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身代わりの花  作者: 細井雪
本編
13/24

思い出の





 本家で離縁という言葉を聞いたときから、いつそのことを突きつけられるのだろうかと、シャーロットは不安に襲われながら過ごした。

 けれど、シャーロットの心配をよそに、日々は何事もなく穏やかに過ぎていき、季節が移ってもレジナルドは何も告げてこなかった。

 まるであの日の話は夢であったのだろうかとさえ思える。

 けれど、それが夢でないことを知っている。

 日に日に不安は募り、まるで毎日が処刑台に向かう一歩のようにさえ感じられた。

 毎晩、眠りに落ちる前に今日も一緒に過ごせたことを安堵し、朝起きるたびに今日は大丈夫だろうかという不安を覚える。

 いつか来る別れの時に怯え続けた――。







 机に向かったまま、シャーロットは溜息を零した。

 ペンを持った手は先ほどから進まない。

 その側には手紙が広げられたままで、送り主には友人のイレインの名前が記されている。

 先日シャーロット宛に届いた手紙の内容は、自宅へ招きたいということだった。

 前に夜会で会った時の約束を覚えていてくれたことを、シャーロットは嬉しく感じた。

 けれど、その返事をもう何日も書けずにいる。

 この国で初めて仲良くなれた友人の家へ招かれたことは嬉しいが、会う約束をして果たしてその頃に自分はこの屋敷にいるのだろうかと思い悩んでいた。

 返事を書こうとして何度も机に向かっているのに、一向に手は進まない。

 無意識にため息が再度零れて、結局シャーロットはペンを置いた。

 その時、部屋の扉をノックする音が聞こえて振り返った。


「おかあさま」


 廊下から呼ぶ声が聞こえて、シャーロットは椅子から立ち上がり扉を開くと、クリストファーがデボラと一緒にいた。


「クリストファー、どうしたの? お庭で遊んでいたのではないの?」

「あめ、ふってきたよ」

「え? あ……いつの間に……」


 クリストファーの言葉で窓の方を見れば、それほど強くはないが雨粒が落ちていた。

 手紙に気を取られていて、雨が降り出したことにも気づかなかった。


「今日はもうお部屋の中で遊びましょうね。本を読みましょうか」

「では、温かいお飲み物を用意しましょう」

「お願いします。少ししてから下へ行きます」


 デボラは飲み物を用意しに厨房へと向かった。

 クリストファーはシャーロットと一緒に行くと言って残ると、きょろきょろと部屋の中を興味深そうに見回している。


「片づけるから、少し待ってね」

「うん!」


 シャーロットは机の上の手紙を取ると、結局一文字も返事が書けなかったまま片づけた。

 その拍子に、側に置いてあった物がひらりと机から舞い落ちる。


「あ……っ」


 慌てて手を伸ばして拾う。

 それを見て、ほっと安堵の息を零した。

 まるで壊れ物を持つかのように大切にとったそれは、押し花の栞だった。

 初めて遠出をしたあの日、レジナルドから貰った白い花だ。

 枯れてしまうことがもったいなくて、長く残したいと思った。

 だから、綺麗に形を整えて、丁寧に乾燥させ、押し花にしてあの日の思い出を閉じ込めた。

 そうしていつも身近に持てるようにと栞にして、本を読むたびに手に取り、あの日を思い出して嬉しくなった。

 目を細めて栞を見つめる。


「おかあさま?」

「あ……。お茶が冷めてしまうわね……。行きましょうか」


 クリストファーに袖を引かれて、シャーロットは現実に戻った。

 手紙と一緒に重ねて机の引き出しへとしまう。


「あのほんがいい!」

「お誕生日に、お父様から頂いた本?」

「うん!」

「あの本が気に入ったのね」


 クリストファーは二歳の誕生日にレジナルドから貰った本をとても気に入ったようで、繰り返しよく読んでいる。

 きっと、本が好きなこと以上に、父親から貰ったことが嬉しいのだろう。


「クリストファーは、お父様が大好きね」

「だいすき!」


 クリストファーは満面の笑みで頷く。

 その素直な仕草が愛らしくてシャーロットも微笑むと、クリストファーが再び袖を引っ張った。

 どうしたのだろうかと思いながら身を屈めると、クリストファーは小さな自分の手を口元に添えて耳元へと近づいた。


「おかあさまも、だいすきだよ」


 嬉しそうに、けれど少し照れたようにそう言ったクリストファーに、シャーロットは息を止めて見つめた。


「私も大好きよ……」


 クリストファーは白い頬を赤くして嬉しそうに笑った。

 その笑顔を、シャーロットは真っ直ぐに見つめた。

 瞼に焼き付けたい。

 そう思った。







 夜になっても雨は止むことなく、静かな音が続く。

 雨のせいだろうか、肌寒さを感じてシャーロットがシーツの中で身を丸めたとき、背に腕が回され引き寄せられた。

 温かな体温に視線を上げれば、暗闇に慣れた視界の中でレジナルドと目が合った。

 レジナルドの手が背を引き寄せ肩を抱く。


「寒いか?」

「いえ……」


 腕の中でシャーロットは首を横に振ったが、レジナルドはもう片方の手でそっと細い手を取った。

 重ねるとその大きさは明らかな違いがあり、シャーロットの手は埋もれてしまう。

 レジナルドは力を込めず手を握りながら、細い指先を撫でた。


「冷えている」

「あ……。冷え性なので……」


 寒くなればいつも指先が冷えるのは昔からで、もう慣れてしまって自分では冷えていることにも気づきにくかった。

 けれど、こんな冷たい手に触れていては、レジナルドが冷えてしまうのではないだろうかとシャーロットが心配したとき、思いがけない言葉がかけられた。


「去年も、そうだったな」


 その言葉にシャーロットは僅かに目を見開く。

 シャーロットが自分から、指先が冷えると言ったことは一度もない。

 レジナルドは口数が少なく、表情もあまり変わらないため心の内を読み取ることは難しいが、それでも気づいて一年前のことを覚えていてくれたことに、シャーロットは目頭が熱くなって顔を埋めた。


「シャーロット」


 レジナルドはシャーロットの手を握ったまま持ち上げると、指先に唇を押し当てた。

 温かな吐息が触れ、そこからじんわりと熱を帯びるようだった。


「手紙が来ていただろう。まだ返事をしていないと聞いた」

「あ……。お茶に誘われて……」


 郵便物を出すときは家令に託すので、シャーロットが返事を出していないことは主であるレジナルドにはすぐ伝わっているのだろう。

 イレインから貰った手紙にはまだ返事を書けていなった。

 すぐに返さなくては失礼になると分かりつつ、その日までいられないかもしれないと思うと、不確かな約束をすることが怖かった。


「楽しんで来れば良い」


 レジナルドの声が指先にかかる。

 それまでいても良いのだろうかと、そんな思いが込み上げた。

 けれど聞けるはずもなくて、腕の中で小さく頷いた――。







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