はじまり
ある国の姫君が、遊学のために隣国へ渡った。
そこで出会った貴族の男と恋に落ちて二人は密かに逢瀬を重ね、ひと時の燃えるような恋をした。
しかし、姫君が男の子供を身ごもったことで、事態は大きく変わった。
当然、二人のことは認められなかった。
周囲の者達の手によってその事実は秘密裏にされる。
二人は引き裂かれ、姫君が内密に産んだ子供は、父親の元でその出自を隠されて育てられることとなった。
そして、産まれた子供の母親代わりとして、姫君と同じ髪と目の色をした侍女が男の妻に選ばれた。
愛する者と引き裂かれて、子供を奪われた姫君。
愛していない者を妻にすることとなった男。
それは、悲劇の二人だっただろう。
――ならば、身代わりにされた侍女は……。
***
夜半、シャーロットは一つの部屋へ行くよう命じられた。
震える手で扉を小さく叩けば、すぐに中から開いた。
シャーロットが視線を上げると、背の高い涼やかな顔立ちの男が立っていた。
「あ、あの……」
「入れ」
やっとの思いで声を絞り出すと、短い言葉に遮られた。
貴族らしい抑揚のない低い声音に、震えていた体を縮み上がらせた。
シャーロットは唇を噛みしめ、まるで鉛をつないだかのように重い足をどうにか動かす。
室内に入ると、後ろで静かに扉が閉められた。
薄暗い部屋の中で異性と二人っきりになったことなど、シャーロットには経験のないことだった。
すぐ側に立つ男の顔も見ることができず、扉の前で足を止めて佇んだ。
そんなシャーロットの背中を、大きな手が触れた。
緊張と不安が入り混じったシャーロットの心境に気づくことも、もしくは気にすることもないのか、男――レジナルドは速足で奥へと促した。
シャーロットを寝台へと腰かけさせると、姫君と同じ栗色の髪と緑色の目をしながら、容姿は大きく異なり大人しそうな印象を見下ろした。
「子供をおまえとの子とするために、母親が処女であってはならない」
直接的な言葉にシャーロットの頬が真っ赤に染まった。
この身が未通なことは、周囲の者達から伝えられているのだろう。
妻となり母親となるのに、確かにそれではおかしい。
そのために、姫君のお腹の子の父親であるレジナルドの寝所に行くよう侍女頭から命じられた、つい先ほどの記憶を思い起こしてシャーロットは顔を伏せた。
決して結ばれることのない二人のために、このことを隠すための身代わりになれと命じられた。
それは拒むことのできない命令だった。
結ばれることのない二人。
傍からこの状況だけを見れば、可哀そうなのは愛していない女を抱かなければならないレジナルドで、愛している男を奪われる姫君だろう。
姫君の周囲の者達はそんな風に嘆いていた。
誰も、シャーロットのことを考える者はいなかった。
これからは自由には生きられない。
姫君の代わりとして、突然用意された人生を歩まなければならない。
寝台の上に寝かされ、シャーロットはこの時間が早く終わるのを願って瞼を下ろした。
目を開く勇気はなかった。
閉じたからといって状況が変わるわけではないけれど、それでもこの行為を見ることは怖くてできない。
未婚のシャーロットに、男女が寝所で行うことはほとんど未知のことだ。
同じ侍女仲間たちが話しているのを聞いた程度の知識しかない。
我慢している内に終わるだろう。
そう考えていたことは、早々に間違いだったと気づかされた。
何が起こったのか、それすらも分からない時間だった。
経験したことのないことに、シャーロットはただそんな感想しか浮かばなかった。
力尽くな真似はされなかったが、自分より身分の高い人物を前にして、シャーロットは萎縮して身動き一つとれなかった。
両手を何に縋れば良いのかも分からなかった。
引き裂かれたような痛みに、終わった後もしばらく起き上がることができない。
それを、まるで他人事のように感じていた。
この痛みは確かにこの身にもたらされたものなのに、自分の置かれた状況の変化についていけない。
それでも、真っ白なシーツの上に散った赤い色が全てを物語っていた。