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身代わりの花  作者: 細井雪
本編
12/24

二度目の本家(2)






「――離縁しろ」


 扉の向こうから聞こえてきた言葉に、シャーロットは伸ばした手をびくりと止めた。

 侯爵夫妻を呼びに扉をノックしようとしたときだった。

 中から聞こえた声は確かに侯爵のものだ。

 立ち尽くして扉を見つめていると、次に聞こえてきた声で侯爵が誰と話しているのか分かり、息を止めた。


「彼女は向こうと決めて妻にしたのです」


 それはレジナルドの声だった。

 シャーロットの血の気が一気に引いてゆく。

 侯爵夫妻に良く思われていないことは分かっていたが、離縁を求められるほど受け入れられていなかったことに、指先まで冷たくなっていく。

 心臓の音がまるで警鐘のようにうるさく響いているのに、微動すらできずその場に立ち尽くした。


「もう二年たちました。十分でしょう」

「こちらで勝手に決められません」


 夫人の声も聞こえる。

 シャーロットが妻としてこの国に残ったのは、姫君側の侍女頭が促したからだ。

 だが、それはあくまで表面的なもので、実際にはレジナルドと姫君側にはすでに交流はなく、一方的に反故にしても知られることはないだろう。

 そして、それをできるだけの力が侯爵家にはある。

 今まで従っていたように見せかけて、いつか離縁させるつもりでいたのだろうか。


「クリストファーもまだ小さいです」


 レジナルドの言葉に、シャーロットははっと顔を上げて扉を見つめた。

 クリストファーはもうすぐ二歳になる。

 まだ母親が必要な年齢だ。


「離縁してきちんとした家柄から正しい妻を娶れば良い。後妻ならば子供がいても問題にはならん」


 侯爵の言葉はシャーロットの心を潰すような衝撃があった。

 正しい妻。

 まるで、シャーロットが間違った妻のような言葉だ。

 だが、身代わりの自分では、妻として母親としては不十分なのだろうかと、シャーロットは感じた。


 重い足をひきずるように動かしてその場から立ち去った。

 だが、あれほど重いと感じていたはずなのに、まるで床を踏んでいないように感覚がなく、倒れてしまいそうで壁に寄りかかった。

 廊下の向こうに使用人の姿を見つけて呼び止める。


「あの……侯爵様にお客様がお見えになったことを伝えてください……」


 本家の使用人達は侯爵夫妻の方針なのか一切余計なことは言わず、シャーロットの伝言を短く頷いて受けた。


 シャーロットはその場から逃げ出して外へと出ると、力が抜けて芝生の上に座り込む。

 喉の奥が鳴り、上手く息が吸えない胸を手で押さえつけた。

 動悸と震えが収まらない。


 当主である侯爵の命令は絶対だ。

 命じられれば身一つで去らなければならないだろう。

 シャーロットは姫君の侍女頭が決めただけで、レジナルドが望んだわけではない。

 きっとレジナルドもこの命令に異論はないはずだ。

 シャーロットはレジナルドの姿を思い浮かべた。

 その口から離縁という言葉が出ることを想像するだけで、胸の奥が締め付けられる。

 その時だった。


「――シャーロット」


 名を呼ぶ声に、思わず背を震わせて立ち上がった。

 振り返るとレジナルドの姿があり、見た瞬間に先ほどの話が頭を巡り、シャーロットは覚悟して手を強く握りしめた。

 手の内側に爪が食い込む。

 だが、レジナルドは厳しい顔つきのままシャーロットに近づくと、その手を性急に取った。


「ここにいたのか。帰るから準備をしろ」


 レジナルドはシャーロットの手を引いて踵を返す。

 速足のレジナルドの背を追う間、シャーロットは何も言えず、どう聞いて良いのかも分からずに、ただその後ろをついていくしかなかった。

 中庭へ戻ると侯爵夫妻の姿もすでにあり、その姿を見てシャーロットは体を強張らせる。

 レジナルドは表情を変えることなく、シャーロットを連れて侯爵夫妻の前へ立った


「今日はこれで失礼します」


 レジナルドの言葉に、侯爵夫妻は顔を歪める。

 そしてその視線がシャーロットへと向くと、先ほど聞いてしまった会話が蘇って、目も合わせられないまま頭を下げた。


「し、失礼いたします……」


 だが、シャーロットの言葉を聞くことなく、侯爵夫妻は背を向けた。

 それを見た周囲がざわつく。

 人目につく場所でこうした対応は、当主がシャーロットを認めていないことを公言したことと同じだ。

 レジナルドは一瞬眉をしかめたが、隣で青ざめているシャーロットを見て肩を引き寄せた。

 震えているシャーロットを支え、近くにいた使用人にクリストファーを連れてくることを命じて馬車へと向かう。

 その間中、シャーロットは力が入らずレジナルドに身を傾けたままだった。

 馬車へと乗り込んでもシャーロットは寄りかかったまま微動だにせず、レジナルドは顔を覗き込んで頬に触れた。

 その瞬間、シャーロットの肩がびくりと大きく震える。


「大丈夫か?」

「あ……、も……もうしわけ……」


 歯の根が合わずうまく言葉が紡げない。

 レジナルドは不安げに瞳を揺らすシャーロットを見つめ、血の気のない頬を手の平で包んだ。


「気にしなくて良い」


 その言葉と共にシャーロットの頭に手を回すと、胸の中に引き寄せた。

 きっと、シャーロットが震えている理由を、侯爵夫妻の対応のことだけだと思っているだろう。

 離縁の話を聞いていたなんて思ってもいないはずだ。

 なぜそれを言い渡されないのか理由は分からなかったが、シャーロットは引き寄せられた胸の中に顔を埋めて、広い背中に手を伸ばして抱き返した。


 まだ突き放されない。

 この温もりの中にいることができる。


 そんな思いがシャーロットの心に何度も巡った。

 不安と安堵、その相反する二つのものを重く心に残しながら、レジナルドの胸に身を預けた。





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