離縁(3)
「なぜ、避妊薬を飲んでいた」
その言葉にシャーロットの喉がひゅっと悲鳴を上げた。
その反応が、避妊薬を飲んでいたことが事実であると表していて、いまだそれを疑いたかったレジナルドの僅かな希望を打ち砕いた。
「……私の子を身ごもることは、それほど苦痛だったか」
レジナルドの言葉はどこか重苦しい。
結婚している夫婦でありながら避妊薬を用いてまで妊娠を避けていたことは、一般的に不貞と責められかねない。
だが、レジナルドはシャーロットを責めるつもりで訊ねたわけではなかった。
「おまえを勝手な事情で妻にしたことは、すまなかったと思っている」
身勝手な理由で婚姻を結んだ経緯を考えれば、子を望まない心理も理解できなくはなく、そこまで辛い思いをしていたシャーロットにレジナルドはむしろ罪悪感を覚えた。
「だが、あれは体に負担をかけるという噂もある。おまえが嫌ならば決して触れない。だからあれはもう飲むな」
その言葉にシャーロットは首を横に振った。
「違います……っ、嫌だったわけでは……」
「無理をしなくて良い。おまえに非はない」
「違うのですっ……」
まだ体調も整っていないのに起き上がろうとして、シャーロットの体がぐらりと傾いた。
それをレジナルドの腕が支えるが、シャーロットの心情に配慮しているのか、触れ方はどこか他人行儀なほど丁寧だった。
「落ち着け」
レジナルドの声は冷静で、それがシャーロットには余計に不安で何度も首を横に振る。
違うと、何度目かの同じ言葉を口の中で繰り返し、添えるだけに留まるレジナルドの腕をつかんで胸の内を叫んだ。
「不安だったのです……っ」
張り上げた声は、喉が切れるような痛みを感じた。
それでもシャーロットは言葉を止めなかった。
「もし……私が子を宿しても、私が生んだ子を愛してもらえるか不安だったのです……。私から生まれたために、愛されない不幸を背負わせたくなくて……」
レジナルドが驚いたような瞳でシャーロットを見る。
おそらく、そんなことを考えていたなどと、思ったこともなかったのだろう。
「……なぜ、おまえから生まれて愛されないなどと、そんな風に考えた」
動揺が滲んだ声音で訊ねる。
シャーロットは一息にしゃべり続けて喉が痛みで震えていたが、息を吸い込んでぽつりと零した。
「私は、愛されて妻になったわけではありません……。……姫君の、代わりでした」
レジナルドが目を見開く。
シャーロットの口から姫君のことが出たのは、これが初めてだった。
レジナルドも話に出すことはなかった。
そもそも二人が夫婦となった経緯に、姫君の存在は不可欠なのに、まるで波風を立てないように故意に話題から避けてきたところはある。
だから、この三年近く夫婦として共にいながら、今まで互いの溝が埋まることはなかったのだろう。
だが、レジナルドはシャーロットの言葉の中に違和感を覚えた。
シャーロットが姫君側の侍女頭から姫君の代わりとして用意されたことは、否定できない事実だが。
「おまえを愛していないわけではない」
悲しみを滲ませてそう零したシャーロットの言葉を否定する。
しかし、レジナルドを見上げるシャーロットの瞳には困惑の色が含まれていた。
レジナルドは愛し合っていた姫君と引き離されたのだ。
その二人の間に割って入った自分が愛されることなんて、決してないだろうとシャーロットは思っていた。
「彼女を妻にできないことは初めから分かっていたから、代わりの妻にするよう言われて、確かにそれを受け入れた」
レジナルドの言葉に、シャーロットは胸が潰れるような思いになった。
妻にできないことを分かっていても、抑えきれないほどの思いだったのだろうと。
思いを想像すれば胸が痛くなるが、自分にはそんな資格はないのだと感じ、シャーロットは顔を伏せた。
そんなシャーロットの頬をレジナルドの手が触れ、静かに上を向かせた。
「形式的には彼女の代わりとして妻にしたが、おまえを代わりだと思ったことは一度もない」
それは、聞き方によっては都合のいい言い訳のようにも感じられるだろう。
けれど実際にレジナルドがシャーロットを姫君の代わりとして扱ったことは一度もなかった。
屋敷の人々はきちんとシャーロットを女主人として敬い、レジナルドは振る舞いを強制することはなく自由を許し、夜を共にした時もシャーロットの名前を呼ぶ声は温かかった。
こうして真っ直ぐ見つめる瞳には、いつもシャーロットを映していたのだ。
「おまえの控えめな性格や、穏やかな笑顔を見ていると心が落ち着く。初めてそんな気持ちになった」
レジナルドの手が優しく頬を撫でる。
そっと、宝物に触れるかのように丁寧に。
「両親が離縁の話で来ただろう?」
シャーロットは一瞬言葉に詰まり、小さく頷いた。
「はい……。けれど本当は、昨年本家で話しているところを聞いて知っていました……」
「ずっと知っていたのか」
「いつ、離縁を言い渡されるのだろうかと、そればかりを考えていました……」
「なぜ一人で抱え込んで……いや、そうさせたのは私の責任だな」
レジナルドは言葉を止めて、まるで自分に言い聞かせるように苦々しく零すと、シャーロットを抱き寄せた。
「両親に何を言われようと、私はおまえと離縁するつもりはない」
レジナルドの目に見えないところで、シャーロットが小さく息を飲んだのが、引き寄せた肩口に伝わった。
両親とはいえ、当主の命令は絶対だ。
それを拒むことはレジナルドといえど難しいだろう。
「おまえとクリストファーのいる暮らしを失いたくない」
「っ……」
クリストファーとレジナルドと一緒にいる時が思い浮かぶ。
あの穏やかで幸せだと思えていた日々を、レジナルドも同じように感じていたのだと思うと、それがシャーロットには嬉しかった。
「クリストファーを共に育てるのはおまえが良いと思っている」
「旦那様……」
たとえ血は繋がらなくても、クリストファーの母親でいたいと願った思いが、まるで肯定されたように感じた。
「クリストファーのためだけではない。私にも、おまえが必要だ」
レジナルドの腕がいっそう力強くシャーロットを抱きしめる。
低い声が耳元を撫で、シャーロットの唇が震えた。
「けれど、私は姫君のような美しさも気品も……」
「私にはおまえの穏やかな笑顔も、優しさも、全て大事だ」
姫君と比べるのではなく、自分自身を見てくれる言葉に、シャーロットは目元が熱くなった。
姫君の代わりでなくて良いのだ。
もう、身代わりでなくても。
「これからも、側にいて欲しい」
背中に感じる力強い温もりと言葉に、シャーロットは溢れる涙を止めることができず腕の中で零した。