「逃げなきゃ!」
物音が聞こえて、彼女は目を覚ました。
時間も場所も判らなかった。
ただ、知らない部屋の知らないベッドの上に転がっていることだけは判った。
「起きたわね」
声が聞こえたので、その方向を見た。
彼女の左側。
一マートルも離れていない場所に、彼女を見張るように椅子に腰掛ける女性がいた。
年齢は二〇代中盤といったところだろうか。
身長は、高い。
一八〇サンチほどあるかもしれない。
長い手足。
肩につくぐらいの長さの赤い髪。
吊り気味の目。
そして、頬や鼻についたソバカスが特徴的な女性だ。
その身を包んでいる医療用白衣が、女性が医者であることを説明している。
医者。
その言葉が頭の中に出てきた瞬間、彼女はすべてを理解した。
理解したと言うより、思い出した。
ここは、診療所だ。
彼女は昨夜、この診療所に盗みに入ったのだ。
思い出した瞬間、左頬に鈍痛がのしかかった。
――逃げなきゃ!
痛みも気にせず、瞬間的にそう判断した彼女は、ベッドから転げるように降り――れなかった。
彼女が動くより早く、女性が動いたのだ。
女性は、椅子から立ち上がる勢いを利用して跳躍し、彼女に馬乗りになった。
突然マウントをとられて目を丸くする彼女に向かって、女性が口を開く。
「自分がどうしてここにいるのか判りますか?」
「……あの」
彼女が言いよどんでいると、女性はゆっくり顔を近付け、
「あなたは、ここに来る途中で暴漢にあったのです。それをあたしが助けたのです。オーケイ?」
そう言った。
「え?」
――あたしは、泥棒に入って、この人に蹴られたんじゃ……。
思わず痛みを訴える左頬をさわる。
その動きを目に留めた女性は、彼女に顔を近づけた。
「あぁ、それは暴漢にやられたんですね。ひどいですよね。女の子の顔を蹴るなんてね」
「え?」
「ひどいですよねぇ」
「いや」
「ひどいですよねぇ!」
「あ、はい」
女性からかけられた謎のプレッシャーに負け、頷く彼女。
――どうなってるの?
心の中で「?」を浮かべる彼女に向かって、女性は優しげに微笑むと、ゆっくりベッドから降りた。
「まだ傷は癒えておりませんので、そこでしばらく安静にしておいてください」
言いながら、彼女に背中を向け、女性は部屋を出ていった。
と、思ったら、五秒も経たぬうちに戻ってきた。
「自己紹介が遅れました。あたしはこの診療所の所長をしております、キキュット・キルギスと申します」
「あ、ケルプ・キメラサイトです」
戻ってきてまで自己紹介をしたキキュットの勢いにつられ、彼女――ケルプ・キメラサイトは反射的に自己紹介を返した。