうか、思いを言葉にできないもどかしさを感じていると、シャーロットの手の上にレジナルドが手を重ねた。


「私もだ。おまえと、子が無事に生まれてくることを願う」


 重ねた細い手を優しく握りしめる。

 レジナルドは抱いていた肩を引き寄せると、そっと口づけをした。

 その温かさに、シャーロットの瞳に涙が浮かんだ。


 部屋の扉をノックする音が聞こえる。

 レジナルドが声をかけると、クリストファーが顔を覗かせ、側に付き添っていたデボラが説明をした。


「坊ちゃまが心配されていましたので」


 レジナルドが頷くと、デボラはクリストファーを中に促して外から扉を閉めた。

 クリストファーは寝台の側へと駆け寄る。


「お母様、ご病気なの?」


 以前にシャーロットがしばらく伏せっていたときのことを思い出したのか、その表情はひどく不安げだった。

 医師が来ていたこともあって、病気なのかと心配になったらしい。

 レジナルドはクリストファーの体を寝台の上へ持ち上げると、シャーロットの側に座らせた。


「病気ではない。おまえの弟か妹が生まれるんだ」

「ぼくの?」

「そうよ」


 レジナルドの言葉を聞いたクリストファーは、丸い目でシャーロットを見上げた。

 シャーロットも肯定して頷く。

 その瞬間、クリストファーは目も口も大きく開いて輝くような笑顔になった。


「本当っ? ぼく、いっぱい可愛いがってあげる!」


 クリストファーは二人が驚くほど興奮した面持ちで喜んだ。

 いつ生まれるの、と気の早いことを尋ねてきて、シャーロットは思わず笑いを零す。

 クリストファーがこんなにも誕生を楽しみにしていることが、不思議なくらい心に染み渡り、シャーロットの不安を一気にかき消すようだった。


「やはり、クリストファーには勝てないな」


 二人を見つめていたレジナルドは、珍しく破顔してそう言った。

 決してレジナルドのことを信用していないというわけではなく、シャーロットの中でクリストファーの言葉はとても大きい。

 最初の頃に、心細かったシャーロットの心のより所になったのはクリストファーであり、大切に育てていこうという思いが、故郷を離れ一人だったシャーロットに前を向いて生きていく力をくれた。

 クリストファーが喜べばシャーロットも嬉しかった。

 そんな二人のやり取りを、レジナルドもまた温かく見つめている。


 おめでたい話は屋敷中に伝わり、祝福に包まれた。






シャーロットにとってクリストファーは息子であり亡くなった弟のようでもあるので二倍可愛いです。


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