「参ったわね」
「……参ったわね」
時刻は午前一〇時。
場所は慣れ親しんだ職場。キルギス診療所。
受付に座りながら、キキュットは考える。
題材は、昨夜診療所に侵入した少女――ケルプ・キメラサイトについてだ。
昨夜、キキュットは診療所に侵入したケルプを蹴り飛ばして気絶させた後、その身柄をどうするか決めかね、とりあえず結論を先送り。
診療所二階にある使っていない部屋のベッドに、気絶したままのケルプを載せた。
もう一眠りと部屋に戻ったキキュットだったが、先に目覚めたケルプが逃走する可能性に気づき、彼女のベッドの脇に椅子を置いて、そこで一晩過ごした。
午前八時頃。ケルプが目を覚ました。
キキュットは、目覚めたばかりのケルプを言葉と行動で揺さぶり、反応を見た。
明らかに落ち着かないし、目が泳いでいた。
一度油断させて名前を引き出し、記憶。
最後に、そこでおとなしくしておけという意味の言葉をかけて、その場を後にした。
そんな風にケルプと接して、一つ確信したことがある。
――やつは、泥棒だ。
決定的な根拠はないが、間違いないだろう。
泥棒を捕まえたら警備隊に引き渡す。
それが常識だ。
しかし、今回その常識は使えない。
理由は、泥棒であるケルプの身分にある。
ケルプのいる部屋を出てすぐ、キキュットは知り合いの情報屋に連絡をとって『ケルプ・キメラサイト』の情報を買った。
ケルプは、良家のお嬢様だった。
彼女が住んでいるのは、ここから三駅離れた大きな街――ベドラムシティ。
彼女の父親は、そこでいくつかの飲食店を開いている敏腕経営者であり、彼女の母は、いくつかの土地を治める領主だった。
経営者の父と領主の母。
絵に描いたようなマジ貴族。
そんなマジ貴族のお嬢様が泥棒となって警備隊に捕まったとなれば、果たしてどうなるだろうか。
答えは、事件そのものが消える。
ケルプの両親によって、事件がもみ消される。
警備隊に圧力がかけられ、ケルプは無罪放免となる。
いや、それで済めばまだいい。
最悪の場合、キルギス診療所もろともキキュットが消される。
彼女が警備隊を呼んだせいで、家はよけいな労力を払うことになったからだ。
……というか、そんな理由がなくとも、キキュットには消される理由がある。
彼女は、出会い頭にケルプの頬を蹴り飛ばしている。
経営者と領主が、自らの娘の顔を蹴り飛ばした輩を許すだろうか。
答えは否だ。
こんな小さい診療所なんかプチッと潰されるだろうし、こんな権力のない医者も同様にプチッとされる。
だから、警備隊に引き渡すわけにはいかない。
かといって、このまま診療所に引き留め続けることは常識的にできない。
「……どうしようかしら」
「あの、すみません」
キキュットがため息と共に言葉を吐き出すのと同時に、その声はかけられた。
声のした方――受付のカウンターを挟んだ先には、二階にいるはずのケルプが立っていた。
「どうしました? おなかでも空きましたか?」
営業スマイルを浮かべてキキュットが訊ねる。
するとケルプは床にひざまずいた。
「お願いします! あたしを、ここで働かせて下さい」
突然放たれたケルプの懇願。
それを見たキキュットは数秒の間を置いて、ケルプに聞こえないくらいの小声で呟いた。
「……なにこれ?」